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《2月26日-4》
三越劇場で踊りを堪能して、"芭蕉布の里”という沖縄料理のお店へ。
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1月 8日土曜日: あゆちゃんのお店で

《1月8日(土)》
川崎市幸区にある、あゆちゃんのお店に行った。

記事は後日書く。
とりあえず食べたものの画像だけアップしておこう。
中味のお通し ソーキ肉 ゴーヤーチャンプルー もずく にんじんシリシリー ソーミンチャンプルー “あゆ”のお店の中 “あゆ”のお店の外


昨日書いた記事の続きです。
29日の午後8時半。高山正樹が事務所を出発した頃、宇夫方路は下北沢の本多劇場で観世さんの芝居を観ていました。

劇団岸野組 二十周年記念公演
良縁奇縁腐れ縁
作:観世桂男
演出:岸野幸正

終演後のロビーにて。
大倉正章さん
大倉正章さんです。
ある時はM.A.P.の調査員。
またある時はアニメの声優。

お芝居については、そのうち宇夫方女史が書きます。きっと。たぶん。もしかすると。

その後、諸々チラシを置いてもらうために、お店を物色。
こんなお店に入ってみることにしました。
“ぱなり場”の看板
沖縄創作料理居酒屋“ぱなり場”、「ぱなりば」とは離れた場所という意味。何から離れているのかは不明。
シーサー君がお出迎え。
足拭きマットとシーサーの置物

ちょいと資料が足りないので、この後は後日執筆します。
とりあえず画像だけ。
冷や奴 にんじんしりしりー ひらやーちー 店長とアルバイト君


本記事は新ブログへ移行しました。
 ⇒新ブログへ

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島豆腐の冷やっこ
ゴーヤーチャンプルー
ゴーヤーチャンプルーのアップ
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あうんのシーサーの説明

11月23日月曜日: もうひとつの沖縄(4)

今回の沖縄の旅、最後の晩餐。
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ゆし豆腐。にんじんしりしりーがある。それ以外には、特に沖縄っぽいものはない。
オリオンビールに続いて島酒。
琉球酒豪伝説とやらを飲んでおくと、次の日が楽らしい。
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進貢船の模型が飾ってある。
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そういえば“おきなわワールド”の進貢船は復活したのだろうか。最近は裏の業者用通用口から入ってそこから出るのでわからない。
ダッコちゃんがウィンクしていたり……
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アンガマのウシュマイとンミーのお面が微笑んでいたり。

お隣の与儀さんから貰ったアダンの手作り草履。
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神輿を担ぐ下町では分からないが、東京の山の手あたりの人間は、手作りの草履なんて観光地で売られている民芸品のレプリカくらいでしかお目にかからない。それが、まだここでは生きている。でも、貰ったはいいけれど、たぶんきっと誰も履かないで、このまま部屋の隅っこにずっと転がっているんだろう。そしていつしか古い記憶の中でしか見つけることができなくなるんだろうな。

命名札だって同じ。
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数年前まで、居間の壁には数十枚の命名札が貼られてあったが、家の内装を変えてから、新しい数枚だけ捨てずに取ってある程度になった。
沖縄の命名儀礼も、調べればちょいと面白い。今日のところは深入りはやめるけれど、最近の僕は、こういう時いつも、日本ではどうだったのだろうと考えるようなった。沖縄は僕にとって、日本を知る糸口でもあるらしい。

昔の話を始めると、昭和一桁生まれの義母からは、興味深い話がたくさん出てくる。
義母の童名(わらびなー)はチル。今でもヤンバルの田舎へ行けば、みんなから「ちる小(ちるぐゎー)」と呼ばれる。童名とは、戸籍上の名前とは違う、家庭内とか近所の友達の間で呼び合う名前のことである。
だが、義母には童名と今の戸籍上の名前と、その他にもう一つの名前があった。「鶴」という「やまとなー(と義母は言った)」。近所の女の子は、みんな大概「ツル」か「カメ」だった。こっちは姉がツルで妹がカメ、あちらは姉がカメで妹がツル。ツルカメだらけ。同じ苗字も多かったので、名前の前に「~の」という屋号が必要だった。
ある時、小学校の先生がこれでは拙いということで、片っ端から名前をつけた。あんたは「きみ子」あんたは「よし子」というように。その日から、義母の「やまとぅなー」は「とみ子」になった。この日はじめて聞いた話しである。
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僕は、義母の童名が「ちる」だなどとは全く知らずに、十数年前、生まれた娘に「なちる」と名づけたのである。その命名札が、今も残っているのかどうか、何となく聞くことはしなかった。

明日の朝早く、沖縄を発つ。トートーメーに線香をあげる。トートーメーの棚には、大和風の線香と平御香(ひらうくー)が置いてある。
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平御香とは沖縄の線香。6本の線香が板チョコのように並んでいて、割って使う。
この線香を見ると、いつも思い出すことがある。20年前の義父の葬式でのこと。大和から送り込まれていたのであろう若い坊主の説教。「平御香は香りがない。こんなものを使っていては、亡くなった人は成仏などできない。香りのある大和の線香を使わなければいけない。」
当時、沖縄で線香といえば、平御香の他にはなかった。僕は怒りに震えた。しかし、家族はみんな穏やかに黙って聞いている。そうでなければ、僕はその坊主をぶん殴っていたに違いない。今も思い出すたびに殴っておけばよかったと、後悔するのである。
でも、最近は平御香に火をつけた憶えが無い。今日も結局、「大和の上等線香」に火を点けて、そして手を合わせたのである。

《おまけ》
義母にも「カンゼークー」のことを聞いてみた。
「来ていたさ、なーびなくーさ。鍋とかヤカンとか、直しにきていたさ」
「いつごろですか?」
「戦前かねー」
眞永座の仲嶺眞永さんのお話とはずいぶん違う……

11月22日日曜日: もうひとつの沖縄(3)

親戚10名ほどで飲みに出る。こういう場合、沖縄では「~人」とは言わず、たいがい「~名(めい)」という。でも、普天間移転反対の集会に集まった人数は21,000名とは言わない。それは沖縄でも21,000人という。
この「~名」と「~人」の使い分けの基本は、名前の把握できるリストがあれば「~名」、不特定多数ならば「~人」ということらしい。それならば、言葉が乱れているのは「大和」の方だ。
今のマスコミは客観性を装って「~人」しか使わない。「日本人」は、それに影響されたのか。
マスコミが「~名」を避けるのは「~名」が軍隊で使われていたからというような話もあって定かではないが、それなら沖縄から最初に「~名」が消えてもよさそうなものだがそうはなっていない……

てなことを考えているうちに、おもろまち(新都心)の居酒屋に着いた。
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大きな居酒屋。

その昔、沖縄の飲み屋には泡盛などなかった。主流はスコッチやウィスキー。島酒は家で飲むもの、高いお金を出して飲むようなものではないと、沖縄の人たちは思っていた。
1960年、岡本太郎はこう書いた。
「聞くと、ここの人はあまり泡もりを飲まなくなった、せいぜい場末のおでん屋か屋台みたいなところで、肩身せまくこっそりやっているという。そこで製造業もだんだん衰えて廃業するものが出てきているそうだ。もっとも酒にかぎらず、土地で出来たものというとどうも卑しいように思いこみ、舶来はすべて上等と考える沖縄的コンプレックスがある。――なんてことを聞くと、くすぐったくなってくる。それなら日本の方が御本家だ。」

今は沖縄の飲み屋で泡盛のない店など見たことがない。

今や泡盛と沖縄料理と三線、それが沖縄の飲み屋の定番。ところが、そういう店は地元の年配の方か観光客ばかりで、沖縄の若者たちはあまり見かけない。
でも、この店にはたくさんいた。逆に、観光客らしい人はいない。何の不思議もない、当たり前のこと。

といって、メニューに沖縄的料理がないのかといえば、そんなことはない。各種チャンプルー、ラフティー、しまらっきょのてんぷら、たいがいある。
でも、みんなは焼き鳥や寿司を頼む。にんじんしりしりーなんて頼むのは僕だけだ。
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細くて、なよなよしている。カミサンの作るにんじんしりしりーはもっとシャキシャキしていて旨いのだが。

カラオケボックスなんぞに行ってみた。
普通の歌(って、何が普通なのかよく分からんが)に交じって、沖縄のインディーズの曲があったりする。
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これがなかなかいい。
そして、手拍子も掛け声も、全て裏打ちなのであった。

7月12日日曜日: にんじんしりしりー考

今日の朝食。
ソーキ汁と「にんじんしりしりー」。
ソーキ汁と「にんじんしりしりー」

「にんじんしりしりー」は、先日、県民ショーとかいうテレビ番組で、沖縄の定番として紹介されらしいですね。
普通は卵と炒めるのですが、今日は鶏の卵じゃなくて鱈の卵、要するにタラコをまぶしてみました。

ちなみに「にんじん」はウチナーグチで“ちでーくに”といいます。
だからといって、「ちでーくにしりしりー」と言わなければダメだなどとは申しません。

では、「しりしりー」とは何ぞや。

例えばはなまるマーケットのサイトでは…
「しりしりーって『すりおろす』って意味なんです」
とか書いてある。

また別のサイトでは…
「『しりしりー』というのは、『すりすり』という意味のうちなーぐち(沖縄方言)です。例えば、『誰かの頬にすりすりする』というのは、うちなーぐちでは、 『しりしりする』と言います。」

まあ、目くじら立てるのも大人げないのですが、人参をすりおろしちゃっては「にんじんしりしりー」にはなりません。キンピラの人参より、もっとずっと太く切らなきゃ、あのシャキシャキ感がなくなってしまいます。
沖縄の家庭には大概常備されている「しりしり器」(穴が大きいスライサー)に人参を擦りすけると、確かに「しりしりー」という感じがします。しかし我が家には「しりしり器」が無いので、カミサンは普通に包丁で切ってます。ちょっと時間が余計にかかるというだけのこと。つまり、うちではしりしりーしないで「にんじんしりしりー」を作るのです。
(もはやそれは「にんじんしりしりー」ではない?)

「しりしりー」は「すりすり」のことだというのは間違いないと思いますが、「しりしりする」をウチナーグチだと言ってしまうのはどうなんだろう。元来「~する」というウチナーグチはない。「~する」の「する」はウチナーグチ(首里※)では「シュン」なのですから。
では、「しりしりーしゅん」がウチナーグチとして成立するのかどうか、今度の沖縄語を話す会で聞いてきますね。
(※コメントをお読みください。8/2日追記)

日本語は極めて豊かな擬態語を持っているといわれます。ウチナーグチも同様。ウチナーグチと日本語の擬態語や擬音語を列挙比較して、その感覚の違いを考察する研究なんて、すごく興味深そうです。

ともかく「にんじんしりしりー」とは、比較的新しい言葉なのでしょう。だって「しりしり器」のようなスライサーがなければ、この「しりしりー」という感覚は出てこないと思われますから。

いずれにしても「にんじんしりしりー」という言葉は、「うちなーぐち」ではありません。これは「うちなーやまとぐち」の範疇です。

異論歓迎。
また新たな情報があれば、コメントにてご報告します。
(高山正樹)

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高山正樹 Masaki Takayama
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