いよいよM.A.P.安冨祖流三線教室がスタートします!

安冨祖流は、声楽譜を使用せずに師匠との対面指導伝承をしてきました。東京近辺では安冨祖流の教室はほとんどありません。

この度、その安冨祖流の三線教室をM.A.P.が主催して狛江で開設することになりました。新城亘先生をお迎えして、月に一回のペースで教室を開きます。
※新城先生のご都合が悪い場合は、持田明美先生の代稽古になります。

第1回目は5月12日(水)19時から。でも、この第1回は稽古ではなく…
教室開設記念セレモニー&宴会
という感じ。
亘先生、持田先生その他ゲストの方々の歌あり(?)、宇夫方路の踊りあり(?)で盛り上がりたいと思います。

その日は教室に通われる方ばかりではなく
誰でもいらっしゃいというM.A.P.的懇親会
にしたいと思います。(もちろん今後の稽古日についても、新城先生が泥っぱらう前に、教室参加を考えていらっしゃる皆様とはそっと御相談して最終決定したいと思います。今のところ、水曜日の夜か日曜日の昼間を検討しています。)
そして実質稽古はじめの第2回は、今のところ5月16日(日)の13時からを予定しています。
授業料は1回2,000円~3,000円を予定。集まる人数によって決めたいと思います。
※なお、懇親会の詳細は只今検討中で参加費としていくらかご負担していただく予定です。決まり次第、お知らせいたします。

亘先生(左)と初めて会った日の画像。初めてでこの乗り!
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指導:新城 亘
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 安冨祖流三線 師範
 石垣島生まれ。41歳でNTTを退社して、沖縄県立芸大に入学。博士号取得。
 通称、三線博士。
 琉球大・沖縄県立芸大・早稲田大等で、沖縄音楽の講座を担当。

代稽古:持田明美
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 安冨祖流三線、安冨祖流胡弓 教師
 「シーサーズ」のメンバー。
 沖永良部島へ通いながら、地元の唄者からシマウタを学んでいる。

持田先生と初めて会った日の画像。
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現在、沖縄の三線の流派はたくさんあり、乱立の様相を呈していますが、1983年刊行の『沖縄大百科事典』には次のように書かれています。
「流派は〈湛水流〉〈野村流〉〈安冨祖流〉がおもで、開祖の個性と技巧の妙をそれぞれ異にしている」

以下、『沖縄大百科事典』の各項目を参考に、沖縄の三線音楽の系譜をまとめてみました。同時に、三線の楽譜である「工工四」の歴史についても簡単に俯瞰してみました。

湛水(たんすい)流湛水親方(1623~83)によって創設。1872年(明治5)松村真信が『湛水流工工四(くんくんしー)』を編纂。1939年(昭和14)中村孟順・世礼国男共著『声楽譜附湛水流工工四全』出版。

当流才能があって創作意欲旺盛であった屋嘉比朝寄(1716~75)が、湛水親方から聞覚へと受け継がれたものを引き継ぐだけでは満足せずに自ら創出した楽風。朝寄は独自の記譜法を創案して『屋嘉比工工四』を編纂し、琉球古典音楽継承の礎を築いた。
(※後述の『屋嘉比工工四』『安冨祖流工工四』の解説参照)

野村流野村安趙(1805~71)が創始。当流は豊原朝典をへて知念績高に伝わるとさらに高度化した。知念の高弟野村は1867年に工工四を編纂するにあたり松村真信の助力を得て記載法を改め、音楽の大衆化をはかって当流の曲節に改訂を加え野村流と称し、それを弟子の桑江良真らが広く普及した。昭和10年代には伊佐川世瑞・世礼国男によって声楽譜が考案され、ますます大衆化が進み今日の隆盛をみる。

安冨祖流知念績高によって完成された当流を忠実に継承した安冨祖正元(1785~1865)を祖とする。演奏の基本として〈絃声一体〉の〈抑え起し(うすいうくし)〉を指針にしている。野村安趙が奏法の簡素化など独創的な演奏法の改革へ進み野村流を唱えたため、当流を守る安冨祖の流れを安冨祖流と呼ぶようになったが、本来は師風を正当に継承した当流にほかならなかった。書家鄭嘉訓は安冨祖の歌を評して〈つけ筆、すて筆、よく筆法に叶った音曲である〉と称賛したという。安冨祖正元は師風の伝承を一生の使命だと考え、つねに襟を正し歌道に精進した音楽家であった。後継者の安室朝持(1841~1916)によって演奏法の体系化がなされ、金武良仁(1873~1936)によって完成された。

【系譜】
湛水親方《湛水流》→…→A新里朝住→玉城朝薫→…→(松村真信)→…
      →〈現・琉球古典音楽湛水流保存会〉
(A新里)→照喜名聞覚(聞覚流)→屋嘉比朝寄(当流)→豊原朝典
 →B知念績高→安冨祖正元《安冨祖流》→安室朝持→金武良仁→…
      →〈現・安冨祖流絃声会〉〈現・安冨祖流絃声協会〉
  (B知念)C野村安趙《野村流》→松村真信→…
      →〈現・野村流松村統絃会〉
   (C野村)《野村流》→桑江良真→…
      →〈現・野村流音楽協会〉〈現・野村流古典音楽保存会〉

『屋嘉比工工四』屋嘉比朝寄編纂の琉球古典音楽の楽譜。三味線の旋律符号(漢字)を列記したそばに歌詞をカタカナで付記。旋律符号を順次書き並べただけで、拍子や拍節の判別ができず、覚書程度のものであることから〈書き流し工工四〉ともいわれている。しかし、楽譜もなく、口から耳へと覚え継がれるだけで、忘失したり誤伝されたりすることが危惧されていた当時の琉球音楽会にあって、屋嘉比による工工四の編纂は特筆すべき業績といえる。

『安冨祖流工工四』安室朝持によって1912年(明治45)に編纂された工工四。知念績高は屋嘉比朝寄の工工四を発見し、これを訂正し新しく工工四を編纂した。知念はさらにそれを訂正するよう安冨祖に言い渡したが、結局未訂正のまま安室に譲られ、安室は安冨祖に教えられたことを追憶しながら『野村流工工四』の形式にのっとって編纂した。その後4回(1932~58)にわたって手が加えられている。

さて、ここまで読んでくださった方は、もしかすると「あれ、安冨祖流には楽譜がなくて口伝なんじゃないの、安冨祖流にも工工四があるじゃない」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。確かに安冨祖流にも工工四はあります。しかし「声楽譜」がないのです。
では「声楽譜」とはどんなものなのか、ネットでちょっとおもしろい研究を見つけたのでご興味のある方は覗いてみてください。(PDFの資料です。)
 ⇒琉球古典音楽の唱法における発音・音声の研究
   野村流「工工四」における声楽譜、´大掛´について

そして、わが教室の師、新城亘先生はさらに興味深い論文を書かれているのです。
「琉球古典音楽安冨祖流の研究」
その論文要旨からの一部抜粋です。

安冨祖流の伝習法は、三線の手は工工四譜に基づきながらも、歌は口伝面授で伝習されている。口伝面授の際に「手様」は、工工四譜には表されない間のズレや、抑揚法の強弱を示す手段となっており、これが安冨祖流伝承の特色と言える。

「手様」ってなんだ!
 ⇒論文要旨を読む
でも「論文要旨」を全文読んでも「手様」の正体はわかりません。もはや貴方は、M.A.P.の新城亘先生の教室に通うしかありません。皆さん、待ってまーす!