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《9月28日(水)》
大震災から202日目……

【この日呟いたこと……】

10:32
かじゃでぃふう練習中。だからよく分かるのだが(こんなこと呟きたくはないのだが)、沖縄から帰ってきてから始まった喉のいがらっぽさがまだ消えない。もう50日以上。書斎の線量0.12μSv/h。

17:54
日本人はみんな、シュレーディンガーの猫になりました。この思考実験の成果は、50年後、貴重なデータとなるでしょう。


シュレーディンガーの猫はM.A.P.after5三度目の登場。
 ⇒【自転車が作った京都御所の轍の心理学的考察】
 ⇒【京都出町幸神社(さいのかみのやしろ)の猿】



ここ数日、相変わらず線量の高い自宅の書斎に篭って、ずっと放射能に関する情報の整理をしていた。原発推進とレッテルを貼られた専門家の提示するデータ、反原発派が危険の根拠とする資料、相反する情報。細切れの事実をたくさん拾い集めていると、だんだんと全体がおぼろげに見えてきたりする。まだ三合目といったところだが、続けるしかない。

しかし、原発事故から200日を越えてようやく三合目では、真実を見渡せた時には既に時遅しなんてことにもなりかねないのではあるが。

あらためて思う。正確なデータを小出しにする東電と保安院と官僚と(当初は政府ではなかったような、今は同じ穴の狢だが)に、ここに至ってますます憤りを憶えている。

今日は“沖縄語を話す会”があるので数日ぶりに事務所へ。だからリハビリのため、朝方ちょっと三線をいじくったりしてみたのだ。

事務所入り口外のスペースに置いたテーブルの上に、黄色くなってきたゴーヤーがみっつ乗っかっていた。
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なんだ、もう少し早く採ればよかったのに。そして写真でも写してくれればよかったのに。連続性の中で考える、それがM.A.P.after5の基本方針。それには、途切れないことも重要なんだ、なんてね、わけのわからないブログのこと、誰も聞いちゃあくれない。というより、書斎に引きこもっていて、そんなこと言えるわけもない。

喜多見地区会館へ。
 ⇒第39回ゆんたくぬくゎい(喜多見で沖縄語を話す会)の記事
8月24日に1階の部屋のソファーの上で調べた時は0.1μSv/hあったのだが、今日は2階の部屋のテーブルの上。
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0.05μSv/h、何かが言えるわけもなく。

勉強を終えて、事務所に戻る。五日ぶりに事務所の線量を測る。
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変わらず。

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“コンケンアイ”と“ぎま”のことは後日書く。まだアップしていない記事を順番に。

孤独な連続性の中で。


11月 7日月曜日: 老朽化……

《8月10日(水)》
大震災から153日目……

【この日呟いたこと……】
11:46
二週間の沖縄長旅の疲れが出たのか、風邪を引いたらしい。喉がひどく痛い。もしかすると、沖縄生まれの俺のカミサンは、二十数年間、ずっと旅をしているのかもしれない。



「ダメだ、今日は休ませて」
「串かんが閉店したよ」
「デジカメで撮って送ってよ」
 ⇒前回の関連記事(4月13日)

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お隣のお蕎麦屋さんはどうするんだろう。
「聞いてみてくんない?」
「ヤダ」
「まあ、そうだよな……」

沖縄語の勉強会も休むことにした。
第36回ゆんたくぬくゎい(喜多見で沖縄語を話す会)

「なんだか頑張れなくなってきた。老朽化かな……」
「何が?」
「しがみつきたくないってことさ」


9月14日水曜日: 間もなく収穫かな……


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今年は、細やかな栽培日記が書けなかった。というより、今年のゴーヤーが、なんだか大雑把な成長の仕方なのである。
一斉に生ったゴーヤー。
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収穫も、そう遠くはなさそうだ。
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しかし、足元はもう枯れ始めている。
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何だか妙だ。
植えるのが遅かったためか、あるいは……
大震災から188日目だということ、忘れてはいない。


車でいったん帰宅。色々と整理しなければならないことがある。健康ゲームをしていた頃は、こういう時は自転車を使ったのだが、どうもそんな気にならない。別の意味での健康ゲーム。いやゲームじゃないな。

夜、戻って沖縄語の勉強会。
 ⇒“喜多見で沖縄語を話す会”の専用ブログ記事


8月24日水曜日: 喜多見地区会館の線量

《8月24日(水)-3》
今日は喜多見で沖縄語を話す会。
 ⇒第37回ゆんたくぬくゎい

会場は、駅から成城方向へ歩いて3分くらいの喜多見地区会館です。
一階の部屋で、ちょっと線量を計ってみました。
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あれ、ちょっと高いんじゃないかって?いえいえ所詮簡易計測器、低線量は正確には計れません。というか。この機種がいったいどういう代物なのか、まだまだ確かめている段階です。少なくとも、この程度の数値なら、γ線の空間線量に関しては全く問題ないくらいにお考えくださいませ。くれぐれもこんな程度で心乱されることのありませんように、っていうか、そんな人いないよね。


6月 9日木曜日: 玄羽さんの送別会

《6月8日(水)~9日(木)》
東日本大震災から90日目から91日目。
5月23日の沖縄語を話す会に初めていらっしゃった玄羽さんですが、それからまだ一ヶ月ちょっとだというのに、広島に転勤ということで、もうお別れということになってしまいました。
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玄羽さんはこれからたびたびM.A.P.after5に登場するという確信があったのですが、いやはや残念であります。
玄羽さんのことは後日たっぷりと追記することにしましょう。
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酒菜で送別会です。
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しかし、たとえ玄羽さんが広島へ行かれたとしても、どうもこのままでは終わりそうにない。
とりあえず、玄羽さんが広島へ発つ前に、もう一度会えることになりました。

しゃもじのたーにーに電話する玄羽さん。
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え?しゃもじのなんだって?

おっと間もなく終電です。では、今度は新宿で……
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もう一軒。
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後日追記ご報告予定。

東日本大震災から90日目。

【この日まず呟いたこと】
10:43
今の福島こそが大悲劇。それを起こさないために某たちは発言してきた。池田信夫は今の福島を想定内とでもいうつもりなのか。RT/@ikedanob 武田某「核爆発が起こる」、広瀬某・小出某「チェルノブイリ以上の大惨事」、自称ジャーナリスト「首都圏は全滅する」。自分の言葉に責任をとれ。


智内さんからお誘いメール。高円寺のゆみちゃんのお店で飲るらしい。しかし、また今日も今日の今日かい。
リック・タナカが脱原発本を出版するらしい。時の人、小出裕章氏に取材、「悪い人物たち」も暴くという本らしい。悪い人物には今更あんまり興味はないが、小出氏のハナシは聞いてみたい。
「元から反原発寄りの人向けではなく、原発を容認している人たちの宗旨を変えるようなものを作って欲しい」と返信した。

僕はトミヒサさんのことを思っていたのだ。できればワンクリック、リンク先の記事をお読みいただきたいと思う。
 ⇒【東村・高江の記録】(2010年10月15日の記事)
トミヒサさんはこの後、高江を支援するために沖縄へ渡った。その後、沖縄語を話す会にも顔を出さず、音信もなくなった。

智内さんからまたメール、「今日は中川五郎さんも来る予定です」。
な、なんだって!今晩は沖縄語を話す会があって、終わった後は玄羽さんの送別会なのだが、それまでには戻ってくることにして、こいつはいざ高円寺だな。

【高円寺の駅を降りて呟いた】
18:00
まもなく、受験生ブルースの中川五郎に会うのだ?


ゆみちゃんの店でのことは後日追記するとして。

小生と智内さんとリックのチ●ポ、じゃなくて指。
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小生とゆみちゃんのツーショット。
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もう一枚!
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撮影は宿敵リック・タナカ。

【そして呟いた】
20:26
中川五郎は来なかった。


なので、youTubeを……
でも、「受験生ブルース」ではなく
「一台のリヤカーが立ち向かう」を……


大きな世界を変えるのは一人の小さな動きから

東日本大震災から62日目……

【この日呟いたこと】
15:16
そして、今日も今から病院へ、オヤジの顔を見に行く。いや違うな、オヤジに、俺の顔を見せに行く。



【宣伝活動報告その2】
沖縄語を話す会を終えて“中む食堂”へ。
ちょっと面白そうな関西系の方も一緒、でもね今日初めてお会いしたばかり、今のところはミステリーということにしておこう。
しかし、関西系の影響力は強いらしい。

「生ふたっつとオリオンのビンね」
「生とオリオンすか?」
「そう」

「ハイ」と出てきたのがこういうセット。
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つい「なんじゃこれ」と言ってから気がついた。しまった、と思っても、もう後の祭りだ。
「そうそうこれこれ、まずは玉葱丸ごと食って血をサラサラにしなきゃねえ、って違うだろ。それはオニオンだろ。オリオンを出せオリオンを!」
しかしもう遅い。ああ、俺としたことがしくじった。市民劇のぬるま湯で、「ウケ」の鋭さを失っていたのか。

「高山さんならちゃんとノリツッコミすると思ってたんですけどねえ」と石垣仁。
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ええいクソ、腹が立つ。もう10時前なんだぞ、1日の疲れを癒そうと飲みに来ているのに、そういう緊張感を強いるとはなんて店だ。でも許してやるから今度の6月4日の琉舞公演に広告出してちょうだい!
「オーナーに言っときまーす」
※以上、一部フィクションです。

憎き玉葱は、オニオンスライスにして敵を打った。
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ハナシは変わるが……
総合格闘技家のエリア君は、ほとんど毎日この店に顔を出す。エリア君は市民劇で一緒の神野美奈実さんと整体の患者仲間だということを先日知った。だからこんな時間なのに、神野美奈実を呼び出したのであった。

というわけで、この記事も、市民劇のカテゴリにしとこうかね。市民劇のメンバーには神野ファンが多いらしいから。

※追伸:“中む食堂”も広告を出してくださることになりました。感謝感謝感謝!


《4月27日(水)》
東日本大震災から48日目……
沖縄語を話す会だったのだけれど、小生は欠席。
 ⇒第30回ゆんたくぬくゎい(喜多見で沖縄語を話す会)
そして……

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だからさ、記事は後日だってば……。


4月13日水曜日: NHKの若者たち

《4月13日(水)-2》
東日本大震災から34日目の夜……
夜は喜多見で沖縄語を話す会(ゆんたくの会)である。

NHKの研修センターから、新人たちが取材に来た。
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その後、“中む食堂”へ。
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いろいろお話したいことあり、これもまた後日。


4月 5日火曜日: 東電の下請け作業員

東日本大震災から26日目……

地震以来、当ブログへのアクセス数が半分になった。東北地方からのアクセスは、ほとんどなくなった。

地震の前、僕は原発の記事を二つほどアップしていた。
 ⇒《電力中央研究所の中に原子炉がある(?)という噂》(1/15)
 ⇒《日立と旧武蔵工大にあった原子炉のこと》(2/3)
これらの記事を、いったいどのくらいの方が読んでくださったのだろう。被災された方々の中にも、もしかしたらお読みくださった方がいるのかもしれない。今読み返してみれば、なんともぼんやりした記事である。僕はいったい、どうしちまっていたんだろう。
2/3の「日立と旧武蔵工大~」の記事では、僕は原発で働く下請け作業員のハナシを、ひとつの「都市伝説」であるかのように紹介したのだ。真実に違いないと思っていたにもかかわらずである。「都市伝説」なんて言葉を使ってしてしまえば、きっと誰も耳を貸さない。僕は、いったい何に拘っていたのか。

また日高さんからメールが届いた。

山谷の食堂が閉鎖される前(閉鎖は1996年3月で私は93年1月から専従していました)のことです。福島原発の老朽炉をリニューアルする作業に従事して、放射能被曝で体調を崩して怖くなり飯場から逃げ出してきた日雇い労働者の話を聞く集会がありました。そこで驚くべき非人間的な労働現場の実体を知りました。
原発の燃料棒を抜きとった原子炉隔壁容器の中に、彼ら日本のホームレス労働者100人と、アメリカから黒人のホームレス労働者100人を、10~15人ずつ3分交代で入れて、原子炉内部の壁に分厚くこびりついたカス状の放射能酸化物を雑巾で拭き取らせるという話でした。
アメリカではロボットにさせる作業だが、コストを減らす目的から、身寄りがなく、誰からも文句を言われる恐れがなく、使い捨てにできる日米のホームレスを、簡単な短時間の仕事で高額報酬を払うという約束でかき集め、福島原発をはじめとする各地の過酷な環境現場で働かせていたという話。
手配師は暴力団系で、「60歳以下で住所不定の、家族との関係が切れて友人知人もいない孤立したホームレス」という条件で人を集め、飯場では逃げないように、監視役の暴力団員が大勢事務所にたむろしていたらしい。彼らには毎日現金が支払われたが、食費、宿泊費、入浴費、洗濯などの費用を徴収され、手元にはタバコ銭ほどしか残らなかったというのです。
原子炉容器は、隠語で「シュラウド」と言われていたそうです。調べてみると「シュラウド」とは「死装束」や「京帷子」を意味する"shroud” だと分かりました。
福島原発の原子炉の製造元はアメリカのジェネラルエレクトリック社(GE)ですが、GEから始まった俗称を東電もそのまま使ったのでしょう。使い捨て人夫としてかき集められた日米のホームレスたちは、放射能被曝で遠からず死ぬ運命にさらされたわけで、彼らは生きたまま京帷子(原子炉)を着せられたのです。
私の記憶ですと、福島原発から始めて、その後全国の他の原発でもホームレスを動員して同じ作業をする予定だと聞いたように思います。


日高さんの話について、僕は原発の作業現場など実際に見たわけでもないので、真偽はまったくわからないと申し上げるしかない。
日高さんは沖縄語を話す会のメンバーで、とても穏やかな紳士である。でも、時々広瀬隆氏の資料などを持ってきて配ったりする。山谷で行われた集会も、藤田祐幸氏のキャンペーンだったようだ。広瀬氏も藤田氏も、「~のデマ」とネット検索すれば、彼等を詐欺師だと断じるような記事がたくさんヒットする。
日高さんが嘘を言うとは考えられない。しかし、藤田祐幸氏がやらせのイベントをやった、あるいは話をした作業員が何らかの理由で嘘を語っていたという可能性をまったく否定できるものでもない。だから、後はどうかご自分で判断していただきたい。

ああ、僕はまだ何かに拘っている。

朝日新聞の、3月26日の記事。
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それは、次のように結ばれている。
「東電は今後、放射線量が高く変化する可能性がある場所で作業する場合、事前に放射線管理計画を提出させた上で、社員が作業員に同行する。」
この記事を注意深く読めば、東電という会社が、かつてそんなとんでもないことをやっていたとしても、ちっとも不思議ではないと感じる。

それから3月29日の記事では、作業員の話がいくつか紹介されている。
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「給料は日給制で、1日1万数千円。『俺らは東電から仕事を受注した元請け企業から仕事をもらう立場。今回の状況であいつらは来なかったと思われたら、その後の仕事はどうなると思う?』」
「東電の孫請け会社に勤める、第一原発の近くで生まれ育った40代男性は、避難所で会社からの呼び出しを待つ。『ここは原発以外に働くところがないから』」


2/3日のコメントで紹介した動画を、あらためてここに貼り付けてみることにする。
“隠された被曝労働~日本の原発労働者~”
1995年、イギリスで放映されてTV番組である。

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高山正樹 Masaki Takayama
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