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《7月16日~17日:宇夫方》
10日も東京を離れるので、いろいろと処理しておかなければならないことがあって、昨夜は1時間くらいしか眠れませんでした。だからとっても眠い。でも、ホテルで一休みしたら復活。間もなく日が変わって17日になる時間ですが、那覇の夜はこれからです。ななしん屋まで、歩いて行くことにしました。

実は、キジムナーフェスタの“どんぐりと山猫”では、ちょっとしたお遊びとサプライズがあるのです。そのひとつが三線。

「きのこの楽隊」で、楠さんがトロンボーンを吹く、そのパターンはすでに去年のしんゆり芸術祭2009でご披露したのですが、今回はそれに高山正樹氏が三線で参加します。もともとは、白石さんが高山さんにギターでもやればと、ちょっと言ったのがことのはじまりで、いやそれなら今回は三線だと、高山さん。そうすれば絶対に盛り上がるというプロデューサー的判断らしいのです。

そんなわけで、その三線をななしん屋のママから借りることになったのです。明日からは恩納村に宿泊なので、なんとしても今日借りに行かなければなりません。当の本人は奥さんの実家でゆっくりしているらしい。まったくもう。
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でも、久しぶりに元気なママに会って、ますます元気になりました。
常連のお客さんと乾杯!
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ななしん屋2回目というお客様も来ていました。ブライダルの仕事をしていらっしゃる桃井さんという方です。だいぶ前に一度来て、その後もずっと気になっていたのだとか。沖縄には仕事で何回も来るそうですが、なかなか那覇に泊まる機会がなかったので、今日はとても嬉しいんだって。
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「また来ます」とママと握手をしてお帰りになりました。

それからちょっと“土”へ。今日はごうさんもいるはず。
与儀勝之くんのお兄さん烈之さんがカウンターにいらっしゃいました。今年の1月以来の再会です。今日も先にお帰りで、また写真を撮り損ねてしまいました。ご紹介できなくて残念。
今度はゆっくり飲んだくれましょう。

ごうさんも元気みたい。
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キジムナーにも名護にも来てくれるって。ありがとう。

土を出て、もう一度ななしん屋に。三線を持っていけるように、ママが準備しておいてくれたのです。
男性3人組みが飲んでいました。
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真ん中の方はママの息子さんなのです、当ブログ初登場です。両脇のお2人は息子さんが働くお店のオーナー会社の方々で、関東営業所所長の阿部さん(右)と副所長の湊さん(左)。
頂いた名刺の裏には、お店の名前がたくさん並んでいました。湊さんは「沖縄料理うるまアリオ亀有店」と「龍潭柏高島屋店」の店長も兼任されていらっしゃるとのこと。お店ではライブもやるそうです。機会があったら行ってみよう。

あれ、もう2時半だ。

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まずはレンタカーを借りて、そのまま電子ピアノを借りに糸満の沖縄水産高校へ行きました。
その記事は山猫合奏団のブログで見てください。
 ⇒沖縄水産高校にて
山猫合奏団のブログではご紹介しなかった画像を一枚。吹奏楽部の部室か音楽室か、その本棚です。
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さすがに沖縄ですね。三線の楽譜がいっぱいです。

その後、沖縄ワールドの“しよん”さんのところへ。
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今日は敦子さんが対応してくださいました。
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パワーストーン付マース袋。間もなく販売です。

沖縄ワールドに、“しよん”さんの工房を訪れるのは、きっとこれが最後です。“しよん”さんはついに自前の工房を開設することになったのです。この次来る時、新しい工房を見るのが楽しみだな。

沖縄ワールドで、遅めの軽い昼食。
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地ビールの“ニフェデビール”だって。
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ウチナーグチで「ありがとう」はニフェーデービル。そのモジリですね。
これ、ハイビスカッシュ。
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駄洒落ばっかり。

それからいしだ文栄堂さんで100店シリーズを仕入れ。

そしてホテルにチェックイン。今回初めて泊まるホテルは、去年壷屋小学校のやちむん市に行ったとき、高山正樹氏がポークと卵のおにぎりを買って食べたマックスバリューの近く。
今夜はヘルシー弁当。にんじんしりしり、ゴーヤチャンプルー、モズクてんぷらなど。
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お茶も水も沖縄のものです。


東京とおなじものもいっぱいあるんですよ。ただ沖縄独特のものだけ選んで買ってきました。
なんとなく。。。
山猫合奏団沖縄ツアーはあさってからです。今夜は嵐の前の静けさ、かな。
(宇夫方路)

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拝啓、智内好文さま。

いよいよ「ウチナー・パワー~沖縄 回帰と再生」が出版されましたね。おめでとうございます。早速お送りいただき、ありがとうございました。すぐにも読んで、宣伝をと意気込んだのですが、地味ながらその内容の重さに、しばしば立ち止まって沈思黙考、申し訳なく思っています。

今日から沖縄へ行ってきます。山猫合奏団の沖縄公演ツアーのためです。山猫合奏団の公演を沖縄で実現させる、それは、大げさに言えば僕の夢でした。山猫合奏団の仲間や、山猫合奏団を応援してくださる方々は、僕の最も大切にしなければならない人たちですが、そのみんなに、僕が30年間「沖縄」の何に拘ってきたのか、その一端を知ってもらえる機会がやっと訪れたのです。同時に、沖縄を通じて知り合った方々には、僕が沖縄とは関係の無いことも一生懸命に関わっている人間だということを知ってもらえるのです。「沖縄問題」が全ての日本人にとっての課題であるならば、今回のような機会こそがとても大切なのだと、僕は思っているのです。M.A.P.after5なるブログは、このためにこそあったのかもしれません。

にもかかわらず、何故かとても憂鬱なのです。その原因を説明するのは、なかなか困難なのですが、僕は周期的に、沖縄に関わっていることがとても嫌になる、ちょうどその時期にあたってしまったようで、でもこんなことを言うと、沖縄に関する優れた仕事を継続的に続けてこられた智内さんから、きっと叱られるに違いありませんね。

沖縄へ向かう機内で、東京から持ってきた唯一の本「ウチナー・パワー」をツラツラと読んでいます。
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沖縄が「沖縄」に「回帰」し、そして「再生」しようと声を上げれば上げるほど、どうやら僕の憂鬱は募っていくようなのです。

島尾伸三氏がプロローグを書いています。「夢幻琉球」という表題で。
「奄美大島で小・中学校を過ごした1950年代から60年代なかばまで、沖縄は輝いていました。沖縄にはアメリカの珍しいものや便利なものが何でもあって、道にあふれるほどいろんな自動車が走っていて、毎日たくさんの飛行機が町や村の上を飛んでいるというのです。(中略)その憧れは、1972年の沖縄への復帰後数年もしないうちに、奄美の人間にはすっかり色あせたものになってしまいました。その理由は(中略)アメリカ軍からの横流しや戦利品と呼ばれていた盗品を日本へ密輸して大儲けできる魅力が、失われたからです。」
なんという逆説でしょう。僕は、この島尾氏の文章に拮抗できる言葉を、たったひとつとして持ち合わせていないことに気づくのみです。
その代わりといっていいのかどうか、僕は、先日島尾伸三氏から聞いた話を、思い切って公開してしまおうと思ったのでした。
 ⇒http://lince.jp/hito/mapinfo/hidakatotinai…

また、例えば新垣誠氏はこんなことを書いています。
「(前略)沖縄の独自性を訴え、ヤマトとの差異化を図った言説が一世を風靡してから久しい。(中略)近代国家に取り込まれて以来、沖縄は常に苦渋をなめてきた。国家の矛盾と日常をともにすればするほど、帰属意識は薄れ、独自のアイデンティティーを問い直す作業が始まることは自然なのかもしれない。」
「しかし、また、沖縄の独自性を構築する作業は、沖縄をエキゾチックな文化的他者として陳列・観察しようとする殖民者やオリエンタリストによって強奪・利用されてきた側面をもつ。」
「他者の理解とは、多くの矛盾と困難をはらんだプロセスだ。他者理解など、そもそも不可能なのかもしれない。唯一、底知れぬ忍耐と謙虚な姿勢が生み出す共感力のみが、他者へ近づく道なのかもしれない。ましてや、自己の世界観に他者を幽閉して展示物のように眺め、自己を定義する欲求によって他者を「理解」するプロセスは、暴力以外の何物でもない」

そんなこと、分かり過ぎるほど分かっていたはずなのです。それなのに、僕はあらためて自問しています。僕は、沖縄の何を理解し、何を伝えようとしているのだろうかと。そして再び沈思黙考するのです。

「ウチナー・パワー」をそっと閉じて機内誌を手に取りました。しかしそこにも観光客に向けた沖縄特集が。
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沖縄は、逃れがたく僕のそばにあり、そしてどの記事にも、僕は「違う、違う」とつぶやいているのでした。

どんなに憂鬱でも、これから10日間、僕はいつもよりもずっと注意深く、沖縄を見てこようと思っています。もしかすると、今回の報告は、いつもにも増して、遅筆、かつ、時には重たいものになるかもしれません。でも、どうか山猫合奏団の記事がお目当ての皆様方にも、すこしばかり辛抱して、ぜひともお読みいただきたいと願っているのです。

智内好文さま。東京にもどったら、お会いしたいと思っています。
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高山正樹 Masaki Takayama
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