8月15日金曜日: 国立劇場おきなわ「嵐花」公演情報

9月の13日と14日に「国立劇場おきなわ」で上演される「嵐花」のチラシです。
左下に「字幕表示あり」とあるのがおもしろいですね。
この公演時に、「国立劇場おきなわ」のロビーにて、大城先生のオーディオブックCDを販売させていただくのです。
大和にも唐にもない物言う踊り・・・、沖縄の近松門左衛門、玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が、如何に組踊(くみおどり)を創作したか、その精神の内的世界を描いた戯曲です。
1988年、高山正樹は前進座劇場でこのお芝居を観ています。おもしろかったとか、感動したとか、そんな言葉では言い表すことのできない「おきなわ」の存在の重さを、その時、高山は感じたと言います。
高山の書斎に、その舞台が劇場中継されたTV番組の収録ビデオと、上演パンフレットが大切に保管されてあります。そのパンフレットには、贅沢にも大和の言葉に訳された台本が掲載されているのです。正確にいうと、まず大城先生は日本語(大和の言葉)で執筆され、それをうちなーぐちに翻訳されたのですから、翻訳される前の台本ということになります。
そしてさらにそのパンフレットには、高山と長く親交のあった舞台美術家の故西山三郎氏がスタッフとして一文を寄せて、大城先生の作品に参加できるうれしさと怖さについて書いていらっしゃいます。
それから20年の歳月を隔てて、まさか大城立裕先生とこんな仕事をさせていただけることになろうとは、高山には深い感慨があるようです。
そして今回、大城氏はふじたあさや氏に上演台本を送られていたのですが、それが届いた二日後に、偶然にも高山がふじた氏のお宅に伺い、後日大城先生にお許しを頂いてその台本をお借りしました。それもまだ高山の書斎にあります。これもまた、不思議なことです。
沖縄でこの記事を読まれる方がいらっしゃれば、9月、是非「国立劇場おきなわ」で、この公演を観ていただきたいと思うのです。
沖縄タイムスの又吉さん、当日、劇場で会おうね。一緒にあなたの生まれ島の沖縄のこと、勉強して、そうして私たちは、単純に感動しようね。それで、CDも買ってね。
(この記事は、高山正樹が、他人のフリして書きました。悪い癖です。)
「おきなわおーでぃおぶっく」Official_Blogへ転記
(チラシを大きくして見れます。裏を見れます。)
(チラシを大きくして見れます。裏を見れます。)
《追伸》
嵐花の小説版です。
8月11日月曜日: 一方沖縄では大城立裕先生にインタビュー
オーディオCDの「あとがき」を大城立裕先生にしゃべっていただくことになり、昨日の10日、その録音を野外で行いました。
ついでに録画も。担当してくださったのは去年の春沖縄に移住した井上真喜さん。元NHKエンタープライズのエンジニアなのです。ありがとうございました。
録音場所は対馬丸記念館の裏にある旭が丘公園。どうしても自然の風の音が欲しかったのです。

沖縄は9日までずっと天気が悪く、昨日の10日も朝のうちは雨、でもお約束をした午後2時にはすっかり雨は止みました。
沖縄はいつでも真っ青な空というイメージがあるのですが、結構雨や曇りの日が多いんです。
なお、大城立裕さんのお話は是非CD買って聞いてくださいね。

最後に対馬丸記念館に飾ってあった対馬丸の模型の前で記念撮影です。なんだかとってもペアルック。
なお来る8月22日には対馬丸記念館において対馬丸慰霊祭があるとのこと、大城先生は記念館の受付の方から「大城先生、是非いらしてくださいね」と声を掛けられました。大城立裕先生はそれに答えて「うん、うん、うん」と小さく返事されたのですが、後でこんなことを呟かれたのです。
「実は今まで、一度も出たことないんだ。遺族の方にお会いするのが悲しくて、つらくてねえ。」
今年もきっと、先生が慰霊祭に参加されることはないんだろうなあ。
この後、大城立裕翁は急いでお帰りになりました。なんてったって甲子園での高校野球、沖縄代表浦添商業高校の試合のプレイボールの時間が迫ってるんですから。
浦添商業高校はめでたく2回戦を勝ち抜きました。おめでとうございます。
ついでに録画も。担当してくださったのは去年の春沖縄に移住した井上真喜さん。元NHKエンタープライズのエンジニアなのです。ありがとうございました。
録音場所は対馬丸記念館の裏にある旭が丘公園。どうしても自然の風の音が欲しかったのです。

沖縄は9日までずっと天気が悪く、昨日の10日も朝のうちは雨、でもお約束をした午後2時にはすっかり雨は止みました。
沖縄はいつでも真っ青な空というイメージがあるのですが、結構雨や曇りの日が多いんです。
なお、大城立裕さんのお話は是非CD買って聞いてくださいね。

最後に対馬丸記念館に飾ってあった対馬丸の模型の前で記念撮影です。なんだかとってもペアルック。
なお来る8月22日には対馬丸記念館において対馬丸慰霊祭があるとのこと、大城先生は記念館の受付の方から「大城先生、是非いらしてくださいね」と声を掛けられました。大城立裕先生はそれに答えて「うん、うん、うん」と小さく返事されたのですが、後でこんなことを呟かれたのです。
「実は今まで、一度も出たことないんだ。遺族の方にお会いするのが悲しくて、つらくてねえ。」
今年もきっと、先生が慰霊祭に参加されることはないんだろうなあ。
この後、大城立裕翁は急いでお帰りになりました。なんてったって甲子園での高校野球、沖縄代表浦添商業高校の試合のプレイボールの時間が迫ってるんですから。
浦添商業高校はめでたく2回戦を勝ち抜きました。おめでとうございます。
8月 9日土曜日: 沖縄オーディオブックのはじまりのこと
2008年の春、会社を設立して初めての決算を前にして、高山正樹は考えていました。
自立した一人前の会社にするために、僕らにできることは何なのか。たくさんのことを思い浮かべたけれど、そのほとんどが次々と消えていきました。
その中に、オーディオブックもありました。例えば、著作権切れの作家の作品を朗読してデータ配信するのはどうだろう。でも、誰もが思いつきそうなお手軽な発想、事実、そんなサイトは、もうすでにたくさん存在していました。
高山正樹は思いました。「これも違うな」。
ある日、高山正樹は、ふっと気がついた、高山の書斎には1000冊近い沖縄関係の蔵書があるのです。「これだ!」と高山正樹は思いました。その日のうちに、知り合いのルートを頼って、沖縄タイムスの文芸部長にコンタクトをとりました。「是非とも、大城立裕先生にお会いしたいのですが。」
沖縄に特化したオーディオブックを作る。ならばその始まりは大城立裕氏以外には考えられない・・・
「何をしたいのか、その意図は何か」沖縄タイムス文芸部長の真久田さんから当然の質問が来ました。
即刻、高山正樹は20年間の沖縄との関わりを綴ったメールを送りました。(高山正樹の沖縄との関わりについては、いずれ高山本人が「社長とは呼ばないで」に書くでしょう。)
すぐに真久田さんより、「大城先生が会ってもよいとおっしゃっておられます。直接に電話するように。たった今なら御自宅にいらっしゃいます」と、大城先生の電話番号が書かれた返信メールが届いたのです。
6月8日。初めて大城立裕先生のお宅に伺いました。首里の高台にある、平屋の一見ごく普通のお宅。
奥様が上等な「ちんすこう」を出してくださいました。でも高山は緊張のためか口が渇いていて、もそもそして頂くことができなかったようです。
大城先生が、開口一番おっしゃいました。「又吉くんのほうが、いいんじゃないか」
又吉くんとは、「豚の報い」で芥川賞を取った沖縄の人気作家、又吉栄喜さんのことです。高山正樹は答えました。
「いえ、まず何としても大城先生の作品で始めたいのです。それも『カクテル・パーティー』から、それ以外は、全く考えておりません。」
大城立裕先生は、こちらのお願いを快くOKしてくださいました。次の日、大城先生をご紹介いただいたお礼と、併せて「セロ弾きのゴーシュ」のCD発売を記事にして頂けることになったお礼の御挨拶のため、おもろまちにある沖縄タイムス社まで出向きました。そのついでに、といってはなんなんですが、受付そばのテーブル一個を占拠して、山猫合奏団のコンサートを沖縄でやるための作戦会議をしていたのです。あつかましいはなしですね。でも、受付の二人の女の子は何の文句も言わず、それどころかニコニコ応対してくれて、とっても仲良くなりました。
「二人とも、とび抜けてカワイイ」とは高山正樹の弁。
「あんまりかわいいから、憎らしいから、もう一回画像を貼り付けちゃおう」

そのうち、ついに高山が、受付の又吉さん(左側の彼女。偶然にも作家の又吉さんと同じ苗字)にちょっかいを出したのです。(右側は山田さんです。)
「ねえ、大城立裕さんて知ってる?」
すると彼女は、受付に常備している社員名簿を取りだして調べ始めました。
「違うよ、社員じゃないよ。あれー、大城立裕も知らないの? ここ、確か沖縄タイムス社だよねえ。今日の朝刊にも、大城さんの記事、出てるんだよ」、高山正樹はそう言って、新聞を持ってこさせて、その掲載記事を彼女に指し示したのでした。
ちょっとお昼を食べに出て、また営業会議の続きに戻ってくると、又吉さんが飛んできて、そして高山の手を取って、
「ごめんなさい。大城さんて大変な方だったんですね。うちでも何冊も本を出して頂いていて、大変お世話になってます。上で聞いたんですが、とっても叱られました。これからも色々教えてください。よろしくお願いしまーす。あ、それから、山猫合奏団の記事が出たら、その新聞、5部くらい、とっておきますから。また寄ってくださいね。」
あとでその話を真久田さんに話したら、
「今は、もうそんなもんですよ」と苦笑いしていらっしゃいました。
要するに、会社の顔に必要なのは、大城立裕を知っているかどうかではなくて、かわいいかどうかってことなのか、とは高山正樹の呟きです。
商売的には前途多難かなと、その時は思いました。でも今は違うことを思ってます。今の若い人は、沖縄の若者でも、大城立裕の名前さえ知らない。しかし、だからこそ逆にやりがいがある、やらなきゃならない、そんな気がしてきて、ファイトが湧いてきているのです。
今までは、まだ朗読の収録前だったので、お知らせできなかったことを、今日ついに御報告することができました。
明日、CDに特別収録する大城立裕氏のインタビューを録音して、あとは出来上がりを待つばかりです。また後日ご報告します。
あ、そうだ、ジャケットのデザインがまだ決まってない。大変だ・・・。
自立した一人前の会社にするために、僕らにできることは何なのか。たくさんのことを思い浮かべたけれど、そのほとんどが次々と消えていきました。
その中に、オーディオブックもありました。例えば、著作権切れの作家の作品を朗読してデータ配信するのはどうだろう。でも、誰もが思いつきそうなお手軽な発想、事実、そんなサイトは、もうすでにたくさん存在していました。
高山正樹は思いました。「これも違うな」。
ある日、高山正樹は、ふっと気がついた、高山の書斎には1000冊近い沖縄関係の蔵書があるのです。「これだ!」と高山正樹は思いました。その日のうちに、知り合いのルートを頼って、沖縄タイムスの文芸部長にコンタクトをとりました。「是非とも、大城立裕先生にお会いしたいのですが。」
沖縄に特化したオーディオブックを作る。ならばその始まりは大城立裕氏以外には考えられない・・・
「何をしたいのか、その意図は何か」沖縄タイムス文芸部長の真久田さんから当然の質問が来ました。
即刻、高山正樹は20年間の沖縄との関わりを綴ったメールを送りました。(高山正樹の沖縄との関わりについては、いずれ高山本人が「社長とは呼ばないで」に書くでしょう。)
すぐに真久田さんより、「大城先生が会ってもよいとおっしゃっておられます。直接に電話するように。たった今なら御自宅にいらっしゃいます」と、大城先生の電話番号が書かれた返信メールが届いたのです。
6月8日。初めて大城立裕先生のお宅に伺いました。首里の高台にある、平屋の一見ごく普通のお宅。
奥様が上等な「ちんすこう」を出してくださいました。でも高山は緊張のためか口が渇いていて、もそもそして頂くことができなかったようです。
大城先生が、開口一番おっしゃいました。「又吉くんのほうが、いいんじゃないか」
又吉くんとは、「豚の報い」で芥川賞を取った沖縄の人気作家、又吉栄喜さんのことです。高山正樹は答えました。
「いえ、まず何としても大城先生の作品で始めたいのです。それも『カクテル・パーティー』から、それ以外は、全く考えておりません。」
大城立裕先生は、こちらのお願いを快くOKしてくださいました。次の日、大城先生をご紹介いただいたお礼と、併せて「セロ弾きのゴーシュ」のCD発売を記事にして頂けることになったお礼の御挨拶のため、おもろまちにある沖縄タイムス社まで出向きました。そのついでに、といってはなんなんですが、受付そばのテーブル一個を占拠して、山猫合奏団のコンサートを沖縄でやるための作戦会議をしていたのです。あつかましいはなしですね。でも、受付の二人の女の子は何の文句も言わず、それどころかニコニコ応対してくれて、とっても仲良くなりました。
「二人とも、とび抜けてカワイイ」とは高山正樹の弁。
「あんまりかわいいから、憎らしいから、もう一回画像を貼り付けちゃおう」

そのうち、ついに高山が、受付の又吉さん(左側の彼女。偶然にも作家の又吉さんと同じ苗字)にちょっかいを出したのです。(右側は山田さんです。)
「ねえ、大城立裕さんて知ってる?」
すると彼女は、受付に常備している社員名簿を取りだして調べ始めました。
「違うよ、社員じゃないよ。あれー、大城立裕も知らないの? ここ、確か沖縄タイムス社だよねえ。今日の朝刊にも、大城さんの記事、出てるんだよ」、高山正樹はそう言って、新聞を持ってこさせて、その掲載記事を彼女に指し示したのでした。
ちょっとお昼を食べに出て、また営業会議の続きに戻ってくると、又吉さんが飛んできて、そして高山の手を取って、
「ごめんなさい。大城さんて大変な方だったんですね。うちでも何冊も本を出して頂いていて、大変お世話になってます。上で聞いたんですが、とっても叱られました。これからも色々教えてください。よろしくお願いしまーす。あ、それから、山猫合奏団の記事が出たら、その新聞、5部くらい、とっておきますから。また寄ってくださいね。」
あとでその話を真久田さんに話したら、
「今は、もうそんなもんですよ」と苦笑いしていらっしゃいました。
要するに、会社の顔に必要なのは、大城立裕を知っているかどうかではなくて、かわいいかどうかってことなのか、とは高山正樹の呟きです。
商売的には前途多難かなと、その時は思いました。でも今は違うことを思ってます。今の若い人は、沖縄の若者でも、大城立裕の名前さえ知らない。しかし、だからこそ逆にやりがいがある、やらなきゃならない、そんな気がしてきて、ファイトが湧いてきているのです。
今までは、まだ朗読の収録前だったので、お知らせできなかったことを、今日ついに御報告することができました。
明日、CDに特別収録する大城立裕氏のインタビューを録音して、あとは出来上がりを待つばかりです。また後日ご報告します。
あ、そうだ、ジャケットのデザインがまだ決まってない。大変だ・・・。
7月30日水曜日: おきなわおーでぃおぶっく開設
万を持して・・・
大城立裕おじい(沖縄文学界の巨星に対して、気軽にこうお呼びすることを、どうかお許しください)は大正14年生まれ、でも実にお若くて、大変暖かい、素敵な沖縄のおじいなのです。
こちらの無理難題を、いつもいつも快く受け入れてくださいます。
プロフェッショナルなスタッフがたくさんいれば、もっときちんとしたことができるのにと、申し訳なく、いつも忸怩(じくじ)たる思いでいっぱいなのですが、そのすべてを、おじいは笑って見守ってくださいます。
それどころか、こんなのがいいんじゃないか、あんなのはどうだろうと、いくつものアドバイスをいただきました。もしかすると、黙って見ていられないほど、私たちのやることが危なっかしかったのかもしれません。今は、ただただ感謝の気持ちで一杯です。
沖縄の本をオーディオブック(昔でいうところの録音図書)にするという企画を立ち上げるにあたって、まず大城立裕さんにお願いすると決めたことは、やっぱり間違っていなかったと改めて思っているのです。

6月8日、始めて首里のお宅に伺ったとき・・・
奥様が撮影してくださいました。
まずは作品で、我々は大城立裕おじいにお返ししなければなりません。
「カクテル・パーティー」を汚すようなことがあっては絶対にならない。我々は大変な責任を負ったのだと自覚しています。
泣いても笑ってもCD発売まで後一ヵ月半、再度気を引き締めて、全力を尽くしてがっばっていきます。
大城立裕おじい(沖縄文学界の巨星に対して、気軽にこうお呼びすることを、どうかお許しください)は大正14年生まれ、でも実にお若くて、大変暖かい、素敵な沖縄のおじいなのです。
こちらの無理難題を、いつもいつも快く受け入れてくださいます。
プロフェッショナルなスタッフがたくさんいれば、もっときちんとしたことができるのにと、申し訳なく、いつも忸怩(じくじ)たる思いでいっぱいなのですが、そのすべてを、おじいは笑って見守ってくださいます。
それどころか、こんなのがいいんじゃないか、あんなのはどうだろうと、いくつものアドバイスをいただきました。もしかすると、黙って見ていられないほど、私たちのやることが危なっかしかったのかもしれません。今は、ただただ感謝の気持ちで一杯です。
沖縄の本をオーディオブック(昔でいうところの録音図書)にするという企画を立ち上げるにあたって、まず大城立裕さんにお願いすると決めたことは、やっぱり間違っていなかったと改めて思っているのです。

6月8日、始めて首里のお宅に伺ったとき・・・
奥様が撮影してくださいました。
まずは作品で、我々は大城立裕おじいにお返ししなければなりません。
「カクテル・パーティー」を汚すようなことがあっては絶対にならない。我々は大変な責任を負ったのだと自覚しています。
泣いても笑ってもCD発売まで後一ヵ月半、再度気を引き締めて、全力を尽くしてがっばっていきます。
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