3月10日火曜日: うぶかたみちの沖縄日報(6)
【うぶかたの夜の報告】
“ななしん屋”のママ。いままでちゃんと撮ったことがなかったので。

“土”の夜を任された大西君。兵庫県出身。

おやすみなさい……
【高山正樹から】
“パラダイス通り”というカテゴリーを作ってみました。
http://lince.jp/hito/okinawamap/paradise/
“ななしん屋”のママ。いままでちゃんと撮ったことがなかったので。
“土”の夜を任された大西君。兵庫県出身。
おやすみなさい……
【高山正樹から】
“パラダイス通り”というカテゴリーを作ってみました。
http://lince.jp/hito/okinawamap/paradise/
2月22日日曜日: 宇夫方路の沖縄定期報告
まずは、宜野湾で太鼓の稽古。
その後、プリティちえちゃんに会って今後の打ち合わせ。
今日も、とっても若い千恵ちゃんでした。

ほんとはいくつ?
その後、古島で金城君と会議。
その後、西原で六月の公演の稽古。
その後、その会議。もう夜。
以上。
明日の朝の飛行機で戻ります。
では、おやすみなさい。
その後、プリティちえちゃんに会って今後の打ち合わせ。
今日も、とっても若い千恵ちゃんでした。

ほんとはいくつ?
その後、古島で金城君と会議。
その後、西原で六月の公演の稽古。
その後、その会議。もう夜。
以上。
明日の朝の飛行機で戻ります。
では、おやすみなさい。
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2月13日金曜日: うぶかたさんの沖縄通信その1
「土」のごうさんに、高山正樹に頼まれた本を届けてきました。

稽古で汗をかいて、シャワーを浴びて、おもろまちから歩いて「土」に着いて、生ビールを頼んで、泡が落ち着くまでのビールのお預け状態。

わたし、早稲田小劇場出身なんですけど、別役さんのお芝居、まともに読んだことありません。だって、ワケ分かんないんだもん
本を受け取って喜ぶごうさんです。


稽古で汗をかいて、シャワーを浴びて、おもろまちから歩いて「土」に着いて、生ビールを頼んで、泡が落ち着くまでのビールのお預け状態。

わたし、早稲田小劇場出身なんですけど、別役さんのお芝居、まともに読んだことありません。だって、ワケ分かんないんだもん
本を受け取って喜ぶごうさんです。

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2月 5日木曜日: 儀間進氏(沖縄5日目の午後)
創業25周、金城君行きつけの店「あやぐ食堂」のメニューです。

食い過ぎた。といって、これ全部食べたわけじゃないよ。
さて儀間進先生、なんとかお元気になられたようで、本日お会いできることになりました。先生行きつけの本屋さんの裏にあるカフェにて。
お会いするなり…
「うまいこと書いていたねえ」
「え…」
先日の琉球新報に書いた小生の拙い文章のことでありました。このお言葉は、少しく弱っていた僕にとって、なによりの薬でした。
「しかしあんなに琉大文学に気を使わなくていいですよ。琉大文学を知っている人なんて殆どいないのだから」と素敵な笑顔。
「琉大文学」のことなんか一言も書いていないのに、恐れ入りました。
「第三の目が必要なのです。それがないと立体にならないからね。」
儀間先生。今のお言葉、肝に銘じます。そしてこの上ないエールとして受け取らせていただきます。ありがとうございました。
今日は、平良とみさんや兼城道子さんのお名前もあがりました。平良とみさんは全国区ですが、兼城道子さんは今はなき「乙姫劇団」の僕が大好きだった間好子さんの跡を引き継いでいらっしゃるお方。
さあ、後は当たって砕けろです。
ではまた、と別れると、儀間先生は本屋さんへ。
僕もちょっと行ってみよう…

「先生、何かお勧めの小説は?」
「僕、小説は読まないの」
「うふふ…」
じゃあ、「おきなわおーでぃおぶっく」を聞いてください!って、言えばよかったな。
帰りがけに榕樹書林へ御挨拶。ついでに「人類館」納入。
御店主の武石さんの笑顔です。

『大城立裕全集』がありました。
武石さんは「りつゆう」と音読みで呼び捨て。大城立裕先生が文豪であることの証明ですな。文人の号は音読みという決まりがあった名残りかな。政治家伊藤博文は「ひろふみ」、文人伊藤博文は「はくぶん」ということです。
宿に車を置いて、国際通りを“じんじん”に向かいます。

“じんじん”のお通しは、ゆしどうふ。

未来の沖縄を背負って立つ若者3名+沖縄オバア化の止まらない東北岩手の女と、ウチナーヤマトグチを操る年齢不詳の独身美女と、「ヤマトンチュではない、俺は宇宙人だ」と加齢臭を漂わす髭のおっさん。

本ブログ初登場のお二人は、まじめにご紹介。
Funny Style代表、新里玲王奈くん。
Funny Styleのブログへはこちらから。
⇒http://funnystyle.ti-da.net/
教育学を専攻していた親川志奈子さん。
あれ、教育学やってたのは琉球大学で?それともハワイで? で、今は何をしているとご紹介すればいいの?
うーん、不手際お許しを。あらためて正しく御紹介するために、是非再会の機会がありますように。
今のところは、ミステリーということにしておきましょうね。
では三日続けての「土」です。

ごうさんです。

おやすみなさい。

井上真喜さま。金城くんを首里の家まで、よろしくお願いいたします。
旅の続きへ

食い過ぎた。といって、これ全部食べたわけじゃないよ。
さて儀間進先生、なんとかお元気になられたようで、本日お会いできることになりました。先生行きつけの本屋さんの裏にあるカフェにて。
お会いするなり…
「うまいこと書いていたねえ」
「え…」
先日の琉球新報に書いた小生の拙い文章のことでありました。このお言葉は、少しく弱っていた僕にとって、なによりの薬でした。
「しかしあんなに琉大文学に気を使わなくていいですよ。琉大文学を知っている人なんて殆どいないのだから」と素敵な笑顔。
「琉大文学」のことなんか一言も書いていないのに、恐れ入りました。
「第三の目が必要なのです。それがないと立体にならないからね。」
儀間先生。今のお言葉、肝に銘じます。そしてこの上ないエールとして受け取らせていただきます。ありがとうございました。
今日は、平良とみさんや兼城道子さんのお名前もあがりました。平良とみさんは全国区ですが、兼城道子さんは今はなき「乙姫劇団」の僕が大好きだった間好子さんの跡を引き継いでいらっしゃるお方。
さあ、後は当たって砕けろです。
ではまた、と別れると、儀間先生は本屋さんへ。
僕もちょっと行ってみよう…

「先生、何かお勧めの小説は?」
「僕、小説は読まないの」
「うふふ…」
じゃあ、「おきなわおーでぃおぶっく」を聞いてください!って、言えばよかったな。
帰りがけに榕樹書林へ御挨拶。ついでに「人類館」納入。
御店主の武石さんの笑顔です。

『大城立裕全集』がありました。
武石さんは「りつゆう」と音読みで呼び捨て。大城立裕先生が文豪であることの証明ですな。文人の号は音読みという決まりがあった名残りかな。政治家伊藤博文は「ひろふみ」、文人伊藤博文は「はくぶん」ということです。
宿に車を置いて、国際通りを“じんじん”に向かいます。

“じんじん”のお通しは、ゆしどうふ。

未来の沖縄を背負って立つ若者3名+沖縄オバア化の止まらない東北岩手の女と、ウチナーヤマトグチを操る年齢不詳の独身美女と、「ヤマトンチュではない、俺は宇宙人だ」と加齢臭を漂わす髭のおっさん。

本ブログ初登場のお二人は、まじめにご紹介。
Funny Style代表、新里玲王奈くん。
Funny Styleのブログへはこちらから。
⇒http://funnystyle.ti-da.net/
教育学を専攻していた親川志奈子さん。
あれ、教育学やってたのは琉球大学で?それともハワイで? で、今は何をしているとご紹介すればいいの?
うーん、不手際お許しを。あらためて正しく御紹介するために、是非再会の機会がありますように。
今のところは、ミステリーということにしておきましょうね。
では三日続けての「土」です。

ごうさんです。

おやすみなさい。

井上真喜さま。金城くんを首里の家まで、よろしくお願いいたします。
旅の続きへ
2月 4日水曜日: 沖縄出張4日目、長ーい一日
朝一、対馬丸記念館再訪、“カクテル・パーティー”納入。
時間がちょっとあるので…
福州園へ
あら休園。

じゃあ、ということで識名園へ
途中、与儀公園の脇を通ったので……

休憩中(?)のおじさん二人と、よく見えませんが「フレンド」という赤い看板を撮影してみました。
夜、女性一人で歩いても安心な公園。なぜ?
男性の場合は100円ライター2回カチカチが合図だとか。何の?
ミステリー。
識名園、おや休園。

残念。そうだ、せっかくここまで来たんだから識名壕を覗いてみましょう。
今回は、お家の方にご挨拶ができました。でも灯を持っていないので、ちょっと入口を見るだけです。前回の画像は中から撮影したものです。

ここに休園なんかありません。毎日の生活の中に祈りがあるのだから。
振り返れば、ここにも生活の匂いがするこんな風景が拡がっています。

⇒前回の識名園と識名壕の記事を読む。
お昼。
沖縄タイムスで教わった「てぃあんだー」で食事、そばタイムです。

さあ、食べるわよ、長島さん!

長島さん。お久しぶりです。長島千加さんは白石准ウォッチャーです。山猫合奏団沖縄誘致を画策してくださっていたりするのですが、夕刊がなくなるくらいの不景気で、なかなか「ムチカシー」、じゃない「ムチカサン」。

ご馳走様でした。 …ん?

「売切れ次第で完売」って、この看板、なんか変じゃない?
さて、お仕事の始まりです。金城君も合流。
沖縄テレビへ。
船越義輔さんは営業部長。
「対馬丸」は大城立裕・嘉陽安男・船越義彰の共著ですが、義輔さん、その船越義彰氏の御子息でいらっしゃいます。そんな繋がりで、大城立裕さんからご紹介して頂いたのです。

長島さんが撮影。ちょいと笑顔が足りないなあ。みんなちょっとお疲れかな。
ここでもちょっとおもしろいお話を伺いました。これも近いうちにOfficial_Blogにてご報告します。お楽しみに。)
商用でおきなわ堂へ。商談のお相手はいしだ文栄堂卸部の部長さん。

いよいよ始動!ミステリーの解明はすぐそこです!
で、人類館はどうしたかというと…

あれ本日入荷?納入したのは1日なのに。でも、確かにこのほうが新鮮味があって、すぐにでも買いたくなるね。せっかく作ったPOPも、一日だけ使ってポイじゃもったいないし。魚屋さんではないので賞味期限偽装ではないよね。許される範囲の営業努力ということで見逃してください。
と、大城立裕氏より携帯に電話あり。
「できたけど、今日来ないの」
確かにお願いしていたことがあったのですが、相変わらずお早い対応に感謝。「来ないの?」とおっしゃられれば、行かないわけにはいきません。
「飛んで参りますとも」
本日の大城立裕さんです。

というか、高山君、だんだん厚かましくなってません。
大城先生の「呆れたもんだ」という感じの笑顔。
記念撮影です。奥様が撮ってくださいました。

長島さんとは、ここでお別れ。次は、きっと白石准を連れてきますね。
金城君に案内してもらって桜坂劇場へ行きました。
⇒桜坂劇場のOfficial_Site
ここのホールで「どんぐりと山猫」とかできないかな。「ウラジロガシと西表山猫」版。
市民講座でも、何かできるかもしれない。宇夫方路の日舞教室なんてのはどうだろう。高山正樹の「標準語朗読講座」とか「鼻濁音講座」とか。はたして面白がってくれるか、石もて追われるか。
(ここまで書いて八木政男さんのお話を思い出しました。これもまたそのうちにOfficial_Blogにて。)
玉城さんと待ち合わせした時間にはまだ少し時間があります。劇場の前のベンチで、しばらくボーっと、道行く人たちを眺めていました。いい季節です。内地は温暖化で季節が失われている、そして春と秋が、とても短くなっている気がします。沖縄にはその春と秋が残っている、そんなことを実感した時間なのでした。
ボチボチ行こうか。テクテクと…
沖縄カフェ「ZOU」へ。

⇒前回訪れた日」の記事


先に来ていた玉城さんと、授業が終って駆けつけてくれたプリティちえちゃんです。
玉城さんはウチナーグチペラペラ。尊敬しちゃう。
そしてプリティちえちゃんは、ほんとうに高校の英語の先生なのです。メモなんか取っちゃって、やっぱり尊敬しちゃう。
そうか、つーこたァ、ふたりともバイリンガルかい。
「ところでちえちゃん、そのカッコで授業してきたの」
「そうだよん」
ちえちゃんはここでお帰りです。今度、具体的なこと、ゆっくりとお話ししましょう。

(プリティちえちゃんの本名は宮城千恵さん。説明するのがややっこしいので前の記事を読んでください。⇒http://lince.jp/hito/pritytiechan.html)
「土」に行く前に、屋良文雄さんに会えるのは今日の今しかないと、急遽、屋良さんのお店の「寓話」へ電話して、屋良さんがピアノを弾く時間を確認して、さあレッツラゴーです。
よかった、間に合った。

沖縄ジャズの真髄を、今、目の当たりにしているのです。
ドラムスも、サックスも、ウッドベースも、みんな渋かったけど、屋良さんだけを見ていた気がする。

なんだろう、このどうしようもない自然体は……
しびれたのです。
金城君は、じのんで買った本を小脇に抱えていたのですが、それを見つけた屋良さん。
「勉強なんかしちゃだめだ」
このオジイにしか言えない深いおことばです。

今度一緒に、おもしろいことやりましょうと、お約束しました。
屋良文雄さんに、きっと外交辞令はありません。
白石准ちゃん、わかった? 沖縄が呼んでるよ!
パラダイス通り「土」へ。

さらし首の薄ら笑い。

(玉城さんは、限界まで付き合ってくれて、途中で走って帰りました。無事、帰れたかなあ…)
旅の続きへ
時間がちょっとあるので…
福州園へ
あら休園。

じゃあ、ということで識名園へ
途中、与儀公園の脇を通ったので……

休憩中(?)のおじさん二人と、よく見えませんが「フレンド」という赤い看板を撮影してみました。
夜、女性一人で歩いても安心な公園。なぜ?
男性の場合は100円ライター2回カチカチが合図だとか。何の?
ミステリー。
識名園、おや休園。

残念。そうだ、せっかくここまで来たんだから識名壕を覗いてみましょう。
今回は、お家の方にご挨拶ができました。でも灯を持っていないので、ちょっと入口を見るだけです。前回の画像は中から撮影したものです。

ここに休園なんかありません。毎日の生活の中に祈りがあるのだから。
振り返れば、ここにも生活の匂いがするこんな風景が拡がっています。

⇒前回の識名園と識名壕の記事を読む。
お昼。
沖縄タイムスで教わった「てぃあんだー」で食事、そばタイムです。

さあ、食べるわよ、長島さん!

長島さん。お久しぶりです。長島千加さんは白石准ウォッチャーです。山猫合奏団沖縄誘致を画策してくださっていたりするのですが、夕刊がなくなるくらいの不景気で、なかなか「ムチカシー」、じゃない「ムチカサン」。

ご馳走様でした。 …ん?

「売切れ次第で完売」って、この看板、なんか変じゃない?
さて、お仕事の始まりです。金城君も合流。
沖縄テレビへ。
船越義輔さんは営業部長。
「対馬丸」は大城立裕・嘉陽安男・船越義彰の共著ですが、義輔さん、その船越義彰氏の御子息でいらっしゃいます。そんな繋がりで、大城立裕さんからご紹介して頂いたのです。

長島さんが撮影。ちょいと笑顔が足りないなあ。みんなちょっとお疲れかな。
ここでもちょっとおもしろいお話を伺いました。これも近いうちにOfficial_Blogにてご報告します。お楽しみに。)
商用でおきなわ堂へ。商談のお相手はいしだ文栄堂卸部の部長さん。

いよいよ始動!ミステリーの解明はすぐそこです!
で、人類館はどうしたかというと…

あれ本日入荷?納入したのは1日なのに。でも、確かにこのほうが新鮮味があって、すぐにでも買いたくなるね。せっかく作ったPOPも、一日だけ使ってポイじゃもったいないし。魚屋さんではないので賞味期限偽装ではないよね。許される範囲の営業努力ということで見逃してください。
と、大城立裕氏より携帯に電話あり。
「できたけど、今日来ないの」
確かにお願いしていたことがあったのですが、相変わらずお早い対応に感謝。「来ないの?」とおっしゃられれば、行かないわけにはいきません。
「飛んで参りますとも」
本日の大城立裕さんです。

というか、高山君、だんだん厚かましくなってません。
大城先生の「呆れたもんだ」という感じの笑顔。
記念撮影です。奥様が撮ってくださいました。

長島さんとは、ここでお別れ。次は、きっと白石准を連れてきますね。
金城君に案内してもらって桜坂劇場へ行きました。
⇒桜坂劇場のOfficial_Site
ここのホールで「どんぐりと山猫」とかできないかな。「ウラジロガシと西表山猫」版。
市民講座でも、何かできるかもしれない。宇夫方路の日舞教室なんてのはどうだろう。高山正樹の「標準語朗読講座」とか「鼻濁音講座」とか。はたして面白がってくれるか、石もて追われるか。
(ここまで書いて八木政男さんのお話を思い出しました。これもまたそのうちにOfficial_Blogにて。)
玉城さんと待ち合わせした時間にはまだ少し時間があります。劇場の前のベンチで、しばらくボーっと、道行く人たちを眺めていました。いい季節です。内地は温暖化で季節が失われている、そして春と秋が、とても短くなっている気がします。沖縄にはその春と秋が残っている、そんなことを実感した時間なのでした。
ボチボチ行こうか。テクテクと…
沖縄カフェ「ZOU」へ。

⇒前回訪れた日」の記事


先に来ていた玉城さんと、授業が終って駆けつけてくれたプリティちえちゃんです。
玉城さんはウチナーグチペラペラ。尊敬しちゃう。
そしてプリティちえちゃんは、ほんとうに高校の英語の先生なのです。メモなんか取っちゃって、やっぱり尊敬しちゃう。
そうか、つーこたァ、ふたりともバイリンガルかい。
「ところでちえちゃん、そのカッコで授業してきたの」
「そうだよん」
ちえちゃんはここでお帰りです。今度、具体的なこと、ゆっくりとお話ししましょう。

(プリティちえちゃんの本名は宮城千恵さん。説明するのがややっこしいので前の記事を読んでください。⇒http://lince.jp/hito/pritytiechan.html)
「土」に行く前に、屋良文雄さんに会えるのは今日の今しかないと、急遽、屋良さんのお店の「寓話」へ電話して、屋良さんがピアノを弾く時間を確認して、さあレッツラゴーです。
よかった、間に合った。

沖縄ジャズの真髄を、今、目の当たりにしているのです。
ドラムスも、サックスも、ウッドベースも、みんな渋かったけど、屋良さんだけを見ていた気がする。

なんだろう、このどうしようもない自然体は……
しびれたのです。
金城君は、じのんで買った本を小脇に抱えていたのですが、それを見つけた屋良さん。
「勉強なんかしちゃだめだ」
このオジイにしか言えない深いおことばです。

今度一緒に、おもしろいことやりましょうと、お約束しました。
屋良文雄さんに、きっと外交辞令はありません。
白石准ちゃん、わかった? 沖縄が呼んでるよ!
パラダイス通り「土」へ。

井上真喜ちゃんと再会。

宇夫方さん、ガサガサ何してるの、ふたりに笑われてるよ。

宇夫方さん、ガサガサ何してるの、ふたりに笑われてるよ。
さらし首の薄ら笑い。

酔っぱらいの馬鹿笑い。

なんという一日。
(玉城さんは、限界まで付き合ってくれて、途中で走って帰りました。無事、帰れたかなあ…)
旅の続きへ
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2月 2日月曜日: 八木政男氏(沖縄2日目夕方~夜)
八木政男さんとお会いするために琉球放送へ。

儀間進さんが橋渡しをしてくださいました。
儀間さんが八木さんに声を掛けた話

でも、つながりはそれだけではありません。
宇夫方路の琉舞の師匠である関りえ子さんは、2005年に芸能生活40周年を迎え、その年の9月25日に、その記念公演として、「絆・・・我した島~うむいまさてい」を沖縄県立郷土劇場で開催しました。その時の企画で、沖縄歌劇「仲直り三良小(なかなおりさんらーぐわー)」を上演したのですが、八木政男先生にはその演出をお願いし、また主人役での出演もしていただいたのです。そんなことがあって、宇夫方路は八木政男先生と面識がありました。
だからでしょうか。話はトントン拍子。
何のためにお会いしたのかはOfficial_Blogをお読みいただくこととして、そのほか大変おもしろいお話も色々づらづらと伺うことができて(ミステリー?)、中にはご報告できないようなものや、ご報告するのは問題ないのだが、ウチナーグチが分からなくて、聞いた時はとてもおかしかったんだけれど、今となってはうまく説明できないものなど(今度お会いする時はボイスレコーダーを持っていこう!金城くん助けて)、ご紹介できないのが残念至極です。
また「ウチナーグチの標準語」という、とても興味深いお話については、近いうちにOfficial_Blogか、Official_Siteにて、きちんとご報告しようと考えています。どうか、今しばらくお待ちください。
(この日、本当は儀間さんも御一緒にお食事をと考えていたのですが、昨日、儀間さんは高熱を出されて病院に運ばれたとのこと、決してご無理なさらないでと、儀間さんには後日お会いすることといたしました。というわけで、今日は八木さんとココでお別れです。)

そして定番の、パラダイス通りハシゴルート。
まずは「ななしん屋」へ

ママのふるさとは宮古の伊良部島です。宮古から本島へ行く場合、「沖縄へ行く」というのだそうです。つまり本島と宮古は、それほどまでに違う場所ということなのです。
ママがはじめて那覇へやってきたときのこと、宮古出身であることは言わん方がいいよと、ある人から言われた、でもママは、「なんでかー」と、その忠告に従いませんでした。
ここから先の話は、今日のところは控えることにしましょうね。
(この、「~しましょうね」というウチナーヤマトグチ独特の言葉を、僕は敢えて時々ブログで使うようになりました。この言葉を使うことが、とてもしっくりすることがあるのです。それはどういう場合なのだろう、はっきりしたら、またどこかでご報告したいと思っています。)
ただ一つだけ。
宮古には、正月や清明祭(シーミー)より大切な「後生の正月」というものがあり、それは旧暦の1月16日(ジュウルクニチ)に行われます。「後生の正月」、つまり、あの世のお正月なのです。
さて、宮古には「宮古民族」の他に、「誇り高き池間民族」が住んでいます。彼らは「ジュウロクニチ」を1月15日に行うのだそうです。住む場所も、体格も風貌も、暮らしぶりも全く違う「二つの民族」ですが、互いに尊重し合い、行事などは干渉せずに仲良く暮らしているのだと、ママから聞きました。
ななしん屋のママは、ウチナンチュとナイチャーの区別など全く興味ないのではないか、それはナイチャーの僕がママと話をしていて、なんとなく肌で感じるうれしい感覚なのです。ほんとかな、そのことを確かめるために、また、何度でも来ます。

「いらっしゃい」
「久しぶりだね」
今日は、もう一回、ななしん屋に戻って、そこでシメだね。なんだか、そういう気分なのです。
金城君。お疲れさまでした。

儀間進さんが橋渡しをしてくださいました。
儀間さんが八木さんに声を掛けた話

でも、つながりはそれだけではありません。
宇夫方路の琉舞の師匠である関りえ子さんは、2005年に芸能生活40周年を迎え、その年の9月25日に、その記念公演として、「絆・・・我した島~うむいまさてい」を沖縄県立郷土劇場で開催しました。その時の企画で、沖縄歌劇「仲直り三良小(なかなおりさんらーぐわー)」を上演したのですが、八木政男先生にはその演出をお願いし、また主人役での出演もしていただいたのです。そんなことがあって、宇夫方路は八木政男先生と面識がありました。
だからでしょうか。話はトントン拍子。
何のためにお会いしたのかはOfficial_Blogをお読みいただくこととして、そのほか大変おもしろいお話も色々づらづらと伺うことができて(ミステリー?)、中にはご報告できないようなものや、ご報告するのは問題ないのだが、ウチナーグチが分からなくて、聞いた時はとてもおかしかったんだけれど、今となってはうまく説明できないものなど(今度お会いする時はボイスレコーダーを持っていこう!金城くん助けて)、ご紹介できないのが残念至極です。
また「ウチナーグチの標準語」という、とても興味深いお話については、近いうちにOfficial_Blogか、Official_Siteにて、きちんとご報告しようと考えています。どうか、今しばらくお待ちください。
(この日、本当は儀間さんも御一緒にお食事をと考えていたのですが、昨日、儀間さんは高熱を出されて病院に運ばれたとのこと、決してご無理なさらないでと、儀間さんには後日お会いすることといたしました。というわけで、今日は八木さんとココでお別れです。)

そして定番の、パラダイス通りハシゴルート。
まずは「ななしん屋」へ

ママのふるさとは宮古の伊良部島です。宮古から本島へ行く場合、「沖縄へ行く」というのだそうです。つまり本島と宮古は、それほどまでに違う場所ということなのです。
ママがはじめて那覇へやってきたときのこと、宮古出身であることは言わん方がいいよと、ある人から言われた、でもママは、「なんでかー」と、その忠告に従いませんでした。
ここから先の話は、今日のところは控えることにしましょうね。
(この、「~しましょうね」というウチナーヤマトグチ独特の言葉を、僕は敢えて時々ブログで使うようになりました。この言葉を使うことが、とてもしっくりすることがあるのです。それはどういう場合なのだろう、はっきりしたら、またどこかでご報告したいと思っています。)
ただ一つだけ。
宮古には、正月や清明祭(シーミー)より大切な「後生の正月」というものがあり、それは旧暦の1月16日(ジュウルクニチ)に行われます。「後生の正月」、つまり、あの世のお正月なのです。
さて、宮古には「宮古民族」の他に、「誇り高き池間民族」が住んでいます。彼らは「ジュウロクニチ」を1月15日に行うのだそうです。住む場所も、体格も風貌も、暮らしぶりも全く違う「二つの民族」ですが、互いに尊重し合い、行事などは干渉せずに仲良く暮らしているのだと、ママから聞きました。
ななしん屋のママは、ウチナンチュとナイチャーの区別など全く興味ないのではないか、それはナイチャーの僕がママと話をしていて、なんとなく肌で感じるうれしい感覚なのです。ほんとかな、そのことを確かめるために、また、何度でも来ます。

「いらっしゃい」
「久しぶりだね」
酔っ払いの、ごうさん


今日は、もう一回、ななしん屋に戻って、そこでシメだね。なんだか、そういう気分なのです。
金城君。お疲れさまでした。
(文責:高山正樹)
旅の続きへ12月23日火曜日: 再会と、そして初対面と
パレットくもじ一階のステラおばさんのクッキー屋さんの前で待ち合わせて…
お茶しました。

金城史彦くんと再会。
玉城郁恵さん、始めまして。
金城君と玉城さんも、今日初対面です。
“おきなわおーでぃおぶっく”のこととか、なんだか、こっちの話ばっかりして、なんで二人の話をじっくり聞かなかったんだって、高山正樹に叱られました。
とにもかくにも、第一歩を踏み出すことができましたね。これからもよろしくです。
ふたりと別れたあと、沖縄県立博物館・美術館へご挨拶。
館内入り口前の中庭に展示された、沖縄の古民家。

そして入り口。

入って正面奥にある売店。
“ミュージアムショップ ゆいむい”

展示品のように並べられた商品。さすがに博物館・美術館です。ドンキホーテとは違いますね。

ズーム……

ズーム!

来年からは、ここに「人類館」も並びます。
そのあと夜遅くまで、来年の沖縄公演のための踊りの稽古……
そして、「土」へ

2階のギャラリーへ上がる階段建設中。
斜めの線が嫌だというこだわりをわかってくれる大工さんがなかなかいなくて、やっと通じたのが宮大工さんだったとか。
宮大工さんて、沖縄の方なのかなあ?
その階段を背景にして
北海道から沖縄に移り住んで5年という今さんとお会いした記念に。

(ごうさん撮影)
ごうさん、「人類館」の宣伝、よろしくお願いしますね。ごうさんが気にしていたこと、新しい「人類館」が本当は乗り越えるべきこと、それについては、いずれ高山正樹が、「社長とは~」のブログに書くだろうと思います。
あれ、ごうさん「カクテル・パーティー」買ってくれるんじゃなかったっけ。ま、いっか……
というわけで、本日はこれまで。
⇒金城君と初めて会った日のこと
⇒ごうさんのお店「土」に初めて行った日のこと
⇒ごうさんのコメントによると「カクテル・パーティー」を買ってくれるらしい?
お茶しました。

金城史彦くんと再会。
玉城郁恵さん、始めまして。
金城君と玉城さんも、今日初対面です。
“おきなわおーでぃおぶっく”のこととか、なんだか、こっちの話ばっかりして、なんで二人の話をじっくり聞かなかったんだって、高山正樹に叱られました。
とにもかくにも、第一歩を踏み出すことができましたね。これからもよろしくです。
ふたりと別れたあと、沖縄県立博物館・美術館へご挨拶。
館内入り口前の中庭に展示された、沖縄の古民家。

そして入り口。

入って正面奥にある売店。
“ミュージアムショップ ゆいむい”

展示品のように並べられた商品。さすがに博物館・美術館です。ドンキホーテとは違いますね。

ズーム……

ズーム!

来年からは、ここに「人類館」も並びます。
そのあと夜遅くまで、来年の沖縄公演のための踊りの稽古……
そして、「土」へ

2階のギャラリーへ上がる階段建設中。
斜めの線が嫌だというこだわりをわかってくれる大工さんがなかなかいなくて、やっと通じたのが宮大工さんだったとか。
宮大工さんて、沖縄の方なのかなあ?
その階段を背景にして
北海道から沖縄に移り住んで5年という今さんとお会いした記念に。

(ごうさん撮影)
ごうさん、「人類館」の宣伝、よろしくお願いしますね。ごうさんが気にしていたこと、新しい「人類館」が本当は乗り越えるべきこと、それについては、いずれ高山正樹が、「社長とは~」のブログに書くだろうと思います。
あれ、ごうさん「カクテル・パーティー」買ってくれるんじゃなかったっけ。ま、いっか……
というわけで、本日はこれまで。
(宇夫方路情報、高山正樹代筆)
⇒金城君と初めて会った日のこと
⇒ごうさんのお店「土」に初めて行った日のこと
⇒ごうさんのコメントによると「カクテル・パーティー」を買ってくれるらしい?
10月28日火曜日: ほんとうの強行軍の記憶
沖縄に関わっていると、人と人の「つながり」ということを改めて思うのです。
高山正樹の奥方の親友に琉球舞踊の先生がいて(関連記事へ)、その方を舞台で共演していた宇夫方路に紹介してから、もう20年近くになります。その踊りのお仲間の宮城文子さん(関連記事へ)は、ずいせん学徒隊の語り部である宮城巳知子さんの義理の娘さんです。
巳知子さんのお話を是非とも伺いたいと思い、文子さんに紹介していただいて、沖縄の嘉手納で宮城巳知子さんにお会いしました。(関連記事へ)
その際に和光小学校の修学旅行のお話を伺い、世田谷にある和光小学校に校長先生をお訪ねして、その修学旅行に同行させていただけるようお願いすることにしました。(関連記事1へ)(関連記事2へ)
その修学旅行が今日だったのです。
その行程は、「おきなわおーでぃおぶっく」のOfficialサイトのブログで報告しているので是非お読みください。
⇒《Officialサイトのブログ記事》
(別窓で開く場合はシフトを押しながらクリックしてください。)
ここではOfficialサイトのブログでご紹介しきれなかった画像や話題などをいくつか。
ナゲーラ壕への道

2番目に行った識名壕は識名園のそばにあります。

和光小学校の子供たちは、トイレを利用するために識名園の駐車場に立ち寄って、すぐに識名壕へと出発しました。
でも、この時、ちょっと思ったのです。
識名園は、世界遺産にも指定されている名園です。歴史的にも大変興味深いところなのです。
かつて琉球は、中国から使者(冊封使)が来ると、彼らをこの識名園に招きました。琉球国が大きな国であることを示すために、識名園は琉球の土地を見渡せ、しかし且つどこからも海が見えない場所を選んで作られたのでした。海が見えると、琉球が小さな島国であることがわかってしまうから。
確かに、和光小学校の修学旅行の意義や一日の日程を考えれば、識名園を見学する余裕がないことは致し方ない、それもよく分かるのだけれど、ここにも、もうひとつの沖縄の心があるのになあ、ここをただトイレだけのために寄ってサヨナラというのはなんともなあ、と、ふと、勝手なことを考えてしまったということです。
識名壕へ入る入口。

もうひとつ米須壕にまわって、ずいせんの塔で宮城巳知子さんのお話を聞き、そして最後にひめゆりの塔へ。
地元の人さえ知らないガマと、たくさんの観光客で賑わうひめゆりの塔。子供たちはその違いに何かを感じることがあったのかどうか。
女性スタッフにとっては重過ぎて、最初の壕だけで後は遠慮したのですが、子供たちは飄々としていました。壕よりも、そこらあたりをウロウロしているマヤー(猫)の方に興味がある子どもたちもいたりして。
でも、それでいいのだと思ったのです。彼らが大人になった時、この体験をフト思い出して、そして自分の力で考え始める、それが正しいあり方なのだと。やがてこの子供たちがどんな結論を出すことになろうとも、今、ともかく材料を与えてあげられればいいのだと。
本日のところは、重い話はこのくらいにいたしまして、ひめゆりの塔の近くにある大きなお土産屋さんで見つけたちょっと大きめのシーサーのご案内。

これ、上を向いてるんです。
このくらい大きいシーサーを買って内地に持って帰ると、置くところに困って結局玄関の床へじか置きになるというのはよくある話。このシーサー、床に置くのに最適なのです。
「おかえりなさい」って感じ。癒されるなあ。6千数百円、ちょっとばかりお高いんですけどね、いいアイデアだなあと感心いたしました。
和光小学校の皆さんとはここでお別れ、お帰りシーサーのせいなのか、なんだかムショウに癒されたくなって、神の島、久高島が見えるレストランのテラスで、ボーっとしました。

遠くに見えるのが久高島です。
20年以上前の、高山正樹の久高島の思い出は、いつか改めてご紹介しますね。
夕方、大城立裕先生のお宅にお邪魔して…
そして夜。
国際通りからちょっと入った竜宮通りという路地に見つけた「小桜」というお店。

「小桜」とは、M.A.P.がプロデュースする三笑亭夢丸さんの落語の題名。気になったのでカシャと一枚。
大城立裕先生のお誕生会でお世話になった「じんじん」へ。

沖縄特有のおしぼりコースターです。

ちょっと疲れているみたいな高山の様子を見て、ママが体に優しいメニューを作ってくれました。すごくおいしかったのです。

ありがとうございました。
ななしん屋でママに再会。

三線を借りて定番の安里やユンタをやってみた。
何もしないという歌い方。テクニシャンの高山正樹には、これがなかなか出来ないのです。その奥深さに、高山は、真剣に三線を習おうと心に決めたのです。
⇒《前回の「ななしん屋」の記事》
そして「土」へ。

ごうさん。結婚おめでとう。今奥さんのお腹にいるお子さんが二十歳になったとき、ごう(のん)さんは80歳か。日本一かっこいい80歳になってください。
⇒《前回の「土」の記事》
他にもいくつかお話したいことがあるのですが、それは後日ということで…
高山正樹の奥方の親友に琉球舞踊の先生がいて(関連記事へ)、その方を舞台で共演していた宇夫方路に紹介してから、もう20年近くになります。その踊りのお仲間の宮城文子さん(関連記事へ)は、ずいせん学徒隊の語り部である宮城巳知子さんの義理の娘さんです。
巳知子さんのお話を是非とも伺いたいと思い、文子さんに紹介していただいて、沖縄の嘉手納で宮城巳知子さんにお会いしました。(関連記事へ)
その際に和光小学校の修学旅行のお話を伺い、世田谷にある和光小学校に校長先生をお訪ねして、その修学旅行に同行させていただけるようお願いすることにしました。(関連記事1へ)(関連記事2へ)
その修学旅行が今日だったのです。
その行程は、「おきなわおーでぃおぶっく」のOfficialサイトのブログで報告しているので是非お読みください。
⇒《Officialサイトのブログ記事》
(別窓で開く場合はシフトを押しながらクリックしてください。)
ここではOfficialサイトのブログでご紹介しきれなかった画像や話題などをいくつか。
ナゲーラ壕への道

2番目に行った識名壕は識名園のそばにあります。

和光小学校の子供たちは、トイレを利用するために識名園の駐車場に立ち寄って、すぐに識名壕へと出発しました。
でも、この時、ちょっと思ったのです。
識名園は、世界遺産にも指定されている名園です。歴史的にも大変興味深いところなのです。
かつて琉球は、中国から使者(冊封使)が来ると、彼らをこの識名園に招きました。琉球国が大きな国であることを示すために、識名園は琉球の土地を見渡せ、しかし且つどこからも海が見えない場所を選んで作られたのでした。海が見えると、琉球が小さな島国であることがわかってしまうから。
確かに、和光小学校の修学旅行の意義や一日の日程を考えれば、識名園を見学する余裕がないことは致し方ない、それもよく分かるのだけれど、ここにも、もうひとつの沖縄の心があるのになあ、ここをただトイレだけのために寄ってサヨナラというのはなんともなあ、と、ふと、勝手なことを考えてしまったということです。
識名壕へ入る入口。

識名壕の中から見た入口。

四角くシルエットに見えるのはウガミ(拝み)の場所です。帰り際に、先生がお線香を供え、手を合わされていらっしゃいました。
もうひとつ米須壕にまわって、ずいせんの塔で宮城巳知子さんのお話を聞き、そして最後にひめゆりの塔へ。
地元の人さえ知らないガマと、たくさんの観光客で賑わうひめゆりの塔。子供たちはその違いに何かを感じることがあったのかどうか。
女性スタッフにとっては重過ぎて、最初の壕だけで後は遠慮したのですが、子供たちは飄々としていました。壕よりも、そこらあたりをウロウロしているマヤー(猫)の方に興味がある子どもたちもいたりして。
でも、それでいいのだと思ったのです。彼らが大人になった時、この体験をフト思い出して、そして自分の力で考え始める、それが正しいあり方なのだと。やがてこの子供たちがどんな結論を出すことになろうとも、今、ともかく材料を与えてあげられればいいのだと。
本日のところは、重い話はこのくらいにいたしまして、ひめゆりの塔の近くにある大きなお土産屋さんで見つけたちょっと大きめのシーサーのご案内。

これ、上を向いてるんです。
このくらい大きいシーサーを買って内地に持って帰ると、置くところに困って結局玄関の床へじか置きになるというのはよくある話。このシーサー、床に置くのに最適なのです。
「おかえりなさい」って感じ。癒されるなあ。6千数百円、ちょっとばかりお高いんですけどね、いいアイデアだなあと感心いたしました。
和光小学校の皆さんとはここでお別れ、お帰りシーサーのせいなのか、なんだかムショウに癒されたくなって、神の島、久高島が見えるレストランのテラスで、ボーっとしました。

遠くに見えるのが久高島です。
20年以上前の、高山正樹の久高島の思い出は、いつか改めてご紹介しますね。
夕方、大城立裕先生のお宅にお邪魔して…
そして夜。
国際通りからちょっと入った竜宮通りという路地に見つけた「小桜」というお店。

「小桜」とは、M.A.P.がプロデュースする三笑亭夢丸さんの落語の題名。気になったのでカシャと一枚。
大城立裕先生のお誕生会でお世話になった「じんじん」へ。

沖縄特有のおしぼりコースターです。

ちょっと疲れているみたいな高山の様子を見て、ママが体に優しいメニューを作ってくれました。すごくおいしかったのです。

ありがとうございました。
ななしん屋でママに再会。

三線を借りて定番の安里やユンタをやってみた。
何もしないという歌い方。テクニシャンの高山正樹には、これがなかなか出来ないのです。その奥深さに、高山は、真剣に三線を習おうと心に決めたのです。
⇒《前回の「ななしん屋」の記事》
そして「土」へ。

ごうさん。結婚おめでとう。今奥さんのお腹にいるお子さんが二十歳になったとき、ごう(のん)さんは80歳か。日本一かっこいい80歳になってください。
⇒《前回の「土」の記事》
疲れた…。
あした朝、東京へ帰ります。

あした朝、東京へ帰ります。

他にもいくつかお話したいことがあるのですが、それは後日ということで…
9月11日木曜日: 2009年残暑の沖縄初日
空港から琉球新報に直行。

一時間くらいたっぷり話を聞いてくれた。どんな記事にしてくれるかなあ。
なかじんさんと「苗」へ。

沖縄在住の変なおじさん。もともとNHK。今後なんかご協力願えるかもとある筋の方から紹介してもらったのだけれど、会ってびっくり。高山正樹が出演していた群馬中芸と深く関係のあった方。他にも数え上げたらキリがないくらいあっちこっちで繋がってた。つまり、狭い業界ってことなのかもね。
大城立裕さんのインタビューを撮ってくれた井上真喜ちゃんと大城美佐子さんという沖縄民謡の超大物歌手のお店「島思い(うむい)」で合流。

右のおふたりはNHKエンタープライズの工藤さんとそのだんな様。工藤さんは真喜ちゃんの先輩で宇夫方隆士さんが紙芝居を作ってNHK出版から出した時の担当者。ちなみに真喜ちゃんは、なかじんさんと仲良し。
「島思い」はカチャーシーで〆て工藤さんご夫妻とはお別れ。


マスターの「のん」さんと2ショット。初対面とは思えない関係。ちょっと簡単にはご紹介できない。ともかく、高山のツボにはまっちゃったみたい。そのうち改めてご紹介します。


一時間くらいたっぷり話を聞いてくれた。どんな記事にしてくれるかなあ。
なかじんさんと「苗」へ。

沖縄在住の変なおじさん。もともとNHK。今後なんかご協力願えるかもとある筋の方から紹介してもらったのだけれど、会ってびっくり。高山正樹が出演していた群馬中芸と深く関係のあった方。他にも数え上げたらキリがないくらいあっちこっちで繋がってた。つまり、狭い業界ってことなのかもね。
大城立裕さんのインタビューを撮ってくれた井上真喜ちゃんと大城美佐子さんという沖縄民謡の超大物歌手のお店「島思い(うむい)」で合流。

右のおふたりはNHKエンタープライズの工藤さんとそのだんな様。工藤さんは真喜ちゃんの先輩で宇夫方隆士さんが紙芝居を作ってNHK出版から出した時の担当者。ちなみに真喜ちゃんは、なかじんさんと仲良し。
「島思い」はカチャーシーで〆て工藤さんご夫妻とはお別れ。
そして真喜ちゃんの知ってるバー「土」へ


マスターの「のん」さんと2ショット。初対面とは思えない関係。ちょっと簡単にはご紹介できない。ともかく、高山のツボにはまっちゃったみたい。そのうち改めてご紹介します。
「あっ」店を出た瞬間に電気が消えた・・・

名残惜しそうに「土」を見つめる高山でありました。
ながーい夜の終わり。
ながーい夜の終わり。



