7月21日火曜日: 新作組踊“さかさま「執心鐘入」”の台本
【冊封と組踊について】
15:00
大城立裕先生宅へ。
又吉健次郎さんの伝言は、しっかりお伝えしました。今年の11月21日、国立劇場おきなわで組踊りの公演がある、是非観てほしいなあ、と大城先生。そして貸してくださった台本です。

大城立裕・作、新作組踊り「さかさま『執心鐘入』」。
組踊りについて簡単にご説明しましょう。
組踊りとは、韻文の台詞と音楽と踊りで構成された沖縄の伝統芸能で、大和の歌舞伎と能を足して2で割ったようなものともいわれます。中国からの冊封使(さっぽうし)を歓待するため、踊奉行の玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が創作し、1719年に冊封使の前で初めて演じられた「執心鐘入」などがその始まりです。冊封使とは、中国の明・清の時代に、朝貢国の王を冊封するために派遣された使者のことです。
(※《資料》参照)
では冊封とは何か(ああ、いちいち説明しなければならない、これほど日本人は、沖縄の歴史や文化を知らないということですね)、高山夫人が中学生の時、学校で配られた仲原善忠著『琉球の歴史』の上巻から、ちょっと長いですが抜粋して引用します。

「国王が死ぬとあとつぎが立って王になる。数年のあと、使いをやってたのむと中国から正副の冊封使(名高い文人が多い)がやって来る。那覇にとまっていて、式日には首里城でさかんな儀式があり、『なんじを封じて琉球国中山王となす』という皇帝の勅語を読み国王は中国から正式に王としてみとめられる。式をやって王としてみとめることを冊封というのです。しかしこの式があってはじめて王になるのではなく、たのまなければ来ないのです。又あの王はいけないといってことわったこともなく、王が自分のいげんをつけるための儀式です。」
「中国はむかしから体面をおもんずる国です。そして中国がその時代はアジア第一の文明国で、他の国々はみな野蛮未開な国々と見ているから対等のつきあいはゆるさない。それで『臣』と称して貢物をささげて行って皇帝にあいさつするのでなければ有利な貿易は出来ないのです。」
「(琉球王国は)臣下という仮面をかぶって、有利な貿易をやったということです。」
話を組踊りに戻しましょう。琉球が中国に初めて使いを送ったのは1372年のことですが、この中国との貿易の利益を狙った島津藩が琉球に進攻した、いわゆる「島津入り」が1609年、つまり組踊りが誕生した1719年には、すでに島津藩が琉球王国を実質的に支配していたということです。しかし、琉球王国は存続させなければならなかった、なぜならば、琉球王国を介する以外に、中国と貿易する手段が、当時の日本にはなかったからです。これは、沖縄の芸能を考える上で、とても重要なことのように思われます。
玉城朝薫は薩摩や江戸に何度も派遣され、そこで能・狂言や文楽・歌舞伎など大和芸能の様式を学びました。それが組踊りの創作に大きく影響しています。
特に玉城朝薫の第一作といわれる「執心鐘入」は、もっとも大和文芸の影響を受けていて、いわゆる「道成寺もの」がその下書きになっています。
大城先生は、大和と琉球の狭間で、いかに玉城朝薫が組踊りを創作したのか、その苦悩を描いた小説や戯曲を書かれてきました。
※関連記事(「嵐花」公演のこと⇒http://lince.jp/hito/arasibana…)
また大城先生は、これまで新作の組踊りをいくつも発表されています。
※関連記事(「真珠道」公演のこと⇒http://lince.jp/hito/madamamiti…)
2001年には、それらを集めた琉球楽劇集が出版されています。

この本は、上段に「歴史的仮名遣い」を、下段に読みをあらわすローマ字を配しています。

ここでもやはり表記と発音の問題があります。それについて大城先生の興味深いあとがきがあるのですが、それはまたあらためてご報告します。
※関連記事(「古典音楽」の本のこと⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/free…)
さあ、ようやく今回の新作組踊り「さかさま執心鐘入」までたどり着きました。
これは大城先生のお話によると、「執心鐘入」の後日談のようなお話なのだとか。先生の作劇の動機がちょっと面白いのです。
「執心鐘入」の大道具の鐘は「執心鐘入」を上演する時にしか使われない、もったいないのでなんとかそれを使えないか…
「執心鐘入」に出てくる小僧さんたちの出番が少ない、その小僧さんのキャラクターをなんとかできないか…
稽古は5月くらいから始まっているそうです。組踊りの役者さんたちも、皆さんいろいろ仕事をしていかなければならないので、そろっての稽古が難しいと先生はおっしゃっていました。
本番が楽しみです。なんとか時間を作って、11月、また沖縄に来たいと思っています。
⇒国立劇場おきなわホームページ
大城立裕先生宅へ。
又吉健次郎さんの伝言は、しっかりお伝えしました。今年の11月21日、国立劇場おきなわで組踊りの公演がある、是非観てほしいなあ、と大城先生。そして貸してくださった台本です。
大城立裕・作、新作組踊り「さかさま『執心鐘入』」。
組踊りについて簡単にご説明しましょう。
組踊りとは、韻文の台詞と音楽と踊りで構成された沖縄の伝統芸能で、大和の歌舞伎と能を足して2で割ったようなものともいわれます。中国からの冊封使(さっぽうし)を歓待するため、踊奉行の玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が創作し、1719年に冊封使の前で初めて演じられた「執心鐘入」などがその始まりです。冊封使とは、中国の明・清の時代に、朝貢国の王を冊封するために派遣された使者のことです。
(※《資料》参照)
では冊封とは何か(ああ、いちいち説明しなければならない、これほど日本人は、沖縄の歴史や文化を知らないということですね)、高山夫人が中学生の時、学校で配られた仲原善忠著『琉球の歴史』の上巻から、ちょっと長いですが抜粋して引用します。
「国王が死ぬとあとつぎが立って王になる。数年のあと、使いをやってたのむと中国から正副の冊封使(名高い文人が多い)がやって来る。那覇にとまっていて、式日には首里城でさかんな儀式があり、『なんじを封じて琉球国中山王となす』という皇帝の勅語を読み国王は中国から正式に王としてみとめられる。式をやって王としてみとめることを冊封というのです。しかしこの式があってはじめて王になるのではなく、たのまなければ来ないのです。又あの王はいけないといってことわったこともなく、王が自分のいげんをつけるための儀式です。」
「中国はむかしから体面をおもんずる国です。そして中国がその時代はアジア第一の文明国で、他の国々はみな野蛮未開な国々と見ているから対等のつきあいはゆるさない。それで『臣』と称して貢物をささげて行って皇帝にあいさつするのでなければ有利な貿易は出来ないのです。」
「(琉球王国は)臣下という仮面をかぶって、有利な貿易をやったということです。」
話を組踊りに戻しましょう。琉球が中国に初めて使いを送ったのは1372年のことですが、この中国との貿易の利益を狙った島津藩が琉球に進攻した、いわゆる「島津入り」が1609年、つまり組踊りが誕生した1719年には、すでに島津藩が琉球王国を実質的に支配していたということです。しかし、琉球王国は存続させなければならなかった、なぜならば、琉球王国を介する以外に、中国と貿易する手段が、当時の日本にはなかったからです。これは、沖縄の芸能を考える上で、とても重要なことのように思われます。
玉城朝薫は薩摩や江戸に何度も派遣され、そこで能・狂言や文楽・歌舞伎など大和芸能の様式を学びました。それが組踊りの創作に大きく影響しています。
特に玉城朝薫の第一作といわれる「執心鐘入」は、もっとも大和文芸の影響を受けていて、いわゆる「道成寺もの」がその下書きになっています。
大城先生は、大和と琉球の狭間で、いかに玉城朝薫が組踊りを創作したのか、その苦悩を描いた小説や戯曲を書かれてきました。
※関連記事(「嵐花」公演のこと⇒http://lince.jp/hito/arasibana…)
また大城先生は、これまで新作の組踊りをいくつも発表されています。
※関連記事(「真珠道」公演のこと⇒http://lince.jp/hito/madamamiti…)
2001年には、それらを集めた琉球楽劇集が出版されています。
この本は、上段に「歴史的仮名遣い」を、下段に読みをあらわすローマ字を配しています。
ここでもやはり表記と発音の問題があります。それについて大城先生の興味深いあとがきがあるのですが、それはまたあらためてご報告します。
※関連記事(「古典音楽」の本のこと⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/free…)
さあ、ようやく今回の新作組踊り「さかさま執心鐘入」までたどり着きました。
これは大城先生のお話によると、「執心鐘入」の後日談のようなお話なのだとか。先生の作劇の動機がちょっと面白いのです。
「執心鐘入」の大道具の鐘は「執心鐘入」を上演する時にしか使われない、もったいないのでなんとかそれを使えないか…
「執心鐘入」に出てくる小僧さんたちの出番が少ない、その小僧さんのキャラクターをなんとかできないか…
稽古は5月くらいから始まっているそうです。組踊りの役者さんたちも、皆さんいろいろ仕事をしていかなければならないので、そろっての稽古が難しいと先生はおっしゃっていました。
本番が楽しみです。なんとか時間を作って、11月、また沖縄に来たいと思っています。
⇒国立劇場おきなわホームページ
(宇夫方路の報告を高山正樹が目いっぱい膨らませてお伝えしました。)
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2月21日土曜日: “華の松竹梅”公演のご報告
【沖縄通信 No.1】(担当:金城)
宇夫方さんの踊りの発表会に初めて行って来ました。

場所は琉球新報ホール。

はっきりとは覚えていないんですが、前にこの場所へ来たのは確か30数年前?
当時、組踊を習っていた母方の伯父と私の姉二人の発表会のとき。あの頃のおぼろげな印象では、大きなホールだなと思ってたんですが、今となっては随分と狭いというか、こじんまりとしたホールです。
楽屋の前にて。上原克代さんと宇夫方さんです。

3日連続公演の2日目。この日だけで18の演目が演じられるプログラム。最高賞を受賞した人数の多さから、その歴史と人材の厚みを感じさせます。
連続してこれだけの演目を鑑賞するのは私にとって初めてのコトでした。「芸能」と「工芸」の密接なつながりと琉球王朝時代がこの場所の文化の最盛期だったコトを再確認した気がしました。今後はもう少し、琉舞や組踊の鑑賞の機会を増やしていきたいものです。
【宇夫方本人からの報告】
上原克代さんは亡くなったの喜納初子大先生(つまり私の先生の先生)のお弟子さんです。去年わたしが教師の免許を頂いたとき、上原さんは師範になられました。今回の公演では「浜下りてぃ語ら」で相手役をやらせていただきました。ありがとうございました。
(ちなみに、今回の公演は最高賞以上の方々が一堂に会して行われています。日舞の場合は「名取」と「教師名取」という二段階で、特にそれを取得するためのルールがあるわけではありませんが、琉球舞踊は新聞社のコンクールに参加して「新人賞」「優秀賞」「最高賞」を順番に受賞することが必要で、さらにそれから先、その実績に応じて「教師」「師範」「会主」と段階を踏んで上がっていくのです。)
上原克代さん、「ブログデビュー、たのしみー」
今後はどんどん出てくださいね。6月の公演の時もよろしくお願いしまーす。
公演が終わってから、会場近くのおでんやさんへ。
沖縄のおでんにはやっぱり「てびち」が入ってなきゃね。

【東京の高山のコメント】
「松竹梅」って、確かにおめでたいことを三つ並べているわけですが、こっちの感覚だと特上・上・並って感じなんですよね。今日は二日目でしょう、ということは……
沖縄にはそういう文化、ないのかなあ。
(元は中国の「歳寒三友」が伝わったもの。単なる符牒、つまり言ってみれば順番を表すだけで、うまいまずいの順位はありませんでした。特上・上・並じゃお客様に申し訳ねえってんで、江戸の蕎麦屋あたりが、松竹梅を使ったとか使わねえとか。とすりゃあ、“華の松竹梅”は、本来の正しい使い方ってことですな。まあ、異論も色々とあるようですが。)
宇夫方さんの踊りの発表会に初めて行って来ました。
場所は琉球新報ホール。
はっきりとは覚えていないんですが、前にこの場所へ来たのは確か30数年前?
当時、組踊を習っていた母方の伯父と私の姉二人の発表会のとき。あの頃のおぼろげな印象では、大きなホールだなと思ってたんですが、今となっては随分と狭いというか、こじんまりとしたホールです。
楽屋の前にて。上原克代さんと宇夫方さんです。
3日連続公演の2日目。この日だけで18の演目が演じられるプログラム。最高賞を受賞した人数の多さから、その歴史と人材の厚みを感じさせます。
連続してこれだけの演目を鑑賞するのは私にとって初めてのコトでした。「芸能」と「工芸」の密接なつながりと琉球王朝時代がこの場所の文化の最盛期だったコトを再確認した気がしました。今後はもう少し、琉舞や組踊の鑑賞の機会を増やしていきたいものです。
(金城史彦)
【宇夫方本人からの報告】
上原克代さんは亡くなったの喜納初子大先生(つまり私の先生の先生)のお弟子さんです。去年わたしが教師の免許を頂いたとき、上原さんは師範になられました。今回の公演では「浜下りてぃ語ら」で相手役をやらせていただきました。ありがとうございました。
(ちなみに、今回の公演は最高賞以上の方々が一堂に会して行われています。日舞の場合は「名取」と「教師名取」という二段階で、特にそれを取得するためのルールがあるわけではありませんが、琉球舞踊は新聞社のコンクールに参加して「新人賞」「優秀賞」「最高賞」を順番に受賞することが必要で、さらにそれから先、その実績に応じて「教師」「師範」「会主」と段階を踏んで上がっていくのです。)
上原克代さん、「ブログデビュー、たのしみー」
今後はどんどん出てくださいね。6月の公演の時もよろしくお願いしまーす。
公演が終わってから、会場近くのおでんやさんへ。
沖縄のおでんにはやっぱり「てびち」が入ってなきゃね。

あしたのてびちがスタンバイ。(宇夫方路)
【東京の高山のコメント】
「松竹梅」って、確かにおめでたいことを三つ並べているわけですが、こっちの感覚だと特上・上・並って感じなんですよね。今日は二日目でしょう、ということは……
沖縄にはそういう文化、ないのかなあ。
(元は中国の「歳寒三友」が伝わったもの。単なる符牒、つまり言ってみれば順番を表すだけで、うまいまずいの順位はありませんでした。特上・上・並じゃお客様に申し訳ねえってんで、江戸の蕎麦屋あたりが、松竹梅を使ったとか使わねえとか。とすりゃあ、“華の松竹梅”は、本来の正しい使い方ってことですな。まあ、異論も色々とあるようですが。)
(高山正樹)
1月24日土曜日: 国立劇場裏話(組踊「真珠道」)
国立劇場小劇場入口。

琉球舞踊と組踊「真珠道」。
Official_Blog とのちょっとした違いをお楽しみください。
たくさんお客さんで大盛況。

でも、なんだかみんな向こうを向いている。誰か来るのかなあ。
「ヒゲの宮様の奥さんが来るんだよ。紀子さんがね。」
と沖縄のおじさんがにこやかに教えてくださいました。
やがて新聞記者のフラッシュの嵐、お目当ての方が、拍手の中を通り過ぎると、カメラマンたちは客席へ大移動。

貴賓席にお出ましになるのを待っているのです。
うっとおしいから、またロビーに逃げ出そうっと。
沖縄県人会名誉会長仲田さんの奥様と宇夫方路は、奥様がまだ独身の頃からの知り合い、ご夫婦の2ショットはOfficial_Blog でご紹介しましたので、ここではもう少し大人数の方々との記念撮影を。

皆さんは今回踊られた出演者を指導されていた方々で、沖縄舞踊界では超大物の大先生たちでいらっしゃいます。この画像は後で皆様にお送りいたします。
終演後、委託販売をお願いしているCDの件で楽屋口から劇場事務所へ。
宇夫方路が渡辺美佐子さんや歌舞伎役者さんと共演していたころ、高山正樹は、この国立劇場で大道具の仕事をしていました。それからもう10年以上、懐かしい楽屋口です。
もちろん大城先生にご挨拶するのも忘れてはいけません。

でもお留守。紀子さまとご歓談中とのこと。

琉球舞踊と組踊「真珠道」。
Official_Blog とのちょっとした違いをお楽しみください。
たくさんお客さんで大盛況。

でも、なんだかみんな向こうを向いている。誰か来るのかなあ。
「ヒゲの宮様の奥さんが来るんだよ。紀子さんがね。」
と沖縄のおじさんがにこやかに教えてくださいました。
やがて新聞記者のフラッシュの嵐、お目当ての方が、拍手の中を通り過ぎると、カメラマンたちは客席へ大移動。

貴賓席にお出ましになるのを待っているのです。
うっとおしいから、またロビーに逃げ出そうっと。
沖縄県人会名誉会長仲田さんの奥様と宇夫方路は、奥様がまだ独身の頃からの知り合い、ご夫婦の2ショットはOfficial_Blog でご紹介しましたので、ここではもう少し大人数の方々との記念撮影を。

皆さんは今回踊られた出演者を指導されていた方々で、沖縄舞踊界では超大物の大先生たちでいらっしゃいます。この画像は後で皆様にお送りいたします。
終演後、委託販売をお願いしているCDの件で楽屋口から劇場事務所へ。
宇夫方路が渡辺美佐子さんや歌舞伎役者さんと共演していたころ、高山正樹は、この国立劇場で大道具の仕事をしていました。それからもう10年以上、懐かしい楽屋口です。
もちろん大城先生にご挨拶するのも忘れてはいけません。

でもお留守。紀子さまとご歓談中とのこと。
8月15日金曜日: 国立劇場おきなわ「嵐花」公演情報

9月の13日と14日に「国立劇場おきなわ」で上演される「嵐花」のチラシです。
左下に「字幕表示あり」とあるのがおもしろいですね。
この公演時に、「国立劇場おきなわ」のロビーにて、大城先生のオーディオブックCDを販売させていただくのです。
大和にも唐にもない物言う踊り・・・、沖縄の近松門左衛門、玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が、如何に組踊(くみおどり)を創作したか、その精神の内的世界を描いた戯曲です。
1988年、高山正樹は前進座劇場でこのお芝居を観ています。おもしろかったとか、感動したとか、そんな言葉では言い表すことのできない「おきなわ」の存在の重さを、その時、高山は感じたと言います。
高山の書斎に、その舞台が劇場中継されたTV番組の収録ビデオと、上演パンフレットが大切に保管されてあります。そのパンフレットには、贅沢にも大和の言葉に訳された台本が掲載されているのです。正確にいうと、まず大城先生は日本語(大和の言葉)で執筆され、それをうちなーぐちに翻訳されたのですから、翻訳される前の台本ということになります。
そしてさらにそのパンフレットには、高山と長く親交のあった舞台美術家の故西山三郎氏がスタッフとして一文を寄せて、大城先生の作品に参加できるうれしさと怖さについて書いていらっしゃいます。
それから20年の歳月を隔てて、まさか大城立裕先生とこんな仕事をさせていただけることになろうとは、高山には深い感慨があるようです。
そして今回、大城氏はふじたあさや氏に上演台本を送られていたのですが、それが届いた二日後に、偶然にも高山がふじた氏のお宅に伺い、後日大城先生にお許しを頂いてその台本をお借りしました。それもまだ高山の書斎にあります。これもまた、不思議なことです。
沖縄でこの記事を読まれる方がいらっしゃれば、9月、是非「国立劇場おきなわ」で、この公演を観ていただきたいと思うのです。
沖縄タイムスの又吉さん、当日、劇場で会おうね。一緒にあなたの生まれ島の沖縄のこと、勉強して、そうして私たちは、単純に感動しようね。それで、CDも買ってね。
(この記事は、高山正樹が、他人のフリして書きました。悪い癖です。)
「おきなわおーでぃおぶっく」Official_Blogへ転記
(チラシを大きくして見れます。裏を見れます。)
(チラシを大きくして見れます。裏を見れます。)
《追伸》
嵐花の小説版です。

