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今日は、言葉少なめに、という気分。
沼袋駅近く。
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中野山田屋呉服店“シルクラブ”
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 ⇒シルクラブのホームページ

「ぬぬぬ市(布の市)鯨岡阿美子が愛した沖縄の染織家たち」
今日はその展覧会の最終日。25人の作家が集っている。
その中に、moso’sのお団子さんの先生、知花花織の島袋領子さんの名前もある。島袋領子さんは今年の沖展で奨励賞を受賞された。

残念ながら、作品をご紹介することはできませんが……
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「織」の細やかさを覗く。
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舞台がある。
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山田屋呉服店の女将さん(と呼ぶには余りに上品な方)でしょうか、伺って驚いた。今回の展覧会の初日に、「八重山の踊り」という公演が、ここで開催され、その時の三線を、新城亘さんが担当していたのだという。
途端にうちとけた。
西陣織のことを伺ってみたら、言葉無く笑っていらっしゃった。
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そうして、泡盛も勧められたのですが、車だったので、さんぴん茶と、ちんすこうで我慢したのです。
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「桜がきれい……」

人間には、こんな時間も必要なんだな、きっと……

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亘さん、本番前なのでウーロン茶。
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うそ。内緒で泡盛入り。むふふ……

噂に聞く新宿歌声喫茶“ともしび”初体験です。
今日は、ここで新城亘さんのミニコンサートが開かれるというのでやってきたのです。そういう機会でもない限り、近づき難い世界?
雨なので、お客さんはだいぶ少なめ。いつもはこんなもんじゃないらしい。
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(通常は撮影禁止ですが、特別に許可を得て掲載しています。)
皆さん、歌集を持っている。これを持っていなければダメというシステム。まだ買っていない人は、100円で借りることもできます。それ以外は基本的に居酒屋と変わりません。

いよいよ新城亘さんのミニコンサートがスタート。
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ピアノはともしびの人。笛は宮良政子さん。
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宇夫方路さんもサンバで飛び入り参加です。サンバといってもブラジルのサンバじゃあありません。三枚の板で出来ているリズム楽器。三板と書いて「サンバ」です。
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体制が変わって、昔の歌声喫茶との連続性は特に強くないとのことですが、それでもなかなかコメントしにくい感じなのです。「沖縄を返せ」とか「リムジン河」とかのイメージ、表層を撫でるようにノスタルジックに語って済ませたくはありません。
元来ロシア民謡とマルクスのテキストは、全く相容れないものなのではないでしょうか。沖縄民謡だって同じことではないのかな、なんて。
でも、酒さえあれば文句はない、気持ち良く酔えればみんな友達、そういうことですよね、亘先生。
僕らの場合、ツマミが歌ではおさまらず、ゴーヤーチャンプルーなんかを注文してみたのです。
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3月17日水曜日: いろいろな始まりの予感

本日の出来事です。

【お昼】
「金城さんの沖縄料理を食べる会」のため、PushPallのSpaceに設置されている水周りと料理器具の下見に金城さんと行きました。ついでにランチを食べました。
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金城さんの沖縄料理を食べる会については、明日、ブログで告知する予定です。

【午後一】
いよいよMAP主催の三線教室がスタートです。新城亘先生傘下の教室ということで、ようやく始められることになりました。
以前ちょっとご紹介した持田明美さんと大御所(?)新城亘さんです。
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持田さんは本家の沖縄語を話す会で、ずいぶんとウチナーグチを勉強されたのだそうです。國吉眞正さんのこともよくご存知でした。人前できちんと歌うためには、ウチナーグチの勉強は不可欠。M.A.P.の三線教室は「喜多見で沖縄語を話す会」と色々な交流をもってやっていこうと思っています。そのへんが他にはない私たちの「ウリ」ではないでしょうか。定期的に開催する予定(?)の「金城さんの沖縄料理を食べる会」も、そんな交流の一つだと思うのです。
三線教室に関しては、近々発表いたします。
そして、満を持して「三線(サンシン」のサブカテゴリーを作成しました。

【after_5】
事務所にお客様がいらっしゃいました。
20年くらい前、国際通りの久高民藝で買った琉球ガラスの鉢を、高山正樹が書斎の押入れの奥から探し出して持ってきました。
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これって、再生ガラスなのかなあ。

今まで琉球ガラスにはあまり興味がなかったのだけれど、今日お客様とお話して、少し調べてみようかなと思い始めました。
さて、「琉球ガラス」というのサブカテゴリーをつくるまでいくのかどうか、今のところ生まれたばかりのミステリーで、先がまだよく見えません。
(お客様のYさんにも「金城さんの沖縄料理を食べる会」の御案内をしました。来てくだされば楽しいのになあ。)

【夜】
色々と決まったので、飲みたくなりました。お腹もすいたので今日は鳥研へ。
お通しとキャベツで始まって……
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たまごかけご飯で〆。
お店にチラシを貼ってもらいました。
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【深夜】
スナック“ぎま”に行きました。そして三線教室のこと、沖縄語を話す会のことなどをお知らせしました。
お店をやめたら、沖縄へ帰って暮らすんだというママ、本当はいろいろな会に出て行きたくて仕方がないのです。だけどお店があるからなかなかそれができない。でも、とりあえず無理をして、私たちの三線教室に顔を出してくださることになりそうです。
きっと、すぐにもスナック“ぎま”のサブカテゴリーを作らなければならなくなりそうですね。

常連のお客様を囲んでの記念撮影。
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皆さん気のいい方々ばかりです。

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現在の真珠橋。
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旧真珠橋は、沖縄戦で破壊された。

真珠橋には人柱伝説があった。それを聞いた役者、平良良勝が「真珠橋(またんばし)由来気」」(「七色元結」)という芝居を書く。初演は昭和10年頃。
そして大城立裕氏は小説『花の碑』を、また「嵐花」という芝居を書き……
「嵐花」のパンフレット
さらに2004年、新作の組踊「真珠道」を発表するのである。
《関連記事》
http://lince.jp/hito/arasibana…
http://lince.jp/hito/madamamiti…
組踊「真珠道」が東京の国立劇場で上演されたことはこのM.A.P.after5でも記事にした。だがそれ以上のことは語らなかった。というより、その背景にある歴史・文化・政治の深さを知れば、簡単に語れるものではなかったのだ。だが、今は、いずれ書いてみたいと思っている。

ちなみに、この大城氏の書いた「真珠道」を、横道萬里雄氏がその論評の中で絶賛したということを、後で知ったのである。
《横道萬里雄さんのこと》
http://lince.jp/hito/yokomiti…

気軽に、無責任に始めてしまったブログなのだが、だんだんと、そういうわけにはいかなくなってくる。

亘さんの弟子(?)の前城さんのお陰で、RBCテレビを訪れることができた。八木政男先生とお会いした時以来の琉球放送。前城さんも付き合ってくださった。感謝である。
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《一昨日のこと》
http://lince.jp/hito/urizun…
そういえば、亘さんも、横道萬里雄さんは大変な方だと言っていたっけ……。

RBCに、何しに行ったのかって? なんでもかんでも書いてしまうことは、もう許されないのかもしれない、と、思い始めているのさ。
そば家鶴小(ちるぐゎー)で…
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牛肉そば680円を食す。
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ボリュームがあって、安くて、おいしくて、こんなことなら、いくらでも書けるのだが。

11月17日火曜日: “うりずん”の記憶

新城亘さんが栄町の“うりずん”と、とても縁が深いということは、南林間の“舞天”で知りました。
 ⇒その日の記事を読む
僕も、“うりずん”には少なからず思い出があります。
結婚した時、沖縄の親戚との約束は、必ず盆正月には帰ってくること、でした。考えてみれば妙なハナシです。東京にだって盆も正月もあるのですから。
でも、沖縄には行きたかったから、正月は沖縄で過ごしました。「行かなきゃならないんだよ、それが約束なんだから」と女房の親戚の所為にして。
沖縄に行けば、必ず栄町の“うりずん”に顔を出しました。
閉店後、店の若者に説教するオーナーの土屋さん。店の忘年会での豚の丸焼き、日航のパイロット、オリオンビールの社長……
ある時、歩き始めたばかりの長男を連れて行ったことがあります。営業時間が終っても、僕は土屋さんと飲んでいました。土屋さんは息子の顔を見て、お前はウチナンチュだと言って笑いました。やがて店に残っていた人たちのカチャーシーが始まります。息子のためのカチャーシー、息子を躍らせて楽しむために。

そんなハナシを“舞天”で亘さんにしていたら
「その時三線を弾いていたいい男は僕かもしれないなあ」
だって。
「いや、そんないい男はいなかった」
その日その場で、亘さんは“うりずん”に予約を入れてくれたのです。
「土屋さん?17日、行くからさ」

そして、十数年ぶりの“うりずん”です。
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今ほど安い航空券の無い時代。子どもが大きくなってくれば、しがない貧乏役者が毎年家族を連れて沖縄へ行くことなどできるものではありません。そのうちに、東京にいても“うりずん”の噂が聞こえてくるようになりました。亘さんによれば、今は予約しなければ入れないらしい。敷居が高くなっちゃたのかな。でも今日は新城亘御大がいるから心強い。
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20年以上前のこと、亘さんと僕は、意外に近いところにいたらしい。
結局、その時はお会いすることはありませんでした。それが今になって、ここでこうしていることの不思議。
亘さんの歌うトゥバラーマが心に染みるのです。
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「亘さん、偉い先生がね、声のために、酒飲んだら歌っちゃいけないんだって。」
「それは間違ってる。酒を飲んだら歌わなければいけない。難しいこという人に限って歌は下手さ」
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亘さんの酒と三線の弟子、前城さんです。
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でも前城さんは亘さんのパソコンの先生。前城さんがいなければ新城亘博士は誕生しなかったということは内緒。

今日も宇夫方路は踊ります。
「酒を飲んだら踊らなければいけない」
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土屋さんは、宇夫方が踊っている間、ずっとニコニコ笑っていました。
あの時と変わらない同じ笑顔で。
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U:「上原直彦さんに電話したの」
T:「もう定年になって15年だから、比嘉稔さんに直接連絡したらって」
M:「比嘉稔って、琉球放送のですか?」
T:「ええ、制作部長の」
M:「彼なら同級生ですよ。昨日も会ってました」
前城さんはその場でアポと取ってくださいました。
M:「イチャリバチョーデーですよ」

関りえ子氏も合流して。
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不思議な縁。今日も実に沖縄っぽい夜でありました。

《おまけ》
松山にある、沖縄の藤山寛美、仲田幸子のお店。
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お弟子さんは師匠に似ず……
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たまんない……
旅の続きへ

沖縄国際大学を後にして……
20:00 浦添にある“Big Time”というスナックへ。

でも閉まっています。残念、休み?
ところが亘さん、ポケットから鍵を出して扉を開けた!
「常連はね、みんな鍵持ってるの」勝手知ったる……
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亘さんは、いつでもピース!!
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國吉眞正さんと宇夫方路も勝手にやってます。
新城亘さんはいつでもピースなのだという記事

壁には、まだ見ぬママと、どなたかのお写真が。
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お、この方は和泉流の狂言師、人間国宝の七世野村万蔵翁ではございませぬか。旧名は四世野村万之丞。現在の野村萬(隠居名)氏。あの「違いのわかる」野村万作さんのお兄様です。
このお写真を撮影した時には、亘さんも同席していらしたのだとか。

やがて、ママが登場しても、カウンターの中から出ようしない厚かましい二人。豆腐ようを勝手に盛りつけています。
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それからママは、腕によりをかけて、たいへんおいしいお料理を作ってくださいました。
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そのママの手料理を頂きながら……
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亘さんの歌を間近で聞く、なんと贅沢な時間でしょうか。

常連さんたちもポツポツと……
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弾き、歌う人。聞き入る人。
null 國吉眞正さん

お客様が古典を踊ってしまうところがすごいですなあ。それも男性まで。
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ホントはこのお父さんもただの近所のおじさんではない。
来年の2月に行われる“韓国と八重山の踊り”という公演に深く関わっていらっしゃる方。
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つまり、沖縄ではそんじょそこらに芸能関係の方々がいるということなんですけどね。

そして、やっぱりカチャーシーは欠かせません。
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そして、やっぱり宇夫方路は、ママのカチャーシーには、どんなに頑張っても及ばないのでした。
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宇夫方路の“晴読雨読”(琉球新報)を読む

【シーブンです】
國吉眞正さんとママ。
國吉眞正さんとママ 高山正樹とママ
【ほんとのオマケでした】
旅の続きへ


《高山正樹》
那覇空港到着(16:00)。新城亘さん國吉眞正さんと、ホテルのロビーで待ち合わせて、沖縄国際大学、西岡ゼミの研究室へ(18:30)。
亘さんが西岡敏准教授に繋いでくださったのです。
新城亘さん 西岡敏准教授「ウチナーグチを守ろう」
最近の沖縄で、よく聞かれるスローガンです。
行政も動き始めているようです。あの悪名高き方言札の時代を思うと、隔世の感があります。しかし、いったいどうしたらウチナーグチをきちんと残していけるのか、なかなか困難なのです。
そのひとつに、表記の問題があります。このことについては、M.A.P.after5でも幾度か書いてきました。
http://lince.jp/hito/freetalk…
http://lince.jp/hito/kiritan…
今、何人かの言語学者の方々が、それぞれの表記法を唱えていらっしゃいます。しかし、どれがいいのかの評価は定まっておらず(というより大方の人は表記問題には無頓着です)、また言語学とは関係のない人たちは、自分の喋る音を、カナを駆使してその都度書き表わしているというのが現状なのです。
例えば儀間進氏のエッセイでさえ、同じ「どぅ」という表記でも、[doo]と読むべき場合があったり、[du]だったり、[duu]だったりするのです。ウチナーグチをある程度理解している方々なら問題なく読み分けてくださるでしょう。しかし、ウチナーグチのわからないものにとっては、これは大変に困ったことです。「どぅ」という表記を自然に読むとどうなるか、漫画で自由な擬音に慣れている若者と、明治の頃の小説をたくさん読んでいらしたご年配の方とは違っているかもしれません。そういう中で、間違った発音のウチナーグチが氾濫していくという事態が起こっています。

この日、國吉眞正さんは、船津好明さんの考案された新沖縄文字が、いかに優れているかについて、精力的に語られました。このお歳で、これほど情熱を持っていらっしゃる國吉さんに、あらためて頭の下がる思いがしたのです。

M.A.P.after5でも、新沖縄文字について、ちょっとだけご報告したことがあります。
http://lince.jp/hito/hisabisa…
しかし、今までのところ、まだきちんと詳しくご紹介はしていません。それは、M.A.P.として、様々な表記法を比較検討するまでに到っていないからです。
しかしながら今日は、船津さんの考案した新沖縄文字について、率直に思っていることを語ってみたくなりました。

「僕も当初、この新しい文字に、ちょっとした違和感を感じたのです。どの音にどの表記を当てるかは単なるルールに過ぎないのだから、どんな記号を使おうとかまわないはずだ。ならば今ある仮名文字を使って、この音のときはこう書くという決まりを作ればいいだけのことではないか、その方が一般にも受け入れてもらいやすいのではないかと。でも、実際に新沖縄文字を使って教えてもらうと、仮名文字を使うよりもはるかにわかりやすいのです。それは何故なのかと考えてみました。それは、新沖縄文字は、ここでこの発音をしなさいというわかりやすい指示となっているからなのです。いつも使っている仮名文字での表現ではそうはいきません。ややもすると、沖縄特有の音韻ということが、たいへんにぼやけてしまう。
また、現状、既存の仮名文字を使ってたくさんのウチナーグチの文章が書かれていますが、それらはいったいどのルールで書かれているのか、そもそも一定の決められたルールに拠っているのか、さっぱりわからない場合が多いのです。
その点、この新沖縄文字を使うと、この音で発音せよという明確な指示を伝えることができるのです。その意味で、新沖縄文字は、ウチナーグチを学ぼうとする初心者にとっては、たいへん有効な指針となるのです。」

僕のこの素人の意見に、若き言語学者の西岡敏先生は、ありがたいことに理解を示してくださいました。

ふと見ると、研究室の壁に、M.A.P.でも販売している50音表が貼られてありました。
調子に乗って、恐れを知らぬ素人は、なおも発言を続けます。
「沖縄の音韻を理解するためには、まず日本語の50音表のいい加減さを理解することが有効だと思うんです。」

さて、ここで……
前回のウチナーグチ講座で、次回は「半母音について」と予告しましたが、せっかくなので、半母音のことをお話する前に、この際「日本語の50音表」について、ちょっと考察してみたいと思います。

というわけで……
【急遽開催!沖縄語の音韻講座、プロローグ(3)】
沖縄語の音韻講座を始めから読む

仮名は、基本的には表音文字です。例えば「た」という文字は[ta]という音で読まれなければなりません。仮名1個が1個の音に、一対一で対応しています。
日本語には母音が5つあり、それぞれがすべての子音と完全に対応しているため、50音表は日本語の仮名を理解するためにはとっても便利なアイテムです……、ということになっています。

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はたして、ほんとういそうなのでしょうか。正しくは、「日本語の5つの母音は、子音と完全に対応していた」と、過去形でいうべきなのです。

わたしたち日本人は、たとえば「た」と「ち」は、それぞれ同じ子音[t]に母音の[a]と[i]がくっついていると思っています。しかし実はそうではありません。「た」は[ta]ですが、「ち」は[ti]ではありません。[ti]なら、それは「てぃ」と読まれなければならないのです。現代人は「ち」を[ci]と発音している。つまり「ち」の子音は[t]ではなく[c」なのです。
しかし、古代の大和では、「ち」は「てぃ([ti])」と発音していたらしい。同様の例はたとえば「さ行」にも「は行」にも、それ以外にもたくさんあります。つまり、その頃は、今よりもずっと、50音表の整合が取れていたのだといわれているのです。しかし、その後の音韻変化によって、その音自体は変わっていったのですが、50音表は旧来の並びのまま使われ続け、結果日本語の50音表の音韻的整合性は失われていきました。

ところが、沖縄語には、この日本語では失われた音韻が、昔のまま残っているのです。「てぃ」とか「どぅ」とかがそれです。さて、そうした音を、既存の日本語の50音表に入れ込もうとしたら、どうすればいいのでしょうか。沖縄語特有の音韻のために、新しい行を付け加えればいいのでしょうか。いえいえそうではありません。まずは現行の50音表を、現在の発音(子音)の通りに並び替えてみればいいのです。そうすると、新たな50音表の中に、沖縄語特有の音韻の、納まるべき指定席のあることがわかるはずです。

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※例えば、●赤丸のところには「てぃ(ti)」が入ります。
※また、このほかに、声門破裂音がらみと、j・wといった半母音がらみの新しい行が必要となります。

この新しい50音表に新沖縄文字を当てはめていけば、沖縄特有の音を、容易に理解することができるのです。

各行の詳しい説明は、後日“沖縄語の音韻講座”でお伝えしていく予定です。
沖縄語の音韻講座、プロローグ(4)へ

さて、西岡ゼミの研究室に戻りましょう。
表音文字の「かな文字」について、「仮名1個が1個の音に対応している」と述べましたが、しかしこれはあくまでも基本です。例えば、「~へ」という助詞は、[he]ではなく[e]と読まれています。というより「え」ではなく「へ」と書かなければならないというほうが正確でしょうか。また、かつては「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と読ませたとか、「けふ」は「きょう」だった、などなど。
http://lince.jp/hito/au-oo-uu…
こうしたことは、実は沖縄語にもあるのです。特に古典的な文章にそれが多い。これが沖縄語の表記の問題を、さらにややこしくしています。

また、拗音(「ちゃ」とか「ぎゅ」とか)は、1モーラ(※)でありながら大文字1個に小文字をくっつけて2文字で表わしています。(※モーラ:一定の時間的長さをもった音の分節単位。)
新沖縄文字は一音(1モーラ)につき一文字を基本としていて、「てぃ」は「て」と「ぃ」をくっつけた新しい図案の一文字で表しています。
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西岡先生は、「こういう文字のことを言語学では合字というんですよ」と、世界の他の合字の例を上げて教えてくださいました。
「でも、拗音はそのまま使うんですね」
これは学者の視点だと、密かに感じたのでした。「一音一文字」ということの統一性を確保しなくてよいのか、新沖縄文字の考案者で数学者でもある船津好明さんは、これについてなんとおっしゃるのか、今度聞いてみたいなあ。

「パソコンで使える文字にするということも重要ですが、検索ということを考えた時、文字の順番も重要です。」
「パソコンの検索ですか?」
「いえ、辞書に掲載する文字の順番です。辞典などを引く時にはどうしても必要なことです。元来50音表はサンスクリットの音韻学がその起源だといわれています。その並びにも意味があるのです。新しい50音表は、是非そのあたりを考慮して作るのがいいと思いますよ」
なるほど、こういう話を聞くと腕が鳴ります。あ、これは船津先生にお任せすることですね。素人がでしゃばってはいけません。

そして、もうひとつ、忘れてはならない重要なことを西岡先生はおっしゃいました。
「首里や那覇あたりなら、この新沖縄文字で十分ですね」

西岡先生も、数年前に沖縄語の表記法を試案として考えられたことがあり、それをネットで公開していらっしゃいます。それは奄美から波照間島の音韻にまで及んでいて、並べられたその多様な音韻をあらためて眺めていると、目がクラクラしてくるのです。
http://www8.ocn.ne.jp/~nisj/

結論として、言語学的に沖縄語の音韻を網羅するのならば、新沖縄文字もまだまだ改良する必要があるのかも知れないが、ウチナーグチを勉強するためのアイテムとしての有効性は、西岡先生も十分に認めてくださったようです。
実は西岡先生は、船津さんの「美しい沖縄の方言」を大切に持っていらっしゃいました。
http://lince.jp/hito/densetu…
この「美しい沖縄の方言」は、西岡先生が沖縄語の勉強を始められた時の、最初の教科書だったのだそうです。
最後に、西岡先生は、もし新沖縄語を使った書籍を出版するようなことがあれば、推薦文を書いてくださるということを快くお約束してくださいました。
「この本には思い入れがありますから」
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新しい50音表が出来上がったら、またお伺いさせていただきたいと思います。
西岡先生どの。本日は、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。
(文責:高山正樹)
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新城亘(わたる)さんと、色々ご相談することがあって、南林間にある“舞天”という沖縄居酒屋に。このお店は、毎日のように沖縄民謡のライブが行われています。だからお客さんには、そんな関係の方も多いのでしょう。「わたる先生」と、若い人たちが挨拶に来ます。
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本日の出演はスージーズ。
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明後日の15日には、沖縄タウンの離島フェアでライブをやるらしい。
スージーズのホームページ

新城亘さんについては、前回ちょっとお話しましたが……⇒http://lince.jp/hito/wataru…
今日は、もう少しきちんとご紹介してみましょう。石垣出身。高校卒業後、神奈川県でNTTに就職。傍ら三線の演奏も続けていらしたのですが、41歳のときに一念発起、「世界に誇れる沖縄の音楽を研究したい」と、沖縄県立芸大に入学。以来、家族を神奈川にほったらかして(?)、研究を続けてきました。そして2006年、芸術学の博士号を取得。
わたるさんの博士論文のテーマは「琉球古典音楽安冨祖流の研究」。声楽譜が無く、主に口伝によって伝えられてきた安冨祖流の古典音楽を、音声解析機器などを使って分析。音楽構造や伝承方法を科学的に明らかにしたのです。
今日は、そのほったらかされた奥様の弥生さんもご一緒です。
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前回はわたるさん・宇夫方路・高山正樹三人で泡盛一升、今日はほどほどにというはずだったのですが……
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だんだんおかしくなってきた……

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この夫にしてこの妻あり!
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最高に楽しい!!
わたるさんがどう思っているかは別にして。
店中乱舞!
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わたるさん、明日の本番、大丈夫ですか?

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三線(さんしん)の学者、新城亘先生です!
ピース!
新城亘さんがピース 宇夫方路のピース
いやいやピースする高山正樹
やだなあ、今まで一度もピースなんてしたことないのに…


新城さん「何か、沖縄の芸能やってるの?」
高山「ええ、泡盛」
新城さん「ああ、それで十分。上等上等。」

ええい、こうなったらもう行け行けだ!
酔っ払った新城亘さんと高山正樹

亘さんは安冨祖流の三線の演者でありながら、三線を学問しちゃった人。かなりおもしろいのです。早稲田大学の特別講義を、ほとんど三線ライブにしちゃったり。でも、とても正しき方でもあるのです。
「芸能の道はどこまでもどこまでもまっすぐな苦しき道。その道から外れることなく歩き続けることは至難の業さあ」

さて、亘さんから伺った当世三線界事情などは、これからいくらでもお話する機会がありそうですから、今日はしたたか飲んだ雰囲気だけお伝えしましょう。

それにしてもだ、三人で泡盛一升はちょいと飲みすぎでしょう。

お勘定の際も、さり気なくピース
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何となくピース…
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最後も、やっぱりピース!
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亘先生、ちゃんと帰れたかしらん。
またお会いしましょうね。

さて、ちょっとだけ亘先生のお仕事紹介……
以前、“海の一座”のご紹介をしましたが、そのブログにも新城亘さんが登場しています。
http://uminoitiza…

それから、何年か前のお芝居“アンマーたちの夏”のチラシです。
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主演は北島角子さん。
そのキャストの欄、演出の幸喜良秀さんのお隣に新城亘さんのお名前があります。
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探せば他にもいくらでも出てきます。キリがないからやめます。
そして、ようやく“しよん”さんの三線グッズ、販売開始です。
三線グッズ関連記事
楽天市場沖縄map三線グッズのページ


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高山正樹 Masaki Takayama
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