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《7月24日(日)》
東日本大震災から136日目……
朝。
構成台本とにらめっこ。
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降圧剤とマンゴ。
構成台本とにらめっこ。
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ドラゴンフルーツ。
構成台本とにらめっこ。

ピンと来ないので……
【昨日のことを呟くことにした】

9:25
いつもお世話になっている沖縄の小さなレンタカー屋さんの話。東京あたりから避難してきている家族が長期レンタルして車が足りない。みんなニコニコして観光気分。しかしもっと深刻な地域からの避難者はずっと少ないとのこと。経済的にも精神的にも余裕のある人たちが逃げてくる。

9:28
昨日の大きな地震のこと、今朝まで知らなかった。ここ沖縄は、東北からものすごく遠い。


白石准が昨日の宇夫方隆士氏の「雨ニモ負ケズ」の解釈について呟いていたので補足してみた。
9:45
なぜ賢治は「ひとり」を「ひどり」と思わず書いてしまったのか。賢治は標準語に憧れていながら花巻弁しか喋れなかったらしい。賢治作品の宇宙と東北の両義性の秘密を解く鍵です。

9:45
これから亘しぇんしぇーと「京太郎」のリハーサルです。



名護の羽地小学校にて、高山正樹が参加するもうひとつのキジムナー、「旅行芸能者・京太郎の歌」の稽古。
レンタカーで移動。
助手席には新城亘先生。後ろの座席から八重山古謡研究者の入嵩西康文さんの唄三線が流れてくる。
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この画像、仏頂面で何とも詰まらなそうな顔に見えるけれど、いえいえ全くそうではなく、ものすごく贅沢な時間なのだった。

まずは腹ごしらえ。
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ジューシー付き。
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「京太郎の歌」のラストは“TEAM琉球・鼓楽舞”の照屋真也さん平義信さん安田辰也さんのエイサー。今日、初めて見せてもらった。絶品であった。
これを見逃す手はない!
しかし、相変わらず宣伝の下手なM.A.P.なので……

 ⇒Official_Siteの案内ページ

役者は揃っている。問題は構成台本。責任重大。

帰り、キジュムナーフェスタの受付に寄る。
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今年のチケットセンター。
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会場も準備万端。
問題は構成台本……

なお、この日の正午、地デジに移行したらしい……


7月14日木曜日: もしも明日が本当に……

東日本大震災から126日目……
種から芽は出たけれど、土を持ち上げる力のないゴーヤーたち。
あんなにたくさんあった種なのに、命を繋いだのはたった四つだけ。
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でもね、少し植えるのが遅かったけれど、放射能も気になるけれど、丹念に育ててみようと思う。

こんなの貰ったから食べてみた。
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特に意味はない。

【この日呟いたこと……】

管直人が脱原発を宣言した。すると、政財界から無責任だと一斉に批判の嵐。散々叩いて人気を底まで落としておいたから、巷の顔色をうかがうことも無く、安心して管直人を責め続ける。
「実現できるかどうか検証もせずに思いつきで勝手なことを言うなんて、首相としてもってのほかだ!」

13:08
まず目標を定めてそこへ向けて最大限努力するってダメなの。道筋を確かめてからでないと目標は掲げられないの。そうだとしたら、やっと見つけた小さな道たちはもぐらたたきのようにことごとく保守的な人々に否定され潰されだろう。そして結局何も変えられない。そんな国。

17:58
県外移設を言った鳩山由紀夫をできるわけないとボロクソにけなし、結果県外移設は頓挫。最低の首相として辞任。世論が支えていればどうなったか分からないのに。「脱原発」も同じ運命。責めるのはもう少し見極めてからでも遅くないのではないか。

18:07
今の菅直人像は、原発を推進したい勢力(大手メディア)によって作られたもので、それに世論が影響されているのだとしたら。絶対にそうではないと言えますか?このままだと菅直人の次は原発を止めない人。



「もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう」
なんだか喩え話じゃなくなってきた気がする。


7月 5日火曜日: 方言で朗読する

※本当はこの記事は、2月10日の沖縄語の音韻講座(2)【カ行】及び盛岡弁に関する記事と、川崎市民劇“枡形城落日の舞い2順目「民の母音融合」と名づける予定の記事を仕上げてからアップするつもりでいたのです。しかし、あとからあとから記事にしたい色んなことが押し寄せてきて、記事の論理的連続性にこだわっていると、いっこうに先に進めそうにないので、仕上がっている記事は先にアップしてしまうと決めました。過去の出来事は時を隔てれば隔てただけ忘れるのかと思いきや、むしろ書き足したくなって困ります。でもこの記事は、もう読み返すことはせずに、えいやっと目をつむってアップすることにしました。
えいやっ!(2011年8月19日)


《7月5日(火)-2》
川崎市民劇で御一緒した隈元吉成さんも出演するユニークな朗読会に出かけました。
新宿の青年劇場スタジオ「結YUI」です。
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南から北へ、日本全国方言リレー朗読とでもいいましょうか。

なかなか面白かった。特にきっせいさんの「狂歌師太郎次どん」は、今の日本での役者のありようを突きつけられて身につまされました。役者なんてものは小難しいことはなーんにもわからない阿呆、そんな役立たずがこの世に存在している意味ってなんなのか。付け焼刃の理屈をぶっこいて、あーでもないこーでもないと偉そうに能書きをたれる連中がいっぱいいるが、結局だーれも幸せになんかできやしない。言い合いばかりでみんなの心はどんどんギスギスしていく。だけど太郎次どんは……。

違うね、なんだかこういう感想がいけないんですよね、きっと。
「だんな、素直に楽しんだらいんじゃねえすか、理屈なんざあ捏ねくりまあさずにさ」

終演後、「今度は是非沖縄の方言も」なんてきっせいさんに言ってはみたけれど、「沖縄の言葉は方言ではない、一個の独立した言語だ」なんて声が、僕の頭蓋骨の中でぐわーんぐわーんと響いていたわけで。いかんともしがたい性癖であります。だからオイラは役者なんかには向いていないんだって、年がら年中言い訳しているのですが、そういうたびに「めんどくせえ役者だ」と言われるのです。

では、方言の感想をひとつ。

単語の違いとイントネーションの違いをマスターすれば方言はしゃべれるなんて思いがちですが、ホントはね、地方によって50音ひとつひとつ音韻が微妙に違っていたり、音節が伸び縮みしたり、これができるかどうかが味噌なんです。江戸弁だってそれを抜きにしちゃあ標準語と大差なく面白くもなんともない。
 ⇒「うちなーぐちの音韻講座」興味があったら是非お読みください。
さて、そのあたりが本日の公演ではどうだったのか。舞台表現として方言を語るって難しいと思ったのでした。特に滑舌よく標準語を話すのが俳優の仕事。かえってそういうプロが方言を使おうとすると、なるほどこうなっちゃうんだよなあというありがちな例もチラホラ。

「だからさ、そういう感想がいらねえんですよ、だんな」
「いっぺー飲りに行こ、しょうがねえから」

久しぶりの“かりゆし”です。近いからね。ちょっと高いけど。最後の贅沢?
ミミガー。
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最近沖縄居酒屋でよく見かけるカーリーポテト。A&Wオリジナルだと思っていたのだけど。
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タコライス。金武町が発祥の地だとか。
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沖縄やきそばケチャップ味。
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ソーミンチャンプルー。
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島らっきょ。
「まだ漬かってないんです」と初顔の店のお兄ちゃん。いやいや生のほうが美味いんだ。「ちょっと味見させて」と一本かじって……
「ノープロブレム。持ってきて」
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軟骨ソーキ。
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今日もステージ。へえ、お兄ちゃんも参加するんだ。
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最後は恒例カチャーシー。
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宇夫方路は踊る人。
連れの神野美奈実と石山海は撮る人。
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かく言うオイラはそれを撮る人。
こういう時は踊らないと、太郎次どんにはなれません。
わかっちゃいるのだが……
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《7月2日26時》
東日本大震災から115日目になる。
広告掲載のお礼に“忠兵衛”へ。
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「とうがん煮たのあるけど食べる?」
「食べる食べる」
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絶品。だけど画像はピンボケ。次来た時もあるかなあ……

しかし、こんな時間に、こんなに食ってどうするんだよ……

健康ゲームどこへやら。

※(7月18日に追記)
放射線のことがなんとなく引っかかって、外を歩いたり走ったり自転車乗ったりする気にずっとならなかったのです。現時点では、福島第1原発事故で東京に降り注いだ放射性物質のセシウム137の量は、雨の降った3月21日の朝から翌日の朝までの24時間だけで、1960年代の前半まで大気圏内で核実験が行われていた時期に降っていた1年間の放射性物質の3倍近く、というデータが、ほぼ信用の置けるものなのではないかと思っています。それが安全なのかどうなのか、それは全くわかりません。
1957年頃に生まれた日本人(つまりまさに僕らの年代ですが)には癌が多く、その原因が核実験であるという研究もあるらしい。僕も30代という若さで腎臓ガンに侵されました。若い頃の喫煙と発症した頃のストレスと、そして子供の頃に浴びた放射線と、いったいどれがガンの一番大きな原因だったのか、どうも放射線ではなさそうですが、もしかしたら放射線を浴びていなければ、喫煙と精神的なストレスを乗り越えることができたのかもしれないと思わぬわけでもありません。

でも、ボチボチまた健康ゲームを再開しましょう。現在の東京あたりでの放射線が、この歳の僕の体に影響を及ぼすことは殆どないでしょう。それを気にするより健康ゲームを再開するほうがずっと寿命が延びることは間違いないから。別に長生きをしたいわけではないのですが、フーフーしながら生き続けるのは辛いもんなあ。



6月30日木曜日: ゴロゴロピー

《6月29日(水)~30日(木)》
東日本大震災から111日目~112日目になりました。

【呟いた!】

6/29、22:50
たった今決算書完成!「ボク何日か休めるの?」「しあさって本番です」「……殺す気か」「あしたとあさっては死んでもらってけっこうです」唖然。開いた口にプルトニウムが。「大丈夫です。直ちには死にませんから本番に支障はありません」


本部で飲んだ。
やっぱり沖縄。
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眠いはずなのに眠れない。
でも、いつも間にか眠っていた。

6/30、6:50
ゴロゴロピー。ポンポンいたい。直ちに影響出た。「飲みすぎです」「プルトニウムを?」「……もういいかげんに」




忘れられないこと……
東日本大震災から81日目。

朝方から「問題は福島ばかりではない、沖縄だって問題なんだ」というような呟きを、いくつかリツイートしていた。言い知れない虚しさを憶えながら。

娘は、1日早く京都へ帰った。
息子と沖縄に来たのは、ようやく歩き始めた頃連れて来たきり、ほとんど20年ぶりである。子供が生まれるずっと前から考え続けていた沖縄のことを、僕は何一つ子供たちに伝えることができない。彼らには沖縄の血が半分流れているというのに、というより、半分流れているからこそ伝えることができないのだという気がしている。

義理の弟の嫁さんが車を貸してくれるという。女房が頼んだらしい。
息子に聞いた。
「どこに行きたいんだ」
「どこでもいい」
「お前がどっかに行きたかったんじゃなかったのか」
誰もが、僕に気を使っている。

車の中から、従うべき正面の信号を撮影した。
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なぜかソッポを向いている。昨夜の風で曲がったのである。いたるところに、そんな信号があった。

開店前の銀行。シャッターを水洗いしている。
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台風の後、そうしておかなければ錆びてしまうのである。

ガソリンスタンドは洗車の車で長蛇の列。
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勝連の城跡が、昔のような感動を与えてくれないことは分かっていた。しかし、少ない時間で行ける場所は、此処しか思いつかなかった。
 ⇒2009年2月3日の勝連城跡
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だが、今日は雲ひとつない空。沖縄のステレオタイプなイメージとは裏腹に、実は天気の悪い沖縄、今日のこの空は、沖縄では滅多に拝むことのできない雲ひとつない快晴の空である。
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しかし、やっぱり海は何も伝えてこない。
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「ずいぶんつまらない海になっちゃったなあ。昔はこんなんじゃなかった。あの頃のこの海は、吸い込まれるくらいきれいな、色んな緑だった」
「ふーん……」

世界遺産に指定されて作られたオブジェ。つまり、作り物。
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本物が、すぐそこにあるというのに……。

「荷物をまとめなきゃならないからな、どっかで飯食って戻ろう」

沖縄市の街には今年のキジムナーフェスタのポスターが貼ってあった。
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「俺はこれとこれに出るんだ……」
山猫合奏団と、
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亘先生と一緒にチョンダラー。
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そんなことをつまらなそうにポスターを見ながら、誰に聞かせるでもなく言ってみたような気がする。なんだかはっきり憶えていないけれど。

「こんな店でいいか」
「うん、問題ない」

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一年ぶりの“チャーリー多幸寿”。
 ⇒1年前の“チャーリー多幸寿”の記事
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【そうして、つまらないことを呟いた】

15:39
沖縄に錆びた車が少なくなったのはヤンバルにダムができたから。今回台風の翌日が日曜日で仕事が休みだったので、自動車を洗う人がたくさん。断水の危機だったとか。

15:42
台風から2日目、沖縄の空は珍しく雲ひとつない。今日も相変わらずガソリンスタンドには洗車待ちの自動車が長蛇の列を作っている。



「中味汁、作ったけど、食べるねえ」
……と、義母。少し苦手だが、今日は頂くことにした。
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中味汁が大好きだった義父にそっと線香を供えて、空港へ向かった。

もう少し、自由に生きてみるかな。
(ずっと勝手に生きてたじゃないか)
(そんなことはない、ずっとお前たちのことを考えていた)

窓際に座っていた息子が、ほら見てというように目配せをした。
ボクはカメラをカバンから出して手渡した。
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息子は窓の外を撮影して、カメラを返しながらこんなんでいいかという顔をした。

「沖縄はさ、なかなか日が暮れない」
でも、夜は必ず訪れる。南国の長い1日が、間もなく終わろうとしている。


5月29日日曜日: 特筆すべきことなし?

《5月29日(日)-3》
先に帰る娘を空港で見送った帰り、義母や義弟の家族と、沖縄県立那覇商業高等のソバに最近開店したお店で沖縄そばを食べることにした。創業40年近い名護市の「中山そば」が出した支店である。
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学生限定の那覇商そば280円なんてメニューもある。他校の生徒でもOKらしい。

結婚した姪っ子は那覇商業の出身。ということは、津嘉山正種さんの後輩なんだ、てなハナシで特に盛り上がることもなく。BIGINに会ったよとでも言えれば食いつきも違うんだろうけれど。

ソーキそば。
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沖縄そば。
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沖縄そばには三枚肉が乗っている。「きつねそばにはお揚げが乗っている」くらい普通の話。「そば」と言っても蕎麦粉は使われていません、というのも沖縄の常識。「へえ、そうなの」なんていう日本人も結構いるが、中華そばに蕎麦粉が使われていないことに驚く人はまずいない。焼きそばしかり。
 ⇒沖縄そばについての薀蓄

どうでもいいハナシで無理やり記事を水増ししている感じだな。要するに特筆すべきこと特になしなのだ。なぜだろう。どうやら食傷気味らしい。なんだか気分が優れない。味わう楽しみを忘れている。そして、微妙な味の違いが分からなくなっている。

そのかわり“沖縄そば”のサブカテゴリを作ってみた。

ついでに“津嘉山正種”のカテゴリも作ろう。さて親のカテゴリはどうするか、津嘉山さんといえばケビン・コスナーにロバート・デ・ニーロ、だから「M.A.P.縁の人たち」がいいかなとも思ったが、やっぱりM.A.P.にとっては津嘉山さんは沖縄、だから「沖縄のこと」にしておくことにした。

「なんか忘れてないか……」
忘れているほうが幸せってこともあるさ。でも、きっと忘れることができずにいるんだろう。ここは遠い沖縄だというのに。

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《5月28日(土)-1》
東日本大震災から79日目……
どでかい台風が接近中。だから外出を控えた。ところが朝からずっと晴れている。
昼、近くの沖縄ソバ屋まで歩いて行った。
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頼んだのはやっぱりソーキそば。
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ジューシーも。
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帰り、少しパラっと来たが、すぐに止んだ。
途中、ちょっと寄ったファミリーマート。なんか変だ。
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ゴミ箱がないんだ。
ゴミ箱は台風に備えて店内に退避なのである。
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因みに、セブンイレブンは沖縄にはない。
 ⇒http://lince.jp/hito/orikoo…

テレビは、全く映らない。
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しかし午後5時前、まだ雨は降り出さない。ああ、こんなことなら出掛ければよかった。そうすれば、いくつか用事を済ますことができたのに。

「そろそろ時間よ~」


《5月27日(金)-2》
東日本大震災から78日目ということを忘れてしまった日……
モノレールをおもろまち駅で降りて雨の中を県立博物館まで歩く。

まず、ミュージアムショップ“ゆいむい”に顔を出して池宮城さんにご挨拶をして娘を紹介した。なんで娘を紹介したのかは今のところ至極私的なミステリーなのでお話はしない。

「琉球新報に路さんの公演の記事が載ってましたよ。カラー写真で。お電話しようと思っていたんですが」
「そうですか、後で新聞捜してみよう」

「今、岡本太郎展の準備で、中はバタバタしていて……」
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“岡本太郎と沖縄”は是非観たい企画だったが、開催は31日から、残念ながら諦めるしかない。

岡本太郎は川崎市に縁の人物だし、“おきなわおーでぃおぶっく”のラインナップに加えようと、岡本太郎の著作を管理するところに書類を渡してあるのだが、いっこうに音沙汰がない。といっても、こちらも忙しくてそれっきり連絡もしていない。ぼちぼち動かさなければと思うが、さて。

そういえばもう何度もここに来ているが、まともに常設展を見学したことがない。これでは元館長大城立裕さんにも申し訳ない。
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常設展の中には一部撮影できる場所がある。
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(執筆中)

【そうして浦添に戻って呟いたこと】
18:00
雨!濡れたって平気!沖縄!これが当たり前、当たり前なことを奪った原発は、やっぱり許せないと、沖縄の空の下であらためて思う。


夜は、義母のソーキ汁でシマ(泡盛)をやるのであった。
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» 続きを読む

《5月27日(金)-1》
東日本大震災から78日目ということを忘れそうな日……

沖縄に着きました。
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社長からの完全なる脱却、はじまりです。

とりあえず荷物がたくさんあるので、というのも結婚式用の礼服を持ってきたから、カミサンの実家へ向かいます。

【そうして呟いたこと】
10:40
只今沖縄の浦添市におります。決して放射能から逃げてきたわけではありません。それでもホントに久しぶりに野外で深呼吸しています。しかし台風だって?なんてこった。

10:42
しかし蒸し暑い。それでも深呼吸できる幸せ。


そして、子供たちと一緒でなければまず行かないであろう昼の国際通りを、ぶらついてみることにしました。
代行さんとよく似たかりゆしウェアを買ったキーストーンが閉店するらしい。
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 ⇒代行さんとよく似た……
 ⇒かりゆしウェアを買った……
 ⇒国際通りのキーストーン

パラダイス通りの大東そばで大東そばと島寿司を食う。
大東ソバの看板
 ⇒2009年6月13日の昼間の大東ソバ
 ⇒2009年12月22日の夜の大東ソバ平和通りへ。
あ、カンカラ三線だ。
カンカラ三線販売中
 ⇒カンカラ三線のこと
カンカラ三線を売る、その妙な感覚。いったいどういう人が買うんだろう。買って、どうするんだろう。

紅芋のシェーク。
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このお店で、アルバイトを募集していた。
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どうやら17:00~21:30の人は見つかったらしい。
「時給700円~」っていうことは700円なんだろうね。これ、沖縄では普通。600円台もザラです。
しかし「43歳くらい迄」というのがよくわからん。

けっこうな雨模様。でもここは沖縄。濡れることを気にせず、今来た国際通りを再度西へ戻り、パレット久茂地の4階にある那覇市歴史博物館まで歩く。娘の希望。息子と女房は別行動。
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ボクは、娘に付き合いながら、今後のことを考えていた。一週間前なら「戦略」とでも言ったところだが、今は少し違う。もっと根源的な、でも言葉にしようとすると、「さて、何をするか」みたいな平易な言葉しかあてはまらない思い……

“M.A.P.after5”にとっての最大のミステリー。

さあ、ボチボチモノレールに乗ろう。でないと、県立博物館でゆっくり観覧する時間がなくなってしまうから。


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高山正樹 Masaki Takayama
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