2月 3日火曜日: 沖縄出張3日目の午前中
まずは沖縄県立博物館へ。
⇒前回訪問時の記事
⇒Official_Blogを読む
ミュージアムショップ“ゆいむい”にて。
Official_Blogと同じアングルの画像です。

違うのは笑顔です。
今回の旅のテーマの一つは、笑顔なのです。
但し、こんな笑顔が簡単に生まれるわけではありません。店長の池宮城さん(中央)と宇夫方路さんの父上隆士さんとは、前の旧県立博物館の「友の会」でご一緒だったお友達なのです。その関係で、ここで我々のCDも置かせてもらえています。
これってコネ?
沖縄では人との繋がりが、「本土」よりもずっと重要なことです。良くも悪くも。
紅型の品物がたくさん。


ちょっと高くてもいいものをお土産にしたいなら、ここはお勧めです。
紅型作者の金城君を「引き回す」のは昼から。能書きが聞けなくて残念。
こんな小物を見つけました。

南の島の不思議な木の実、オキナワウラジロガシ。
説明書きによると、奄美大島から西表島に分布しているブナ科の植物とのこと。その種子は日本最大のドングリ。
あれ、沖縄にドングリ、あったのか。
私事ではございますが、四半世紀以上前に沖縄から出てきた小生の妻は、秋になると東京の自宅近くの公園で拾ったドングリを箱詰めにして、沖縄へ送っていました。沖縄にはドングリがないから、甥や姪に見せたやりたいという理由で。送られた方はいい迷惑(?)、しばらくするとドングリから虫が一斉に顔を出すのですからね。しかしそれでも、「沖縄にもドングリはあるから、わざわざ送ってくれなくても結構だ」というようなお断りの連絡は来ませんでした。
最近、どんどんと沖縄オバア化していく妻なのですが、東京に出てくる前には、那覇の保育園で保母さんをしていました。例えば園児たちを連れて、近所の公園なんかに遊びに行ったのだろうに。そこには、ドングリは落ちていなかったのでしょうか。
ミステリーです。
帰ったら、カミサンに問いただしてみようと思っています。そのためには、証拠品として、このドングリ、買っていかなきゃね。
ともかく、僕は四半世紀の間、「沖縄にはドングリがない」と思い込み、「どんぐりころころ」などという童謡を、全国一律に歌わせるなんておかしいと、居酒屋なんかで、偉そうなことを語っていたわけです。
わたくしの所為で、間違った沖縄情報を信じてしまった人がいるとしたら、ああ、どうしましょう。
関係各位どの、ごめんなさい。謹んでお詫びいたします。
金城君との待ち合わせ時間にはまだだいぶん時間があるので、NHK沖縄へ。

身長180cmを越えるような放送部長さん。
「宣伝のための宣伝はしませんが、結果的に宣伝になってしまうことは問題ないと思っています。」
しかし、全国一律の番組を作るには、やはり戦争がらみの話題が早道だということらしい。まずは番組制作依頼の企画書を作って、タイミングを図って提出してくださいとのこと。感触は悪くない。
深く考えると動けなくなる場合もあります。どんな方途を使っても、まずは発言権を得て、我々を認知してもらうことも必要なのです。ドングリのことならいざ知らず、泡瀬の干潟のことや、ヤンバルの森のことを、まず知ってもらうためにも、です。
今日も、長い一日になりそうです。
⇒前回訪問時の記事
⇒Official_Blogを読む
ミュージアムショップ“ゆいむい”にて。
Official_Blogと同じアングルの画像です。

違うのは笑顔です。
今回の旅のテーマの一つは、笑顔なのです。
但し、こんな笑顔が簡単に生まれるわけではありません。店長の池宮城さん(中央)と宇夫方路さんの父上隆士さんとは、前の旧県立博物館の「友の会」でご一緒だったお友達なのです。その関係で、ここで我々のCDも置かせてもらえています。
これってコネ?
沖縄では人との繋がりが、「本土」よりもずっと重要なことです。良くも悪くも。
紅型の品物がたくさん。


ちょっと高くてもいいものをお土産にしたいなら、ここはお勧めです。
紅型作者の金城君を「引き回す」のは昼から。能書きが聞けなくて残念。
こんな小物を見つけました。

南の島の不思議な木の実、オキナワウラジロガシ。
説明書きによると、奄美大島から西表島に分布しているブナ科の植物とのこと。その種子は日本最大のドングリ。
あれ、沖縄にドングリ、あったのか。
私事ではございますが、四半世紀以上前に沖縄から出てきた小生の妻は、秋になると東京の自宅近くの公園で拾ったドングリを箱詰めにして、沖縄へ送っていました。沖縄にはドングリがないから、甥や姪に見せたやりたいという理由で。送られた方はいい迷惑(?)、しばらくするとドングリから虫が一斉に顔を出すのですからね。しかしそれでも、「沖縄にもドングリはあるから、わざわざ送ってくれなくても結構だ」というようなお断りの連絡は来ませんでした。
最近、どんどんと沖縄オバア化していく妻なのですが、東京に出てくる前には、那覇の保育園で保母さんをしていました。例えば園児たちを連れて、近所の公園なんかに遊びに行ったのだろうに。そこには、ドングリは落ちていなかったのでしょうか。
ミステリーです。
帰ったら、カミサンに問いただしてみようと思っています。そのためには、証拠品として、このドングリ、買っていかなきゃね。
ともかく、僕は四半世紀の間、「沖縄にはドングリがない」と思い込み、「どんぐりころころ」などという童謡を、全国一律に歌わせるなんておかしいと、居酒屋なんかで、偉そうなことを語っていたわけです。
わたくしの所為で、間違った沖縄情報を信じてしまった人がいるとしたら、ああ、どうしましょう。
関係各位どの、ごめんなさい。謹んでお詫びいたします。
金城君との待ち合わせ時間にはまだだいぶん時間があるので、NHK沖縄へ。

身長180cmを越えるような放送部長さん。
「宣伝のための宣伝はしませんが、結果的に宣伝になってしまうことは問題ないと思っています。」
しかし、全国一律の番組を作るには、やはり戦争がらみの話題が早道だということらしい。まずは番組制作依頼の企画書を作って、タイミングを図って提出してくださいとのこと。感触は悪くない。
深く考えると動けなくなる場合もあります。どんな方途を使っても、まずは発言権を得て、我々を認知してもらうことも必要なのです。ドングリのことならいざ知らず、泡瀬の干潟のことや、ヤンバルの森のことを、まず知ってもらうためにも、です。
今日も、長い一日になりそうです。
(文責:高山正樹)
旅の続きへ2月 2日月曜日: 八木政男氏(沖縄2日目夕方~夜)
八木政男さんとお会いするために琉球放送へ。

儀間進さんが橋渡しをしてくださいました。
儀間さんが八木さんに声を掛けた話

でも、つながりはそれだけではありません。
宇夫方路の琉舞の師匠である関りえ子さんは、2005年に芸能生活40周年を迎え、その年の9月25日に、その記念公演として、「絆・・・我した島~うむいまさてい」を沖縄県立郷土劇場で開催しました。その時の企画で、沖縄歌劇「仲直り三良小(なかなおりさんらーぐわー)」を上演したのですが、八木政男先生にはその演出をお願いし、また主人役での出演もしていただいたのです。そんなことがあって、宇夫方路は八木政男先生と面識がありました。
だからでしょうか。話はトントン拍子。
何のためにお会いしたのかはOfficial_Blogをお読みいただくこととして、そのほか大変おもしろいお話も色々づらづらと伺うことができて(ミステリー?)、中にはご報告できないようなものや、ご報告するのは問題ないのだが、ウチナーグチが分からなくて、聞いた時はとてもおかしかったんだけれど、今となってはうまく説明できないものなど(今度お会いする時はボイスレコーダーを持っていこう!金城くん助けて)、ご紹介できないのが残念至極です。
また「ウチナーグチの標準語」という、とても興味深いお話については、近いうちにOfficial_Blogか、Official_Siteにて、きちんとご報告しようと考えています。どうか、今しばらくお待ちください。
(この日、本当は儀間さんも御一緒にお食事をと考えていたのですが、昨日、儀間さんは高熱を出されて病院に運ばれたとのこと、決してご無理なさらないでと、儀間さんには後日お会いすることといたしました。というわけで、今日は八木さんとココでお別れです。)

そして定番の、パラダイス通りハシゴルート。
まずは「ななしん屋」へ

ママのふるさとは宮古の伊良部島です。宮古から本島へ行く場合、「沖縄へ行く」というのだそうです。つまり本島と宮古は、それほどまでに違う場所ということなのです。
ママがはじめて那覇へやってきたときのこと、宮古出身であることは言わん方がいいよと、ある人から言われた、でもママは、「なんでかー」と、その忠告に従いませんでした。
ここから先の話は、今日のところは控えることにしましょうね。
(この、「~しましょうね」というウチナーヤマトグチ独特の言葉を、僕は敢えて時々ブログで使うようになりました。この言葉を使うことが、とてもしっくりすることがあるのです。それはどういう場合なのだろう、はっきりしたら、またどこかでご報告したいと思っています。)
ただ一つだけ。
宮古には、正月や清明祭(シーミー)より大切な「後生の正月」というものがあり、それは旧暦の1月16日(ジュウルクニチ)に行われます。「後生の正月」、つまり、あの世のお正月なのです。
さて、宮古には「宮古民族」の他に、「誇り高き池間民族」が住んでいます。彼らは「ジュウロクニチ」を1月15日に行うのだそうです。住む場所も、体格も風貌も、暮らしぶりも全く違う「二つの民族」ですが、互いに尊重し合い、行事などは干渉せずに仲良く暮らしているのだと、ママから聞きました。
ななしん屋のママは、ウチナンチュとナイチャーの区別など全く興味ないのではないか、それはナイチャーの僕がママと話をしていて、なんとなく肌で感じるうれしい感覚なのです。ほんとかな、そのことを確かめるために、また、何度でも来ます。

「いらっしゃい」
「久しぶりだね」
今日は、もう一回、ななしん屋に戻って、そこでシメだね。なんだか、そういう気分なのです。
金城君。お疲れさまでした。

儀間進さんが橋渡しをしてくださいました。
儀間さんが八木さんに声を掛けた話

でも、つながりはそれだけではありません。
宇夫方路の琉舞の師匠である関りえ子さんは、2005年に芸能生活40周年を迎え、その年の9月25日に、その記念公演として、「絆・・・我した島~うむいまさてい」を沖縄県立郷土劇場で開催しました。その時の企画で、沖縄歌劇「仲直り三良小(なかなおりさんらーぐわー)」を上演したのですが、八木政男先生にはその演出をお願いし、また主人役での出演もしていただいたのです。そんなことがあって、宇夫方路は八木政男先生と面識がありました。
だからでしょうか。話はトントン拍子。
何のためにお会いしたのかはOfficial_Blogをお読みいただくこととして、そのほか大変おもしろいお話も色々づらづらと伺うことができて(ミステリー?)、中にはご報告できないようなものや、ご報告するのは問題ないのだが、ウチナーグチが分からなくて、聞いた時はとてもおかしかったんだけれど、今となってはうまく説明できないものなど(今度お会いする時はボイスレコーダーを持っていこう!金城くん助けて)、ご紹介できないのが残念至極です。
また「ウチナーグチの標準語」という、とても興味深いお話については、近いうちにOfficial_Blogか、Official_Siteにて、きちんとご報告しようと考えています。どうか、今しばらくお待ちください。
(この日、本当は儀間さんも御一緒にお食事をと考えていたのですが、昨日、儀間さんは高熱を出されて病院に運ばれたとのこと、決してご無理なさらないでと、儀間さんには後日お会いすることといたしました。というわけで、今日は八木さんとココでお別れです。)

そして定番の、パラダイス通りハシゴルート。
まずは「ななしん屋」へ

ママのふるさとは宮古の伊良部島です。宮古から本島へ行く場合、「沖縄へ行く」というのだそうです。つまり本島と宮古は、それほどまでに違う場所ということなのです。
ママがはじめて那覇へやってきたときのこと、宮古出身であることは言わん方がいいよと、ある人から言われた、でもママは、「なんでかー」と、その忠告に従いませんでした。
ここから先の話は、今日のところは控えることにしましょうね。
(この、「~しましょうね」というウチナーヤマトグチ独特の言葉を、僕は敢えて時々ブログで使うようになりました。この言葉を使うことが、とてもしっくりすることがあるのです。それはどういう場合なのだろう、はっきりしたら、またどこかでご報告したいと思っています。)
ただ一つだけ。
宮古には、正月や清明祭(シーミー)より大切な「後生の正月」というものがあり、それは旧暦の1月16日(ジュウルクニチ)に行われます。「後生の正月」、つまり、あの世のお正月なのです。
さて、宮古には「宮古民族」の他に、「誇り高き池間民族」が住んでいます。彼らは「ジュウロクニチ」を1月15日に行うのだそうです。住む場所も、体格も風貌も、暮らしぶりも全く違う「二つの民族」ですが、互いに尊重し合い、行事などは干渉せずに仲良く暮らしているのだと、ママから聞きました。
ななしん屋のママは、ウチナンチュとナイチャーの区別など全く興味ないのではないか、それはナイチャーの僕がママと話をしていて、なんとなく肌で感じるうれしい感覚なのです。ほんとかな、そのことを確かめるために、また、何度でも来ます。

「いらっしゃい」
「久しぶりだね」
酔っ払いの、ごうさん


今日は、もう一回、ななしん屋に戻って、そこでシメだね。なんだか、そういう気分なのです。
金城君。お疲れさまでした。
(文責:高山正樹)
旅の続きへ2月 2日月曜日: 沖縄出張2日目の午後
金城君の案内で。
首里の末吉公園近くの路上から撮影した那覇郊外の風景です。

当たり前のことですが、ここには沖縄の「普通の」人たちの生活があります。
画像左下に見える銀色のタンクは水を貯めておくもの。沖縄では一般の家屋にも「普通に」よくあるものです。
10年以上前に聞いた話。
「沖縄は恒常的な水不足で、台風の時期に一挙に降る水を各家庭で確保し、水不足に供えている。しかし、水の不足する時期にも貯めてしまうので、それがまた水不足を助長している。」
ダムがいくつか出来て、今はだいぶ改善されているようですが、全てうまくいっているのでしょうか。ダムと自然環境は、うまく折り合いがついているのでしょうか。金城君、教えて。
さて180度振り返ると、路地の反対側には…

沖縄そば下門(しむじょう)の入口。
沖縄で「門」を「じょう」と読むのは「普通」のこと。でも「『門』を『じょう』と読む」という表現はどうなのでしょう。「『城』を沖縄では『じょう』ではなく『グスク』と読む」というより、「沖縄の『城』は『グスク』という」という方が正しい感じがする。それに従うと「沖縄の『門』を『じょう』という」のが正しいのでは?
ああ、なんだか分かんなくなってきた。カナグシク君、助けて。うり、カネグシクは間違い? ああムチカシイ。「ムチカシイ」って、首里言葉では何て言うんだっけ……
ブツブツ言いながら入って行くと…

2007年の3月に、国の登録有形文化財に指定された家屋です。
中は、観光客の方で賑わっていました。
ソーキそばを注文して、出来上がる前のちょっとの間、表を巡ってみました。


裏手にはこんなものが。

フールです。豚の飼育小屋 兼 人間の便所。
人間の汚物を豚が食べる。いわば自動餌供給システムですね。
「カミサンの母上はやんばる出身、20年以上前だが、その実家のあたりで普通に見た記憶がある。もちろんもう使ってはいなかったけれど」とは、高山正樹の便、じゃない、弁。
便所の後に食べ物の画像とは、ちょっと気が引けないでもありませんが、結局、育った豚は人間に食べられたわけだから、この並びも間違いではありませんね。

ご馳走様でした。
表に出ると、あ、モノレールだ。

冒頭の画像のちょっと右側、駅舎に停まっている車輌、分かりますか?
さて、腹ごしらえも終わり、いよいよ金城君引き回しの旅のはじまりです。
まずは沖縄タイムス社へ。
さあ、あらためて、金城君のご紹介です。

左側で笑いこけているのは金城君じゃありませんよ。例の又吉千夏さんです。
右でにこやかに笑っているのが金城史彦。年齢不詳。
続けて琉球新報へ。

いつも“おきなわおーでぃおぶっく”を記事にしてくださる久場安志記者と金城君。
久場さんのお兄さんが金城君の同級生だと判明。(こんなふうにあっちの友達とこっちの親戚が繋がっているみたいなことは沖縄では「普通」のこと。)
つまり、金城君は久場さんより年上だということですね。で、久場さんはおいくつなの? ミステリー!
沖縄出張2日目は、まだまだ続く……
旅の続きへ
首里の末吉公園近くの路上から撮影した那覇郊外の風景です。

当たり前のことですが、ここには沖縄の「普通の」人たちの生活があります。
画像左下に見える銀色のタンクは水を貯めておくもの。沖縄では一般の家屋にも「普通に」よくあるものです。
10年以上前に聞いた話。
「沖縄は恒常的な水不足で、台風の時期に一挙に降る水を各家庭で確保し、水不足に供えている。しかし、水の不足する時期にも貯めてしまうので、それがまた水不足を助長している。」
ダムがいくつか出来て、今はだいぶ改善されているようですが、全てうまくいっているのでしょうか。ダムと自然環境は、うまく折り合いがついているのでしょうか。金城君、教えて。
さて180度振り返ると、路地の反対側には…

沖縄そば下門(しむじょう)の入口。
沖縄で「門」を「じょう」と読むのは「普通」のこと。でも「『門』を『じょう』と読む」という表現はどうなのでしょう。「『城』を沖縄では『じょう』ではなく『グスク』と読む」というより、「沖縄の『城』は『グスク』という」という方が正しい感じがする。それに従うと「沖縄の『門』を『じょう』という」のが正しいのでは?
ああ、なんだか分かんなくなってきた。カナグシク君、助けて。うり、カネグシクは間違い? ああムチカシイ。「ムチカシイ」って、首里言葉では何て言うんだっけ……
ブツブツ言いながら入って行くと…

2007年の3月に、国の登録有形文化財に指定された家屋です。
中は、観光客の方で賑わっていました。
ソーキそばを注文して、出来上がる前のちょっとの間、表を巡ってみました。


裏手にはこんなものが。

フールです。豚の飼育小屋 兼 人間の便所。
人間の汚物を豚が食べる。いわば自動餌供給システムですね。
「カミサンの母上はやんばる出身、20年以上前だが、その実家のあたりで普通に見た記憶がある。もちろんもう使ってはいなかったけれど」とは、高山正樹の便、じゃない、弁。
便所の後に食べ物の画像とは、ちょっと気が引けないでもありませんが、結局、育った豚は人間に食べられたわけだから、この並びも間違いではありませんね。

ご馳走様でした。
表に出ると、あ、モノレールだ。

冒頭の画像のちょっと右側、駅舎に停まっている車輌、分かりますか?
さて、腹ごしらえも終わり、いよいよ金城君引き回しの旅のはじまりです。
まずは沖縄タイムス社へ。
さあ、あらためて、金城君のご紹介です。

左側で笑いこけているのは金城君じゃありませんよ。例の又吉千夏さんです。
右でにこやかに笑っているのが金城史彦。年齢不詳。
続けて琉球新報へ。

いつも“おきなわおーでぃおぶっく”を記事にしてくださる久場安志記者と金城君。
久場さんのお兄さんが金城君の同級生だと判明。(こんなふうにあっちの友達とこっちの親戚が繋がっているみたいなことは沖縄では「普通」のこと。)
つまり、金城君は久場さんより年上だということですね。で、久場さんはおいくつなの? ミステリー!
沖縄出張2日目は、まだまだ続く……
旅の続きへ
2月 2日月曜日: 大城立裕氏(沖縄2日目の午前中)
朝一番、対馬丸記念館へ。
下の画像にもありますが、あの中島高男さんの本が出版されました。
⇒Official_Blogを読む
対馬丸記念館の裏には、琉球王府より特別な扱いを受けた八つの神社(琉球八社)のひとつ、波上宮があります。

なんだか大和風で、拍子抜けしますか? これも、沖縄です。
またその隣には波上山護国寺という沖縄最古のお寺もあるのです。察度王時代の1368年、波上宮の別当寺として建立され琉球王の勅願寺でした。境内には、明治初期のキリスト教宣教師ベッテルハイムの碑もあります。
いずれご紹介しましょう。
この護国寺と対馬丸記念館の関係は、こちらをどうぞ。
⇒対馬丸記念館のホームページ
そして、久米明さんのことをご報告に、大城立裕先生のお宅へ。
立裕オジイはカメラを向けると、いつも難しいお顔をされるので、なんとか笑わせて、写真家の石川真生さんが撮影したような笑顔をゲットしたかったのですが……。


まあ55点というところでしょうか。
ちなみに、芥川賞決定の電話を受け大喜びの大城氏という、あの有名な写真は、実際の芥川賞決定報告の電話を切ったあとに、写真を撮りそこなった新聞記者に頼まれてポーズを取った「やらせ」なのだそうです。ああ、こんなこと、バラしてしまっていいのでしょうか。まあ、おめでたいことだし、やらせに乗ったのも喜びの延長の遊び心だったということは、皆さんの笑顔を見れば分かります。時効ということでひとつお許しください。
大城氏のご自宅を辞して、さあ、金城くんと再会です。
旅の続きへ
下の画像にもありますが、あの中島高男さんの本が出版されました。
⇒Official_Blogを読む
事務局長の瑞慶覧さんと記念撮影。

なんか変ですか…。
昔の美川憲一さんをちょいと太らせた感じ?
もすこし笑ってくださればいいのにね。
きっとカメラマンの問題ですねえ。

なんか変ですか…。
昔の美川憲一さんをちょいと太らせた感じ?
もすこし笑ってくださればいいのにね。
きっとカメラマンの問題ですねえ。
対馬丸記念館の裏には、琉球王府より特別な扱いを受けた八つの神社(琉球八社)のひとつ、波上宮があります。

なんだか大和風で、拍子抜けしますか? これも、沖縄です。
またその隣には波上山護国寺という沖縄最古のお寺もあるのです。察度王時代の1368年、波上宮の別当寺として建立され琉球王の勅願寺でした。境内には、明治初期のキリスト教宣教師ベッテルハイムの碑もあります。
いずれご紹介しましょう。
この護国寺と対馬丸記念館の関係は、こちらをどうぞ。
⇒対馬丸記念館のホームページ
そして、久米明さんのことをご報告に、大城立裕先生のお宅へ。
立裕オジイはカメラを向けると、いつも難しいお顔をされるので、なんとか笑わせて、写真家の石川真生さんが撮影したような笑顔をゲットしたかったのですが……。


まあ55点というところでしょうか。
ちなみに、芥川賞決定の電話を受け大喜びの大城氏という、あの有名な写真は、実際の芥川賞決定報告の電話を切ったあとに、写真を撮りそこなった新聞記者に頼まれてポーズを取った「やらせ」なのだそうです。ああ、こんなこと、バラしてしまっていいのでしょうか。まあ、おめでたいことだし、やらせに乗ったのも喜びの延長の遊び心だったということは、皆さんの笑顔を見れば分かります。時効ということでひとつお許しください。
(文責:高山正樹)
大城氏のご自宅を辞して、さあ、金城くんと再会です。
旅の続きへ
2月 1日日曜日: 沖縄出張初日
成城学園までタクシーで。これ以外では飛行機に間に合いません。
シャッターが開くのを待って…

小田急線の始発。

荷物が重いから、新宿からシャトルバスで。

どのくらい眠ったのでしょうか。気がつけば夜はもうどこかへ。

雲の上とは、遥か遠く手の届かぬものの喩え。人間は、いつからこれほど簡単に雲を見下ろすことができるようになったのでしょうか。
この旅では、謙虚でありたいと思います。だけれども、言うべきことも言わねばならないとも思うのです。どちらかがどちらかに遠慮していたり、おもねっていたり、拒否していたりしていれば、希望は、いつまでも希望のままでしょうから。
与論島です。沖縄本島のすぐ北だけど、ここはまだ鹿児島県です。

与論空港の滑走路が見えます。
沖縄本島に近づいて、滑降が始まります。

機体は、揺れます。
期待は不安の相貌を帯びていきます。
でも、かんかん照りより少し曇っている方が、海は美しく見えるのです。
かつて僕は、こんな日記を書いたことがあります。是非読んでみてください。
http://lince.jp/mugon/kako…
つまり、幸福と「美しさ」とは相容れないものなのかもしれません。
でもそれは、あくまでも「理屈」のはなしです。
ともかく、久しぶりに、本島の海が美しいと思いました。初めて訪れた25年前の、あの時ほどではないけれど。その25年前よりも、さらに20倍美しかったのだと、津嘉山正種さんは、御自分が育った頃の沖縄の海を語ってくださいましたっけ。
リーフに砕ける波が見えます。波音は、想像するしかありません。
再び、ひとつの日記へ。
⇒寄せる波が破壊し返す波が奪い去る

妙な感傷はここまで。
まずはともかく、重い荷物を軽くしなければ。

完成した“人類館”のCDを、おきなわ堂へ届けました。
その後、JEFで昼食。
(mixiの日記にはこうコメントしてみました。
「まさか、イスラエル支援企業じゃないよね。」
つまり、こんな事だってちゃんと考えているんだよというポーズです。しかし、それはきっと重要なことではありません。mixiについては、思案中です。)

沖縄好きにはお馴染みのゴーヤーバーガー

ポークと卵焼きは定番のコラボ。
さあ、今日はカミサンの実家へ。

シャッターが開くのを待って…

小田急線の始発。

荷物が重いから、エレベーターです。


荷物が重いから、新宿からシャトルバスで。

羽田に着いても、まだ暗い。荷物が重いのです。


どのくらい眠ったのでしょうか。気がつけば夜はもうどこかへ。

雲の上とは、遥か遠く手の届かぬものの喩え。人間は、いつからこれほど簡単に雲を見下ろすことができるようになったのでしょうか。
この旅では、謙虚でありたいと思います。だけれども、言うべきことも言わねばならないとも思うのです。どちらかがどちらかに遠慮していたり、おもねっていたり、拒否していたりしていれば、希望は、いつまでも希望のままでしょうから。
与論島です。沖縄本島のすぐ北だけど、ここはまだ鹿児島県です。

与論空港の滑走路が見えます。
沖縄本島に近づいて、滑降が始まります。

機体は、揺れます。
期待は不安の相貌を帯びていきます。
でも、かんかん照りより少し曇っている方が、海は美しく見えるのです。
かつて僕は、こんな日記を書いたことがあります。是非読んでみてください。
http://lince.jp/mugon/kako…
つまり、幸福と「美しさ」とは相容れないものなのかもしれません。
でもそれは、あくまでも「理屈」のはなしです。
ともかく、久しぶりに、本島の海が美しいと思いました。初めて訪れた25年前の、あの時ほどではないけれど。その25年前よりも、さらに20倍美しかったのだと、津嘉山正種さんは、御自分が育った頃の沖縄の海を語ってくださいましたっけ。
リーフに砕ける波が見えます。波音は、想像するしかありません。
再び、ひとつの日記へ。
⇒寄せる波が破壊し返す波が奪い去る

まもなく着陸です。


妙な感傷はここまで。
まずはともかく、重い荷物を軽くしなければ。

完成した“人類館”のCDを、おきなわ堂へ届けました。
その後、JEFで昼食。
(mixiの日記にはこうコメントしてみました。
「まさか、イスラエル支援企業じゃないよね。」
つまり、こんな事だってちゃんと考えているんだよというポーズです。しかし、それはきっと重要なことではありません。mixiについては、思案中です。)

沖縄好きにはお馴染みのゴーヤーバーガー

ポークと卵焼きは定番のコラボ。
さあ、今日はカミサンの実家へ。

ん? あ!
もちろん君も紹介するさ。

「ただいま……」
(文責:高山正樹)
旅の続きへ
