11月 1日火曜日: 飛行機の出発時間は午前4時
《8月6日(土)~7日(日)》
長く居座った大迷惑台風もようやく去った様子。高橋進さんと那覇で食事をすることに。井上真喜ちゃんも呼んで、パラダイス通りの“CHIKI”に行くことにしました。
ところが……

「え?どうして?」
真喜ちゃんも、“CHIKI”が閉店したのは知らなかったらしい。
ともかく、仕方ありません。店を変更しました。
久しぶりの“苗”です。

さっそく“かつを飯”を注文。初めて撮影。

あんまり上手く撮れなかったけれど。
このお店、何を食べてもおいしいのです。ついつい沖縄っぽくないものを注文してしまいます。

高橋さんと話したハナシは後日報告。

なかじんさんも呼んじゃいました。なかじんさんに“CHIKI”のことを聞いたら、なんでもご主人の御親戚の事情だとか、残念だけれどしょうがないですね。
白石准と楠定憲は無事羽田に到着したらしい。
さて、なかじんさんと高橋さんはお帰りになり、しかし、我々が乗る飛行機が那覇を発つ午前4時までにはまだだいぶ間があります。
こんな時はやっぱりパラダイス通りです。
ともかく、2011年の沖縄ツアーは以上をもって無事(?)終了です!長い間ご愛読ありがとうございました、って、まだ暫定記事ばっかりですけどね。
⇒旅の始まりの記事へ(順番に読むことが出来ます)
長く居座った大迷惑台風もようやく去った様子。高橋進さんと那覇で食事をすることに。井上真喜ちゃんも呼んで、パラダイス通りの“CHIKI”に行くことにしました。
ところが……

「え?どうして?」
真喜ちゃんも、“CHIKI”が閉店したのは知らなかったらしい。
ともかく、仕方ありません。店を変更しました。
久しぶりの“苗”です。

さっそく“かつを飯”を注文。初めて撮影。

あんまり上手く撮れなかったけれど。
このお店、何を食べてもおいしいのです。ついつい沖縄っぽくないものを注文してしまいます。

高橋さんと話したハナシは後日報告。


なかじんさんも呼んじゃいました。なかじんさんに“CHIKI”のことを聞いたら、なんでもご主人の御親戚の事情だとか、残念だけれどしょうがないですね。
白石准と楠定憲は無事羽田に到着したらしい。
さて、なかじんさんと高橋さんはお帰りになり、しかし、我々が乗る飛行機が那覇を発つ午前4時までにはまだだいぶ間があります。
こんな時はやっぱりパラダイス通りです。
ななしん屋でしっかり時間を潰して、ボチボチよき頃合。

⇒[subcate.ななしん屋]
井上真喜ちゃんは最後まで付き合ってくれて、空港まで送ってくれました。
大々感謝であります。

このお礼は次回必ずね。でも、今度はいつ来れるのかなあ。
まさか避難なんて、そうじゃなければいいのだけれど。
途端になんだか憂鬱になってきたのでした……。

⇒[subcate.ななしん屋]
井上真喜ちゃんは最後まで付き合ってくれて、空港まで送ってくれました。
大々感謝であります。

このお礼は次回必ずね。でも、今度はいつ来れるのかなあ。
まさか避難なんて、そうじゃなければいいのだけれど。
途端になんだか憂鬱になってきたのでした……。
ともかく、2011年の沖縄ツアーは以上をもって無事(?)終了です!長い間ご愛読ありがとうございました、って、まだ暫定記事ばっかりですけどね。
⇒旅の始まりの記事へ(順番に読むことが出来ます)
10月31日月曜日: うりずん~土~ななしん屋
《8月4日(木)~5日(金)》
夜、マスターにお礼しなければと“うりずん”へ。
詳細は後日、まずはざっと報告。
入嵩西康文さんもいらっしゃいました。

今夜も宇夫方女史は踊ります。

お客さんたちも最高に楽しそうです。

もちろん仕切っているのは新城亘先生。

“うりずん”のオーナー土屋さんの実に楽しそうな笑顔。
亘先生を中心に、女性のお客様たちを交えての恒例の記念撮影。
その1

あれ、なんで楠さんいるの?
その2

まあ、准ちゃんまで。
そうなんです。ふたり、台風で帰れなかったんです。
だから、詳細は後日。
それから“土”へ行って……

夜、マスターにお礼しなければと“うりずん”へ。
詳細は後日、まずはざっと報告。
入嵩西康文さんもいらっしゃいました。

今夜も宇夫方女史は踊ります。

お客さんたちも最高に楽しそうです。

もちろん仕切っているのは新城亘先生。

“うりずん”のオーナー土屋さんの実に楽しそうな笑顔。
亘先生を中心に、女性のお客様たちを交えての恒例の記念撮影。
その1

あれ、なんで楠さんいるの?
その2

まあ、准ちゃんまで。
そうなんです。ふたり、台風で帰れなかったんです。
だから、詳細は後日。
それから“土”へ行って……

7月28日木曜日: 夜の国際通りを東から西へ
《7月27日25時》
あの大震災から140日目に……
夜は栄町の“うりずん”へ。
キジムナーフェアの“チョンダラーの歌”の案内と名護市民会館の“どんぐりと山猫”のチラシを貼って下さってました。感謝。

今夜の集まりの名目は“チョンダラーの歌”の打合せなのですが……

詳細は後日。

国際通りを西へ移動中。

(鈴木雄介氏撮影)
まず“じんじん”に寄って……

“ななしん屋”にたどり着いたのは11時過ぎ。

ママです。

アップ!

それから土へ。

とりあえずの覚書き。
あの大震災から140日目に……
夜は栄町の“うりずん”へ。
キジムナーフェアの“チョンダラーの歌”の案内と名護市民会館の“どんぐりと山猫”のチラシを貼って下さってました。感謝。

今夜の集まりの名目は“チョンダラーの歌”の打合せなのですが……

詳細は後日。

国際通りを西へ移動中。

(鈴木雄介氏撮影)
まず“じんじん”に寄って……
“ななしん屋”にたどり着いたのは11時過ぎ。

ママです。

おや……

アップ!

それから土へ。
とりあえずの覚書き。
6月 3日金曜日: “宇夫方路初公演”最終告知
【をぅどぅい・うた・しまくとぅば・ひやみかち!】
新生M.A.P.未来に向けての出発です。
玉城流喜納の会 関東支部
宇夫方路初公演
をぅどぅい・うた・しまくとぅば・ひやみかち!
東日本大震災被災地支援チャリティー公演
いよいよ明日です!
皆様のお越しをお待ち申し上げています。

日時:2011年6月4日(土) 昼の部 2時開演 夜の部 6時開演
(※いずれも開場は30分前)
会場:成城ホール
料金:前売り3,000円 当日3,500円
出演:宇夫方 路
玉城流喜納の会
喜利の会
喜琉の会
玉城流喜納の会関東支部関りえ子琉球舞踊研究所
M.A.P.琉球舞踊教室
厚木カルチャー琉球舞踊
解説:新城 亘(知る人ぞ知る三線博士)
特別出演(チェロ演奏):大島 純(山猫合奏団・東京奏楽舎)
【地謡】
歌・三線:野村流古典音楽保存会 水谷亮介・野村香司
安冨祖流弦聲会 西村 勉・川崎仙子・持田明美・平沢千秋
筝:琉球筝曲興陽会関東支部 山崎千鶴
笛:沖縄横笛協会 宮良政子
胡弓:安冨祖流弦聲会 持田明美
太鼓:光史流太鼓保存会 具志 忍
【スタッフ】
構成:関りえ子
舞踊監修:伊波正江
うちなーぐち指導:國吉眞正(喜多見で沖縄語を話す会)
舞台監督:池尾秀雄(加藤事務所)
照明:坂本義美(龍前正夫舞台照明研究所)
音響:渡邉禎史
着付・結髪:玉城流喜納の会・玉木流からじ結い喜瀬教室東京支部
総合プロデュース:高山正樹
制作:(株)M.A.P.
※当日、ロビーにて、又吉健次郎氏が製作したジーファー(かんざし)と房指輪を展示いたします。

※またM.A.P.が楽天市場などで扱っている沖縄関連商品なども販売いたします。
⇒楽天市場沖縄map
主催:をぅどぅい・うた・しまくとぅば・ひやみかち!公演実行委員会
後援:沖縄コンベンションビューロー
琉球新報社
沖縄タイムス
岩手日報
沖縄芸能連盟
東京沖縄県人会
東京琉球舞踊協会
(株)厚木カルチャー
協力:玉城流喜納の会
なお、本公演はたくさんのM.A.P.縁の方々の御協力・御支援に支えられて実現できることになりました。皆様には深く深く感謝申し上げます。
M.A.P.after5情報には御協力頂いた方々のカテゴリがたくさんあります。よろしければどうぞそれらの記事をお読みくださいませ。
⇒[subcate.龍前照明]
⇒[subcate.新城亘]
⇒[subcate.山猫合奏団]
⇒[subcate.東京奏楽舎]
⇒[subcate.喜多見で沖縄語を話す会]
《プログラムにメッセージを頂いた方のカテゴリ》
⇒[subcate.大城立裕]
⇒[subcate.又吉健次郎]
⇒[subcate.ふじたあさや]
《プログラムに広告を頂いたお店のカテゴリ》
⇒[subcate.魯園菜館]
⇒[subcate.スナックぎま]
⇒[subcate.酒菜]
⇒[subcate.中む食堂]
⇒[subcate.鳥力中央研究所]
⇒[subcate.忠兵衛]
⇒[subcate.ななしん屋]
なお、カテゴリのない皆様やお店については、あらためて別途記事にてご紹介していく予定です。
皆様、ありがとうございました。
間もなく、幕が開きます。
玉城流喜納の会 関東支部
宇夫方路初公演
をぅどぅい・うた・しまくとぅば・ひやみかち!
東日本大震災被災地支援チャリティー公演
いよいよ明日です!
皆様のお越しをお待ち申し上げています。

日時:2011年6月4日(土) 昼の部 2時開演 夜の部 6時開演
(※いずれも開場は30分前)
会場:成城ホール
料金:前売り3,000円 当日3,500円
出演:宇夫方 路
玉城流喜納の会
喜利の会
喜琉の会
玉城流喜納の会関東支部関りえ子琉球舞踊研究所
M.A.P.琉球舞踊教室
厚木カルチャー琉球舞踊
解説:新城 亘(知る人ぞ知る三線博士)
特別出演(チェロ演奏):大島 純(山猫合奏団・東京奏楽舎)
【地謡】
歌・三線:野村流古典音楽保存会 水谷亮介・野村香司
安冨祖流弦聲会 西村 勉・川崎仙子・持田明美・平沢千秋
筝:琉球筝曲興陽会関東支部 山崎千鶴
笛:沖縄横笛協会 宮良政子
胡弓:安冨祖流弦聲会 持田明美
太鼓:光史流太鼓保存会 具志 忍
【スタッフ】
構成:関りえ子
舞踊監修:伊波正江
うちなーぐち指導:國吉眞正(喜多見で沖縄語を話す会)
舞台監督:池尾秀雄(加藤事務所)
照明:坂本義美(龍前正夫舞台照明研究所)
音響:渡邉禎史
着付・結髪:玉城流喜納の会・玉木流からじ結い喜瀬教室東京支部
総合プロデュース:高山正樹
制作:(株)M.A.P.
※当日、ロビーにて、又吉健次郎氏が製作したジーファー(かんざし)と房指輪を展示いたします。
※またM.A.P.が楽天市場などで扱っている沖縄関連商品なども販売いたします。
⇒楽天市場沖縄map
主催:をぅどぅい・うた・しまくとぅば・ひやみかち!公演実行委員会
後援:沖縄コンベンションビューロー
琉球新報社
沖縄タイムス
岩手日報
沖縄芸能連盟
東京沖縄県人会
東京琉球舞踊協会
(株)厚木カルチャー
協力:玉城流喜納の会
なお、本公演はたくさんのM.A.P.縁の方々の御協力・御支援に支えられて実現できることになりました。皆様には深く深く感謝申し上げます。
M.A.P.after5情報には御協力頂いた方々のカテゴリがたくさんあります。よろしければどうぞそれらの記事をお読みくださいませ。
⇒[subcate.龍前照明]
⇒[subcate.新城亘]
⇒[subcate.山猫合奏団]
⇒[subcate.東京奏楽舎]
⇒[subcate.喜多見で沖縄語を話す会]
《プログラムにメッセージを頂いた方のカテゴリ》
⇒[subcate.大城立裕]
⇒[subcate.又吉健次郎]
⇒[subcate.ふじたあさや]
《プログラムに広告を頂いたお店のカテゴリ》
⇒[subcate.魯園菜館]
⇒[subcate.スナックぎま]
⇒[subcate.酒菜]
⇒[subcate.中む食堂]
⇒[subcate.鳥力中央研究所]
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⇒[subcate.ななしん屋]
なお、カテゴリのない皆様やお店については、あらためて別途記事にてご紹介していく予定です。
皆様、ありがとうございました。
間もなく、幕が開きます。
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5月29日日曜日: 台風一過(暫定投稿)
《5月29日(日)-1》
東日本大震災から80日目……
台風一過。
大城立裕さんに娘を会わせたいと思った。東京の事務所にいる宇夫方女史に、先生の都合を聞いてくれるように頼んだ。
しばらくして、僕の携帯に大城先生から電話がかかってきた。午前中は台風の片付け、午後は芝居を見に行くので残念ながら時間が取れないとのこと、わざわざ直接の御連絡、恐縮至極である。
昨日、県立博物館に娘を連れて行ったことをお話した。すると池宮城さんのこと、そして佐藤優氏の話になった。
「台風は大丈夫でしたか」
「たいしたことはなかった。あっという間に通り過ぎたからねえ」
どんなに威力が大きくても、あっという間に去ってくれるならなんとかなる。どうやら、だらだらと居続ける奴のほうが厄介らしい。
地震と津波。それと原発。較べてはいけないと思いつつ、ふとそんなことを思った。
たいしたことはなかった? そういってもねえ。
今日の那覇。

パラダイス通りへ。
あら、ななしん屋。扉が壊れてる。息子さんが修理中。
ママ、裸足だし、すっぴんだから出て来れないって。

そういえばママ、6月4日の公演プログラムに、広告掲載ありがとうございました。
おや、土の看板。
土は上?昇天しちゃった?

あらまあ。

「ごうさん、いる?」と声を掛けてみた。
2階から「ああ」と眠たそうな声。
ごうさんがどんな状態で寝ていたのか、もしmixiなどというものをおやりの方がいらっしゃいましたならばごうさんの日記にて……
⇒http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1729899092…
「起こしちゃってごめんね」
「ううん、いいさー」
「扉、すごいことになってるねえ」
などとハナシつつ……
「お土産に泡盛とか買いたいんだけど、いいお店知ってる?」
「案内してあげようか」
壊れたドアをそのままに、ごうさんは着替えて出てきてくれた。
「大変だねー」などと声を掛けつつ……

国際通り。

沿道の植え込みは、みんな塩水にやられている。

でも、きっとすぐにすくすくと復活するんだろうなあ。
また変なことを言うと、きっと誰かに叱られる。でも頭の中がそうなっちまっているんだから仕方がない。
「大震災の被災地に較べれば、みんな長閑な風景に見えてくる。誰も死んでいない。そして大地に恵みを与える陽の光……」
この島のどこかにあるであろう核兵器のことを忘れていればのハナシだけれど。
この後のことは、後日追記することにしましょうね。
東日本大震災から80日目……
台風一過。
大城立裕さんに娘を会わせたいと思った。東京の事務所にいる宇夫方女史に、先生の都合を聞いてくれるように頼んだ。
しばらくして、僕の携帯に大城先生から電話がかかってきた。午前中は台風の片付け、午後は芝居を見に行くので残念ながら時間が取れないとのこと、わざわざ直接の御連絡、恐縮至極である。
昨日、県立博物館に娘を連れて行ったことをお話した。すると池宮城さんのこと、そして佐藤優氏の話になった。
「台風は大丈夫でしたか」
「たいしたことはなかった。あっという間に通り過ぎたからねえ」
どんなに威力が大きくても、あっという間に去ってくれるならなんとかなる。どうやら、だらだらと居続ける奴のほうが厄介らしい。
地震と津波。それと原発。較べてはいけないと思いつつ、ふとそんなことを思った。
たいしたことはなかった? そういってもねえ。
今日の那覇。
どっからか飛んできたとしか思えない自転車。

こいつは危ないが、放射能とどっちが危ないの?
確率的にはどうなのさ、池田信夫、答えてみろ!
こいつは危ないが、放射能とどっちが危ないの?
確率的にはどうなのさ、池田信夫、答えてみろ!
パラダイス通りへ。
あら、ななしん屋。扉が壊れてる。息子さんが修理中。
ママ、裸足だし、すっぴんだから出て来れないって。
そういえばママ、6月4日の公演プログラムに、広告掲載ありがとうございました。
おや、土の看板。
土は上?昇天しちゃった?
あらまあ。
「ごうさん、いる?」と声を掛けてみた。
2階から「ああ」と眠たそうな声。
ごうさんがどんな状態で寝ていたのか、もしmixiなどというものをおやりの方がいらっしゃいましたならばごうさんの日記にて……
⇒http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1729899092…
「起こしちゃってごめんね」
「ううん、いいさー」
「扉、すごいことになってるねえ」
などとハナシつつ……
「お土産に泡盛とか買いたいんだけど、いいお店知ってる?」
「案内してあげようか」
壊れたドアをそのままに、ごうさんは着替えて出てきてくれた。
「大変だねー」などと声を掛けつつ……
国際通り。
沿道の植え込みは、みんな塩水にやられている。
でも、きっとすぐにすくすくと復活するんだろうなあ。
また変なことを言うと、きっと誰かに叱られる。でも頭の中がそうなっちまっているんだから仕方がない。
「大震災の被災地に較べれば、みんな長閑な風景に見えてくる。誰も死んでいない。そして大地に恵みを与える陽の光……」
この島のどこかにあるであろう核兵器のことを忘れていればのハナシだけれど。
この後のことは、後日追記することにしましょうね。
5月27日金曜日: 沖縄那覇国際通り周辺にて
《5月27日(金)-1》
東日本大震災から78日目ということを忘れそうな日……
沖縄に着きました。

社長からの完全なる脱却、はじまりです。
とりあえず荷物がたくさんあるので、というのも結婚式用の礼服を持ってきたから、カミサンの実家へ向かいます。
【そうして呟いたこと】
10:40
只今沖縄の浦添市におります。決して放射能から逃げてきたわけではありません。それでもホントに久しぶりに野外で深呼吸しています。しかし台風だって?なんてこった。
10:42
しかし蒸し暑い。それでも深呼吸できる幸せ。
そして、子供たちと一緒でなければまず行かないであろう昼の国際通りを、ぶらついてみることにしました。
代行さんとよく似たかりゆしウェアを買ったキーストーンが閉店するらしい。

⇒代行さんとよく似た……
⇒かりゆしウェアを買った……
⇒国際通りのキーストーン
パラダイス通りの大東そばで大東そばと島寿司を食う。

⇒2009年6月13日の昼間の大東ソバ
⇒2009年12月22日の夜の大東ソバ平和通りへ。
あ、カンカラ三線だ。

⇒カンカラ三線のこと
カンカラ三線を売る、その妙な感覚。いったいどういう人が買うんだろう。買って、どうするんだろう。
紅芋のシェーク。

このお店で、アルバイトを募集していた。

どうやら17:00~21:30の人は見つかったらしい。
「時給700円~」っていうことは700円なんだろうね。これ、沖縄では普通。600円台もザラです。
しかし「43歳くらい迄」というのがよくわからん。
けっこうな雨模様。でもここは沖縄。濡れることを気にせず、今来た国際通りを再度西へ戻り、パレット久茂地の4階にある那覇市歴史博物館まで歩く。娘の希望。息子と女房は別行動。

ボクは、娘に付き合いながら、今後のことを考えていた。一週間前なら「戦略」とでも言ったところだが、今は少し違う。もっと根源的な、でも言葉にしようとすると、「さて、何をするか」みたいな平易な言葉しかあてはまらない思い……
“M.A.P.after5”にとっての最大のミステリー。
さあ、ボチボチモノレールに乗ろう。でないと、県立博物館でゆっくり観覧する時間がなくなってしまうから。
東日本大震災から78日目ということを忘れそうな日……
沖縄に着きました。

社長からの完全なる脱却、はじまりです。
とりあえず荷物がたくさんあるので、というのも結婚式用の礼服を持ってきたから、カミサンの実家へ向かいます。
【そうして呟いたこと】
10:40
只今沖縄の浦添市におります。決して放射能から逃げてきたわけではありません。それでもホントに久しぶりに野外で深呼吸しています。しかし台風だって?なんてこった。
10:42
しかし蒸し暑い。それでも深呼吸できる幸せ。
そして、子供たちと一緒でなければまず行かないであろう昼の国際通りを、ぶらついてみることにしました。
代行さんとよく似たかりゆしウェアを買ったキーストーンが閉店するらしい。

⇒代行さんとよく似た……
⇒かりゆしウェアを買った……
⇒国際通りのキーストーン
パラダイス通りの大東そばで大東そばと島寿司を食う。
⇒2009年6月13日の昼間の大東ソバ
⇒2009年12月22日の夜の大東ソバ平和通りへ。
あ、カンカラ三線だ。

⇒カンカラ三線のこと
カンカラ三線を売る、その妙な感覚。いったいどういう人が買うんだろう。買って、どうするんだろう。
紅芋のシェーク。

このお店で、アルバイトを募集していた。

どうやら17:00~21:30の人は見つかったらしい。
「時給700円~」っていうことは700円なんだろうね。これ、沖縄では普通。600円台もザラです。
しかし「43歳くらい迄」というのがよくわからん。
けっこうな雨模様。でもここは沖縄。濡れることを気にせず、今来た国際通りを再度西へ戻り、パレット久茂地の4階にある那覇市歴史博物館まで歩く。娘の希望。息子と女房は別行動。

ボクは、娘に付き合いながら、今後のことを考えていた。一週間前なら「戦略」とでも言ったところだが、今は少し違う。もっと根源的な、でも言葉にしようとすると、「さて、何をするか」みたいな平易な言葉しかあてはまらない思い……
“M.A.P.after5”にとっての最大のミステリー。
さあ、ボチボチモノレールに乗ろう。でないと、県立博物館でゆっくり観覧する時間がなくなってしまうから。
11月12日金曜日: “土”に行った鈴木雄介
《11月11日~12日》
新城亘氏に置き去りにされた雄介氏は、パラダイス通りの“土”に行ったらしい。

「ここは高山正樹が来る店ですか」
「そうですよ」
みたいな会話があったりして……

こんなメニューを導入したらしい。

(※じゃなくて、これは楊夫人のお店のメニューでした。楊夫人というのは……)
そして、楊夫人と会ったらしい。

楊夫人は久茂地のフラワービルにある楊香亭のオーナーさんらしい。
【Yusuke氏の世界配信その3】
⇒http://www.bcphotoshare.com/photos…

こんな手書きのメニューもあったりして……

それはこんな紙の裏に書かれてあったらしい。

そして、つけめんがスコブル美味かったらしい。

新城亘氏に置き去りにされた雄介氏は、パラダイス通りの“土”に行ったらしい。



「ここは高山正樹が来る店ですか」
「そうですよ」
みたいな会話があったりして……



こんなメニューを導入したらしい。


(※じゃなくて、これは楊夫人のお店のメニューでした。楊夫人というのは……)
そして、楊夫人と会ったらしい。

楊夫人は久茂地のフラワービルにある楊香亭のオーナーさんらしい。
【Yusuke氏の世界配信その3】
⇒http://www.bcphotoshare.com/photos…
こんな手書きのメニューもあったりして……
それはこんな紙の裏に書かれてあったらしい。
そして、つけめんがスコブル美味かったらしい。

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7月25日日曜日: たよりは一枚の画像なのだが……
※7月25日の記事です。
《2010年7月24日の24時過ぎ》
“うりずん”からどうやってパラダイス通りまでやってきたのだろうか。ちっとも記憶に無い。だいたいこういう時は、デジカメに残された画像を見て思い出すのだが、なんたってそれが無い。本当にしつこいけれど……
⇒どうして画像が無いのか
ともかく、もう日付が替わった。前の晩ごうさんに会えなかったので、再度土に行ったおぼろげな記憶がある。しかし、定かではない。
その前なんだか後なんだか、ななしん屋に顔を出したらしい。こいつは間違いない。何しろ、もう一台のデジカメにこんな画像が残っているのだから。

だが、なかじんさんとママの間にいる見目麗しき美女はいったいどなたなのだろうか。ああ、全く思い出せない。美女に会ったことを忘れるなんて、これは相当脳細胞が壊れている証拠である。
僕のデジカメを返せ!なんとかメモリーカードだけでもいいから返しておくれ。どうか僕の外部記憶装置を返してください。
そうか、このブログ自体が、脳細胞が壊れ始めた小生の外部記憶装置だったのだ。
⇒旅の続きへ
《2010年7月24日の24時過ぎ》
“うりずん”からどうやってパラダイス通りまでやってきたのだろうか。ちっとも記憶に無い。だいたいこういう時は、デジカメに残された画像を見て思い出すのだが、なんたってそれが無い。本当にしつこいけれど……
⇒どうして画像が無いのか
ともかく、もう日付が替わった。前の晩ごうさんに会えなかったので、再度土に行ったおぼろげな記憶がある。しかし、定かではない。
その前なんだか後なんだか、ななしん屋に顔を出したらしい。こいつは間違いない。何しろ、もう一台のデジカメにこんな画像が残っているのだから。
だが、なかじんさんとママの間にいる見目麗しき美女はいったいどなたなのだろうか。ああ、全く思い出せない。美女に会ったことを忘れるなんて、これは相当脳細胞が壊れている証拠である。
僕のデジカメを返せ!なんとかメモリーカードだけでもいいから返しておくれ。どうか僕の外部記憶装置を返してください。
そうか、このブログ自体が、脳細胞が壊れ始めた小生の外部記憶装置だったのだ。
⇒旅の続きへ
7月24日土曜日: 三軒ハシゴの続き
~【ななしん屋】~【Bar“土”】~あとはわからん……
《2010年7月24日午前1時54分》
CHIKIから流れて、みんなで“ななしんや”にやってきました。

當間みえさんはもうすっかり出来上がっていました。
だから、とってもいい調子でした。
ママに借りてキジムナーフェスタで使わせて貰った三線をお返ししました。
ママありがとうございました、でした。
恩納村で貰ったマンゴーをママにあげました。
「もらいものですが」でした。
ママに剥いてもらってみんなで食べました。
高山正樹が一切れ落としました。
とっても悲しそうな顔をしていました。
……と、後で西岡さんが言ってました。
そんな、ななしん屋でした。
⇒[subcate.ななしん屋]
もはや、記憶が断片的なのでした……
⇒旅の続きへ
CHIKIから流れて、みんなで“ななしんや”にやってきました。
當間みえさんはもうすっかり出来上がっていました。
だから、とってもいい調子でした。
ママに借りてキジムナーフェスタで使わせて貰った三線をお返ししました。
ママありがとうございました、でした。
恩納村で貰ったマンゴーをママにあげました。
「もらいものですが」でした。
ママに剥いてもらってみんなで食べました。
高山正樹が一切れ落としました。
とっても悲しそうな顔をしていました。
……と、後で西岡さんが言ってました。
そんな、ななしん屋でした。
⇒[subcate.ななしん屋]
それから、やっぱりみんなで“土”に行きました。
ごうさんのお宅に泊めてもらったお礼を言うつもりでした。
でもごうさんはいませんでした。
せっかくだから一杯くらい飲んでいこうということになりました。
与儀勝之さんの「雨とヤリ」がありました。
おきなわおーでぃおぶっくの、津嘉山正種さんの“人類館”がありました。
久米明さんの“ノロエステ鉄道”もありました。

でも、高山正樹の“カクテルパーティー”はありませんでした。
カウンターで、仲村清司氏が飲んでいました。
沖縄好きにはよく知られた作家でした。
西岡さんは仲村清司氏と顔見知りでした。
やっぱり沖縄は狭いのでした。
西岡さんはしばらく仲村清司氏の隣に座っていました。
仲村清司氏はバックにネコを連れていました。
西岡さんはそのネコをしばらく触っていました。
……と、後で西岡さんが言ってました。
西岡さんが戻ってきました。
高山正樹がみんなの写真を撮りました。

そんな、“土”でした。
⇒[subcate.沖縄Bar土]
午前2時51分。
ごうさんのお宅に泊めてもらったお礼を言うつもりでした。
でもごうさんはいませんでした。
せっかくだから一杯くらい飲んでいこうということになりました。
与儀勝之さんの「雨とヤリ」がありました。
おきなわおーでぃおぶっくの、津嘉山正種さんの“人類館”がありました。
久米明さんの“ノロエステ鉄道”もありました。
でも、高山正樹の“カクテルパーティー”はありませんでした。
カウンターで、仲村清司氏が飲んでいました。
沖縄好きにはよく知られた作家でした。
西岡さんは仲村清司氏と顔見知りでした。
やっぱり沖縄は狭いのでした。
西岡さんはしばらく仲村清司氏の隣に座っていました。
仲村清司氏はバックにネコを連れていました。
西岡さんはそのネコをしばらく触っていました。
……と、後で西岡さんが言ってました。
西岡さんが戻ってきました。
高山正樹がみんなの写真を撮りました。
そんな、“土”でした。
⇒[subcate.沖縄Bar土]
午前2時51分。
もはや、記憶が断片的なのでした……
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7月23日金曜日: 三軒ハシゴの一軒目は“CHIKI”
宇夫方女史は今年3月20日以来、高山正樹は初めての“CHIKI”です。
何故か頬っぺたをつまんでいた西岡美幸ちゃんと、チーム琉球と命名された那覇の沖縄語を話す会の皆さんをお誘いしました。でも沖縄語の皆さんは仕事がお忙しくて(沖縄の労働環境は苛酷です)、県庁にお勤めの當間さんだけが来てくださいました。

當間みえさんは2度目のM.A.P.after5登場、美幸ちゃんはもうお馴染みですね。
さて、ここCHIKIですが、なかじんさんが教えてくれたお店です。沖縄の食べ物屋さんに対して手厳しいコメントを発するなかじんさんが「おいしい」と推薦するお店、さてお味は如何?

確かにおいしい。いい意味で、沖縄にいるということを忘れさせてくれる味です。

もちろんゴーヤーだって使います。でもそれも沖縄で店を出しているのだから、ごく自然に地元の野菜を使っているというだけのこと。

器だってセンスのいい壷屋焼きですが、それも自然。沖縄でいい器を入手しようと思えば、壷屋焼きが一番手軽に決まっています。

ヒラヤーチーなんてメニューもあるにはあります。沖縄に来てもう一週間以上になります。せっかくこういうお店に来て、わざわざヒラヤーチーを頼まなくてもよかったのですが、なにぶん宇夫方女史が好きな炭水化物なので。他の女性も賛成。美幸ちゃん、頬っぺたつまむぞ。

マグロのカマ。シークァーサーが添えてあったりしますが、沖縄の雰囲気はゼロです。

それもそのはず、CHIKIのマスターはヤマトゥンチュ。奥さんは沖縄の方ですが。
おいしい料理に会話も弾む、そんな感じ。もうだいぶ食べたけど、當間さんが電話でチーム琉球のお仲間を呼び出しました。ここはやっぱり沖縄。すごく遅い時間から飲みに出るなんて普通のことですから。

やって来たのは澤岻弥生さん。ヤマトから沖縄に嫁いでいらっしゃいました。東京のM.A.P.主催の沖縄語を話す会は、あっちへ転びこっちへ転び。おかげでちっともウチナーグチがしゃべれるようにはならないのだけれど、そんな沖縄語をめぐる雑談を通して、色々な沖縄が見えてくる、それがとっても楽しいのです、そんな話に、弥生さんはとっても興味をもってくださいました。沖縄でウチナーグチを学ぶことと、少し離れた東京で、それもどちらかといえばヤマトゥンチュが中心になってウチナーグチを学ぶこととは、やっぱり少し違います。ちょっと硬い言葉で言うならば、東京で勉強していると、沖縄と大和の比較文化論みたいになってくる。沖縄を鏡にして、日本の文化も見えてくるのです。そこがおもしろい。たぶん、彼女が沖縄にお嫁さんに来たヤマトゥンチュだからこそ、そこに興味が沸くのだと思うのです。
東京にいらっしゃる機会があれば、是非喜多見の会にも顔を出してくださいね。
てなコアなハナシをしていても、まだまだ頼む料理。メニューにないゴーヤーチャンプルー。マスター曰く「作りますよ。でも僕、ポークが嫌いなんですよね。だから豚肉ですけど、いいですか」
もちろん結構。むしろ大歓迎です。

ともかくおいしいのです。「ポークが嫌い」というマスター。沖縄へ観光に行く人には興味の沸かないお店かもしれません。でもね、ポークなんて、戦後米軍が持ち込んだ「毒」です。むしろこの店にこそ、本当の沖縄のひとつがある、そんな気もするのです。
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何故か頬っぺたをつまんでいた西岡美幸ちゃんと、チーム琉球と命名された那覇の沖縄語を話す会の皆さんをお誘いしました。でも沖縄語の皆さんは仕事がお忙しくて(沖縄の労働環境は苛酷です)、県庁にお勤めの當間さんだけが来てくださいました。
當間みえさんは2度目のM.A.P.after5登場、美幸ちゃんはもうお馴染みですね。
さて、ここCHIKIですが、なかじんさんが教えてくれたお店です。沖縄の食べ物屋さんに対して手厳しいコメントを発するなかじんさんが「おいしい」と推薦するお店、さてお味は如何?
確かにおいしい。いい意味で、沖縄にいるということを忘れさせてくれる味です。
もちろんゴーヤーだって使います。でもそれも沖縄で店を出しているのだから、ごく自然に地元の野菜を使っているというだけのこと。
器だってセンスのいい壷屋焼きですが、それも自然。沖縄でいい器を入手しようと思えば、壷屋焼きが一番手軽に決まっています。
ヒラヤーチーなんてメニューもあるにはあります。沖縄に来てもう一週間以上になります。せっかくこういうお店に来て、わざわざヒラヤーチーを頼まなくてもよかったのですが、なにぶん宇夫方女史が好きな炭水化物なので。他の女性も賛成。美幸ちゃん、頬っぺたつまむぞ。
マグロのカマ。シークァーサーが添えてあったりしますが、沖縄の雰囲気はゼロです。
それもそのはず、CHIKIのマスターはヤマトゥンチュ。奥さんは沖縄の方ですが。
おいしい料理に会話も弾む、そんな感じ。もうだいぶ食べたけど、當間さんが電話でチーム琉球のお仲間を呼び出しました。ここはやっぱり沖縄。すごく遅い時間から飲みに出るなんて普通のことですから。
やって来たのは澤岻弥生さん。ヤマトから沖縄に嫁いでいらっしゃいました。東京のM.A.P.主催の沖縄語を話す会は、あっちへ転びこっちへ転び。おかげでちっともウチナーグチがしゃべれるようにはならないのだけれど、そんな沖縄語をめぐる雑談を通して、色々な沖縄が見えてくる、それがとっても楽しいのです、そんな話に、弥生さんはとっても興味をもってくださいました。沖縄でウチナーグチを学ぶことと、少し離れた東京で、それもどちらかといえばヤマトゥンチュが中心になってウチナーグチを学ぶこととは、やっぱり少し違います。ちょっと硬い言葉で言うならば、東京で勉強していると、沖縄と大和の比較文化論みたいになってくる。沖縄を鏡にして、日本の文化も見えてくるのです。そこがおもしろい。たぶん、彼女が沖縄にお嫁さんに来たヤマトゥンチュだからこそ、そこに興味が沸くのだと思うのです。
東京にいらっしゃる機会があれば、是非喜多見の会にも顔を出してくださいね。
てなコアなハナシをしていても、まだまだ頼む料理。メニューにないゴーヤーチャンプルー。マスター曰く「作りますよ。でも僕、ポークが嫌いなんですよね。だから豚肉ですけど、いいですか」
もちろん結構。むしろ大歓迎です。
ともかくおいしいのです。「ポークが嫌い」というマスター。沖縄へ観光に行く人には興味の沸かないお店かもしれません。でもね、ポークなんて、戦後米軍が持ち込んだ「毒」です。むしろこの店にこそ、本当の沖縄のひとつがある、そんな気もするのです。
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