今日は旧暦の1月1日です。
沖縄の正月といえば「若水」。そのことについては新暦の1月1日に書いたのでそちらをお読みください。
 ⇒A Happy New Year !(雑煮・沖縄・若水)

さて、沖縄で新年の挨拶はどういうのか。
「いいそーぐぁちでーびる」(※「ぐぁ」については音韻講座プロローグ《4》を参照)
訳せば「良いお正月ですね」といったところでしょうか。
『沖縄語辞典』で「おめでとう」を逆引きすると「(新年のあいさつ)’iisjoogwaçi」と出てきます。

でもね、本当にそうなのかなあ、と思うのです。紋切り型の日本語と、ウチナーグチをいっしょくたにしていいのだろうか。
去年の7月に「沖縄のあいさつ」という記事を書いているので、まずはどうかそれを読んでみてください。
 ⇒http://lince.jp/hito/aisatu…

柳田国男が『毎日の言葉』という本を書いています。その中の、「あいさつの言葉」という文章を読むと、昔の日本は、沖縄と同じだったのだということがよくわかります。(沖縄を通してみると、柳田国男という民俗学者は、やっぱりすごい人だったのだということが実感できるのです。)
「今でも挨拶という語を使わぬ人が、稀ならず居る」と、柳田国男は指摘します。そしてそういう人たちは、その代りに「言葉をかける」とか言う。
「たとえば今誰それが爰(ここ)を通ったが、声を掛けずに行ったのはどうしたのだろうなどと謂います。」
これって、儀間進さんや國吉さんから教えて頂いた、沖縄のおじいやおばあと子どもたちとの関係と同じではありませんか。

「物いいという語があいさつと変っても、言うべき言葉はそう急にはちがって来ず、従って人は一生のうち何千何万とそれをくりかえすので、聴く人も別にその内容にまでは注意せず、従ってやや形ばかりのものに固定してしまったかと思われるのであります。」

「物いいの言葉を分類して見ますと、(中略)常体即ちふだんのものと、臨時即ちよそ行きのものとの、二種になるようであります。言いかわすべき相手は同じでも、婚礼誕生その他の一生の大事件、もしくは盆正月節供祭礼の如き、年に一度しか無い場合の物いいは耳だちます。従って少しはめいめいの考えや感を、まじえてもよかったわけでもありますが、そうそうは適当な言葉が案じ出せぬので、是も大体には誰かのよい言葉を覚えて居て使うので、同じ型になりがちでありました。」

「平穏な以前の生活では、物をいいたくともそう毎日の話題はありません。そこで勢い内容の乏しい、有りふれたことばかりを口にするようになって、愈々形式化を早めたのであります。」

「現在我々の用いている『今日は』や『今晩は』などは、形としては不完全で、(中略)事によると是も使用の区域が広くなった為に、はっきりとしまいまで言ってしまうことの出来ぬ事情が有ったからかも知れません。」

「早朝の言葉、是は今殆どオハヨウの一つに統一しかかっていて、それは何を言うつもりなのかも不明になりかかって居ますが、本来は早く起き出したねと、相手の勤勉を感嘆する意味でありました。それ故に八時九時に顔を洗いに出るような朝寝坊に対しては、今でも気のこまかい人は、微笑を帯びてで無いと此語を発しません。」

「天気の批評は種類が多く、又実際に即して居ますから、『今日は』みたように空虚には聞えませんが、是が昔からの早朝の物言いではなかったことは確かで、何か其前にもう一つ、早起きをせぬ者にも通用すようなのが有った筈であります。沖縄の島でいうチウヤウガナビラ、今日は拝み侍るよ。又は種子島などのキョウハメツカリ申サンが其日始めて顔を合すときの礼節の言葉だったと思いますが、それに該当すものの中央にもあることは、まだ私は聴いて居りません。」


喜多見で沖縄語を話す会の皆様へ。
柳田国男『毎日の言葉』、ウチナーグチを学習する者の必読書かもしれませんよ。


「いー正月でーびる、若年わかわかーとぅ、うとぅんしぇーびてぃー」
このくらいは物言いたいものですねえ。
一週間実験延長も今日で終わり
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(現在26位、惜しかった……)