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《8月4日(木)~5日(金)》
夜、マスターにお礼しなければと“うりずん”へ。

詳細は後日、まずはざっと報告。

入嵩西康文さんもいらっしゃいました。
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今夜も宇夫方女史は踊ります。
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お客さんたちも最高に楽しそうです。
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もちろん仕切っているのは新城亘先生。
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“うりずん”のオーナー土屋さんの実に楽しそうな笑顔。

亘先生を中心に、女性のお客様たちを交えての恒例の記念撮影。
その1
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あれ、なんで楠さんいるの?
その2
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まあ、准ちゃんまで。
そうなんです。ふたり、台風で帰れなかったんです。

だから、詳細は後日。


それから“土”へ行って……
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“ななしん屋”に行って……
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[subcate.ななしん屋]
そして午前様。

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《7月27日25時》
あの大震災から140日目に……
夜は栄町の“うりずん”へ。
キジムナーフェアの“チョンダラーの歌”の案内と名護市民会館の“どんぐりと山猫”のチラシを貼って下さってました。感謝。
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今夜の集まりの名目は“チョンダラーの歌”の打合せなのですが……
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詳細は後日。
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国際通りを西へ移動中。
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(鈴木雄介氏撮影)

まず“じんじん”に寄って……
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“ななしん屋”にたどり着いたのは11時過ぎ。
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ママです。
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おや……
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アップ!
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それから土へ。
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とりあえずの覚書き。


5月29日日曜日: 台風一過(暫定投稿)

《5月29日(日)-1》
東日本大震災から80日目……
台風一過。

大城立裕さんに娘を会わせたいと思った。東京の事務所にいる宇夫方女史に、先生の都合を聞いてくれるように頼んだ。
しばらくして、僕の携帯に大城先生から電話がかかってきた。午前中は台風の片付け、午後は芝居を見に行くので残念ながら時間が取れないとのこと、わざわざ直接の御連絡、恐縮至極である。
昨日、県立博物館に娘を連れて行ったことをお話した。すると池宮城さんのこと、そして佐藤優氏の話になった。

「台風は大丈夫でしたか」
「たいしたことはなかった。あっという間に通り過ぎたからねえ」

どんなに威力が大きくても、あっという間に去ってくれるならなんとかなる。どうやら、だらだらと居続ける奴のほうが厄介らしい。
地震と津波。それと原発。較べてはいけないと思いつつ、ふとそんなことを思った。

たいしたことはなかった? そういってもねえ。

今日の那覇。
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どっからか飛んできたとしか思えない自転車。
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こいつは危ないが、放射能とどっちが危ないの?
確率的にはどうなのさ、池田信夫、答えてみろ!

パラダイス通りへ。
あら、ななしん屋。扉が壊れてる。息子さんが修理中。
ママ、裸足だし、すっぴんだから出て来れないって。
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そういえばママ、6月4日の公演プログラムに、広告掲載ありがとうございました。

おや、土の看板。
土は上?昇天しちゃった?
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あらまあ。
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「ごうさん、いる?」と声を掛けてみた。
2階から「ああ」と眠たそうな声。
ごうさんがどんな状態で寝ていたのか、もしmixiなどというものをおやりの方がいらっしゃいましたならばごうさんの日記にて……
 ⇒http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1729899092…
「起こしちゃってごめんね」
「ううん、いいさー」
「扉、すごいことになってるねえ」

などとハナシつつ……

「お土産に泡盛とか買いたいんだけど、いいお店知ってる?」
「案内してあげようか」

壊れたドアをそのままに、ごうさんは着替えて出てきてくれた。

「大変だねー」などと声を掛けつつ……
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国際通り。
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沿道の植え込みは、みんな塩水にやられている。
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でも、きっとすぐにすくすくと復活するんだろうなあ。

また変なことを言うと、きっと誰かに叱られる。でも頭の中がそうなっちまっているんだから仕方がない。

「大震災の被災地に較べれば、みんな長閑な風景に見えてくる。誰も死んでいない。そして大地に恵みを与える陽の光……」

この島のどこかにあるであろう核兵器のことを忘れていればのハナシだけれど。

この後のことは、後日追記することにしましょうね。



11月12日金曜日: “土”に行った鈴木雄介

《11月11日~12日》
新城亘氏に置き去りにされた雄介氏は、パラダイス通りの“土”に行ったらしい。
“土”の棚 “土”の棚とオーナーのごうさん YEBISU
「ここは高山正樹が来る店ですか」
「そうですよ」
みたいな会話があったりして……
グラス越しのごうさん グラス越しの笑ったごうさん グラス越しの白黒のごうさん
こんなメニューを導入したらしい。
液晶画面のメニュー メニューのアップ
(※じゃなくて、これは楊夫人のお店のメニューでした。楊夫人というのは……)
そして、楊夫人と会ったらしい。
楊鈴君(yang)さん
楊夫人は久茂地のフラワービルにある楊香亭のオーナーさんらしい。
【Yusuke氏の世界配信その3】
 ⇒http://www.bcphotoshare.com/photos…
楊香亭の案内
こんな手書きのメニューもあったりして……
手書きのメニュー
それはこんな紙の裏に書かれてあったらしい。
4.25県民大会のビラ
そして、つけめんがスコブル美味かったらしい。
つけめん
午前2時頃、ごうさんと鈴木雄介氏は、こんなふうに、うちとけたらしい。
肩を組むごうさんと鈴木雄介
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※7月25日の記事です。
《2010年7月24日の24時過ぎ》
“うりずん”からどうやってパラダイス通りまでやってきたのだろうか。ちっとも記憶に無い。だいたいこういう時は、デジカメに残された画像を見て思い出すのだが、なんたってそれが無い。本当にしつこいけれど……
 ⇒どうして画像が無いのか
ともかく、もう日付が替わった。前の晩ごうさんに会えなかったので、再度土に行ったおぼろげな記憶がある。しかし、定かではない。

その前なんだか後なんだか、ななしん屋に顔を出したらしい。こいつは間違いない。何しろ、もう一台のデジカメにこんな画像が残っているのだから。
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だが、なかじんさんとママの間にいる見目麗しき美女はいったいどなたなのだろうか。ああ、全く思い出せない。美女に会ったことを忘れるなんて、これは相当脳細胞が壊れている証拠である。

僕のデジカメを返せ!なんとかメモリーカードだけでもいいから返しておくれ。どうか僕の外部記憶装置を返してください。
そうか、このブログ自体が、脳細胞が壊れ始めた小生の外部記憶装置だったのだ。
(※この記事は2011年2月3日にアップしました。)
[subcate.ななしん屋]
[subcate.なかじんさん]
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《2010年7月24日午前1時54分》
CHIKIから流れて、みんなで“ななしんや”にやってきました。
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當間みえさんはもうすっかり出来上がっていました。
だから、とってもいい調子でした。
ママに借りてキジムナーフェスタで使わせて貰った三線をお返ししました。
ママありがとうございました、でした。
恩納村で貰ったマンゴーをママにあげました。
「もらいものですが」でした。
ママに剥いてもらってみんなで食べました。
高山正樹が一切れ落としました。
とっても悲しそうな顔をしていました。
……と、後で西岡さんが言ってました。
そんな、ななしん屋でした。
[subcate.ななしん屋]

それから、やっぱりみんなで“土”に行きました。
ごうさんのお宅に泊めてもらったお礼を言うつもりでした。
でもごうさんはいませんでした。
せっかくだから一杯くらい飲んでいこうということになりました。
与儀勝之さんの「雨とヤリ」がありました。
おきなわおーでぃおぶっくの、津嘉山正種さんの“人類館”がありました。
久米明さんの“ノロエステ鉄道”もありました。
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でも、高山正樹の“カクテルパーティー”はありませんでした。
カウンターで、仲村清司氏が飲んでいました。
沖縄好きにはよく知られた作家でした。
西岡さんは仲村清司氏と顔見知りでした。
やっぱり沖縄は狭いのでした。
西岡さんはしばらく仲村清司氏の隣に座っていました。
仲村清司氏はバックにネコを連れていました。
西岡さんはそのネコをしばらく触っていました。
……と、後で西岡さんが言ってました。
西岡さんが戻ってきました。
高山正樹がみんなの写真を撮りました。
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そんな、“土”でした。
[subcate.沖縄Bar土]

午前2時51分。

もはや、記憶が断片的なのでした……

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タイフーンFMを後にして、パラダイス通りへ向かいました。
機織工房“しおん”の長池朋子さんが参加しているグループ「てぃとぅてぃ」が、“tituti"というお店を開いたのです。「てぃとぅてぃ(tituti)」は「手と手」ということですね。
《“てぃとぅてぃ”の関連記事》
 ⇒「オキナワンクラフト“うりずん”」のこと
 ⇒「“喜瀬の風”展」の案内
 ⇒“喜瀬の風”展(喜瀬別邸にて)
 ⇒「オキナワンクラフト“桜”」の案内
 ⇒ オキナワンクラフト“桜”(哲学の道・ギャラリー“花いろ”にて)

《長池さんから届いていた案内はがき》
titutiの案内はがき

古い民家を改装したお店。オープンしてまだ2週間足らず。
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長池さん、素敵なお店ですね。おめでとうございます。
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ホームページを見つけました。M.A.P.には真似の出来ないとっても素敵なサイトです。
 ⇒http://tituti.jimdo.com…
titutiについて、ホームページには「異分野の工芸家(陶芸/漆芸/紅型/織物/木工)とデザイナー、インテリアコーディネーターとで集うブランドネーム」と書かれています。私たちが何かを語るより、そちらをご覧頂く方がよさそうですね。

この日、お店にいたお仲間たちと記念撮影をさせていただきました。
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左から、お馴染みの織物担当の長池朋子さん、真ん中の方がtitutiのインテリアコーディネーター金城雅子さん、そして右の方が木工作家の西石垣友里子さんです。
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場所はこちら……
 ⇒titutiのブログのMAPのページ
那覇にお越しの際は、是非一度お立ち寄りのほどを。

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《2010年7月23日》
彫刻家、金城実氏のアトリエは読谷の儀間にある。「ホテル日航アリビラ入口の交差点から残波岬方面へ向かい1つ目を右折すると金城実アトリエの看板がある」と、箆柄暦(ぴらつかごよみ)という沖縄関連イベント情報サイトに案内がある。
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残波岬から南へ2km、海から東へ1kmあたり、大小のサトウキビ畑と住宅の混在する地域の一角。大きなトラックが出発しようとしていた。8月から東京で開催される金城実展に出品する作品を、たった今積み終わったところで、明日には金城実さんも沖縄を出発する。僕らは実にいいタイミングだったようだ。今日を逃しては、金城さんとお話しできる機会はずっと先になったに違いない。

初対面の挨拶など特にない。土のオーナーのごうさんが一応僕らのことを紹介してくれたが、どうやらそんなものも必要ない。金城さんにとっては、近所の顔見知りがちょっと寄ったのとなんら変わりがないようだ。トラックを見送ると、アトリエの中へ招かれるでもなく、当然のようにみんなで入っていった。

金城さんは、テレビ番組のDVDが送られてきたから見るかとごうさんに聞く。見る見ないの返事なんか待つことなく、DVDを持ってきて機械にセットした。
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沖縄で放送されたばかりのTV番組らしい。
JNNルポルタージュ“ちゃーすが(どうする)!?沖縄~金城実のレジスタンス”
「なかなかうまく編集してるなあ」
関東でも、いずれ放送されるはずである。

作品の多くはトラックに載って出かけてしまったが、残ったものや製作中のものを見せていただいた。それらは、歴史上の人物のデスマスクだった。

平敷屋朝敏のデスマスク。
金城実・作「平敷屋朝敏のデスマスク」
平敷屋朝敏(へしちゃちょうびん)は玉城朝薫と同時代に活躍した文学者である。「手水の縁」という組踊りの作者だとされるが、それに疑問を呈する学者もいる。琉球王府に叛いたとして、わずか34歳で磔の刑に処された。琉球王府が平敷屋朝敏の記録を抹殺したのだろうか、この事件についても謎が多い。
しかし、平敷屋朝敏に関わる歴史の真偽について、ここでどうこう言うつもりは無い。今日の主役は金城実である。伝説の平敷屋朝敏像を語ることによって、現代に生きる金城実の実相が浮かび上がればそれでいい。

(以下覚え書き、順次執筆中)

なぜ朝薫ではなく、平敷屋朝敏なのか。

瀬長亀次郎のこと。
金城実・作「瀬長亀次郎」

製作中のチェ・ゲバラのデスマスク。
金城実製作中のチェ・ゲバラのデスマスク
なぜ、木彫りなのか。
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恨を解いて浄土を生きる。

倒木に実が生るのを待つ。
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祈りの壁はすべてを突き破るか。
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(サイドバーに文字のないところなら、突き破るのです。⇒)

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7月23日金曜日: 読谷の海を眺めながら

朝の散歩を終えて、読谷の海辺でお茶をしに出掛けた。

撮影中のボク。
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ボクが撮った海。
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今から65年前、ここから米軍が上がってきたのだ。
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義理の母も逃げた。そして蘇鉄を食べて生き延びた。
その恐怖がどれほどのものであったのか、どうか想像してみて欲しい。
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やっぱり、ボクは沖縄で癒されることなんかない。

海岸にオオハマボウの木が植えられていた。
オオハマボウの花 null
オオハマボウの花は赤くなって散る。あるいは散ってなお赤くなったのか。沖縄では墓の近くに咲くアカバナーを後生花と呼ぶ。
散ったオオハマボウの花
実はこの記事、11月23日のハイビスカスの記事をアップした後に書いたのだ。どうしてもその順番でアップしたかったのだ。ブログで、そんなこんなややこしい細工をしてみたところで、誰も気がついてくれそうもないのだが、ボクの独りよがりの自己満足なのだ。

つまり「オオハマボウ」の別名が「ゆうな」であるということ。
なぜごうさんは、それを教えてくれなかったのだろう。

さあ、いよいよ、金城実氏のアトリエへ向かうのだ。

もう沖縄の朝はもうすっかり暑い。
さとうきび畑のスプリンクラーが動き出した。
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沖縄タイムスの真久田さんと別れて、読谷(よみたん)に向かった。“土”のごうさんが読谷に住んでいる。そのごうさんに、チビチリガマを案内してもらうのだ。
沖縄にはたくさんの鍾乳洞がある。その自然の洞窟を沖縄の人は「ガマ」と呼ぶ。「ガマ」は、あの沖縄戦で防空壕や避難壕になった。読谷にあるチビチリガマも、そうしたガマのひとつである。
 ⇒読谷村戦跡めぐりマップ
小さな駐車スペースに車を止めて、ごうさんの忠告で手足に虫除けスプレーを吹きかけて、ガマの前の広場へと降りて行く。
チビチリガマへの階段
そこにはアメシガーラという細い川が流れていた。その流れは、ガマの中へ消えていくのだが、その先、どこに繋がっているのか、誰も知らない。
アメシガーラ(アメシ川)
「チビ」は尻のこと。「チリ」は切るという意味。つまり「チビチリ」の名は、この「尻切れトンボ」の川に由来している。
チビチリガマ
ガマの入り口にはこんな立ち入り禁止の看板が立てられている。
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「ここから先は、墓となっていますので……」
「私達、肉親の骨が多数残っています」
不思議な文言である。

1945年4月1日、アメリカ軍は読谷において上陸を開始、沖縄本島における地上戦が始まる。翌々日の4月3日に、このチビチリガマで悲劇が起きるのだが、以来この場所は近寄ってはならない場所となり、人々は口を閉ざした。
1983年に刊行された『沖縄大百科事典』に「チビチリガマ」の項目はない。

下嶋哲朗氏が、読谷から開拓者として八重山に渡った当山ウトさんと出会ったのは1978年のことだった。
戦後の八重山開拓移民のことも、日本人の多くが知らない。その歴史を知ってもなお、沖縄に基地を押し付けることを致し方なしと判断する日本人がいるとしたら、日本という国など消えてしまって構わないとさえ僕は思う。しかしそれはまた別の機会に話そう。
1983年の夏、下嶋哲朗氏が中心になって調査が始まる。そして、チビチリガマであった「集団自決」の真実が明らかにされていった。
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読谷村では、「村史」のうち、第五巻の資料編4 『戦時記録』 上下巻を、Web上で公開している。
 ⇒http://www.yomitan.jp/sonsi…
村史には読谷村の「集団自決」について、12ページに亘って記述がある。ここで、僕がそれを要約することはしない。是非ご自分でお読みいただきたい。
 ⇒http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/index.htm

チビチリガマの左手に大きな碑があって、次のような言葉が刻まれていた。

チビチリガマから世界へ平和の祈りを
1945年4月1日、米軍はこの読谷村の西海岸から沖縄本島へ上陸した。それは、住民を巻き込んだ悲惨な沖縄戦・地上戦であった。その日のうちに、米軍はチビチリガマ一帯に迫っていた。翌2日、チビチリガマへ避難していた住民約140名中、83名が「集団自決」をした。 尊い命を喪った。
あれから38年後、やっと真相が明らかになった。その結果、83名のうち約6割が18歳以下の子供達であった。その他、2名が米兵の手によって犠牲になった。
「集団自決」とは「国家のために命をささげよ」「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」といった皇民化教育、軍国主義による強制された死のことである。
遺族は、チビチリガマから世界へ平和の祈りを、と「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を彫刻家金城實氏と住民の協力のもとに制作した。しかし、像の完成から7ヶ月後、11月8日、心なき者らにより像は無残にも破壊された。住民は怒り、遺族は嘆いた。
全国の平和を願う人々はそのことを憤り、励ましと多大なカンパを寄せた。あれから7年が経過し平和の像の再建が実現した。チビチリガマの犠牲者への追悼と平和を愛するすべての人々の思いを込め、沖縄終戦50周年にあたり、再び国家の名において戦争への道を歩まさないことを決意し、ここに碑を建立する。
1995年4月2日
チビチリガマ遺族会

再建された平和の像は、ガマの右にある。既に黄昏近く、安物のデジカメで写すには暗かった。はたして、坐像が見えるだろうか。
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M.A.P.では、先に読谷にまつわる2本の映画の上映会を開いた。
 ⇒第一夜【ゆんたんざ沖縄(1987年)】
 ⇒第二夜【チビチリガマから日本国を問う!(2010年)】
しかし告知宣伝がママならず、残念ながら多くの方にご覧頂くことができなかった。こういう作品を声高に宣伝することに何故か躊躇してしまう役者の性癖。しかし、それはプロデューサーならあってはならぬこと、忸怩たる思いである。

平和の像を制作した金城実氏は、読谷にアトリエを構えている。ごうさんのお友達である。だから、アトリエへごうさんに連れて行って貰おうと思っている。しかし今日はもう遅い。あつかましくもごうさんのお宅に泊めていただくことになった。

太陽が読谷の海に沈んでいく。
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沖縄の空には雲が多い。天辺の空に雲がないことはよくあることだが、水平線近くの空は、角度の所為で大気が厚い。だから、読谷の太陽が、雲に隠れずに海に沈むことは殆どないという。
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この日も、太陽は海に到達する前に、灰色の雲の中に没していった。

スクで一杯。
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ごうさんと奥様に感謝。
旅の続きへ 

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高山正樹 Masaki Takayama
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