15:00
大城立裕先生宅へ。
又吉健次郎さんの伝言は、しっかりお伝えしました。今年の11月21日、国立劇場おきなわで組踊りの公演がある、是非観てほしいなあ、と大城先生。そして貸してくださった台本です。
null
大城立裕・作、新作組踊り「さかさま『執心鐘入』」。

組踊りについて簡単にご説明しましょう。
組踊りとは、韻文の台詞と音楽と踊りで構成された沖縄の伝統芸能で、大和の歌舞伎と能を足して2で割ったようなものともいわれます。中国からの冊封使(さっぽうし)を歓待するため、踊奉行の玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が創作し、1719年に冊封使の前で初めて演じられた「執心鐘入」などがその始まりです。冊封使とは、中国の明・清の時代に、朝貢国の王を冊封するために派遣された使者のことです。
(※《資料》参照)

では冊封とは何か(ああ、いちいち説明しなければならない、これほど日本人は、沖縄の歴史や文化を知らないということですね)、高山夫人が中学生の時、学校で配られた仲原善忠著『琉球の歴史』の上巻から、ちょっと長いですが抜粋して引用します。

null

「国王が死ぬとあとつぎが立って王になる。数年のあと、使いをやってたのむと中国から正副の冊封使(名高い文人が多い)がやって来る。那覇にとまっていて、式日には首里城でさかんな儀式があり、『なんじを封じて琉球国中山王となす』という皇帝の勅語を読み国王は中国から正式に王としてみとめられる。式をやって王としてみとめることを冊封というのです。しかしこの式があってはじめて王になるのではなく、たのまなければ来ないのです。又あの王はいけないといってことわったこともなく、王が自分のいげんをつけるための儀式です。」
「中国はむかしから体面をおもんずる国です。そして中国がその時代はアジア第一の文明国で、他の国々はみな野蛮未開な国々と見ているから対等のつきあいはゆるさない。それで『臣』と称して貢物をささげて行って皇帝にあいさつするのでなければ有利な貿易は出来ないのです。」
「(琉球王国は)臣下という仮面をかぶって、有利な貿易をやったということです。」


話を組踊りに戻しましょう。琉球が中国に初めて使いを送ったのは1372年のことですが、この中国との貿易の利益を狙った島津藩が琉球に進攻した、いわゆる「島津入り」が1609年、つまり組踊りが誕生した1719年には、すでに島津藩が琉球王国を実質的に支配していたということです。しかし、琉球王国は存続させなければならなかった、なぜならば、琉球王国を介する以外に、中国と貿易する手段が、当時の日本にはなかったからです。これは、沖縄の芸能を考える上で、とても重要なことのように思われます。
玉城朝薫は薩摩や江戸に何度も派遣され、そこで能・狂言や文楽・歌舞伎など大和芸能の様式を学びました。それが組踊りの創作に大きく影響しています。
特に玉城朝薫の第一作といわれる「執心鐘入」は、もっとも大和文芸の影響を受けていて、いわゆる「道成寺もの」がその下書きになっています。

大城先生は、大和と琉球の狭間で、いかに玉城朝薫が組踊りを創作したのか、その苦悩を描いた小説や戯曲を書かれてきました。
※関連記事(「嵐花」公演のこと⇒http://lince.jp/hito/arasibana…

また大城先生は、これまで新作の組踊りをいくつも発表されています。
※関連記事(「真珠道」公演のこと⇒http://lince.jp/hito/madamamiti…
2001年には、それらを集めた琉球楽劇集が出版されています。

null

この本は、上段に「歴史的仮名遣い」を、下段に読みをあらわすローマ字を配しています。
null
ここでもやはり表記と発音の問題があります。それについて大城先生の興味深いあとがきがあるのですが、それはまたあらためてご報告します。
※関連記事(「古典音楽」の本のこと⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/free…

さあ、ようやく今回の新作組踊り「さかさま執心鐘入」までたどり着きました。
これは大城先生のお話によると、「執心鐘入」の後日談のようなお話なのだとか。先生の作劇の動機がちょっと面白いのです。

「執心鐘入」の大道具の鐘は「執心鐘入」を上演する時にしか使われない、もったいないのでなんとかそれを使えないか…
「執心鐘入」に出てくる小僧さんたちの出番が少ない、その小僧さんのキャラクターをなんとかできないか…

稽古は5月くらいから始まっているそうです。組踊りの役者さんたちも、皆さんいろいろ仕事をしていかなければならないので、そろっての稽古が難しいと先生はおっしゃっていました。

本番が楽しみです。なんとか時間を作って、11月、また沖縄に来たいと思っています。
国立劇場おきなわホームページ
(宇夫方路の報告を高山正樹が目いっぱい膨らませてお伝えしました。)


《資料》
『沖縄民俗辞典』「くみおどり」の項より抜粋省略。
琉球の国劇。1718年、玉城朝薫によって創作され、翌1719年、冊封使歓待の「重陽の宴」ではじめて上演された。組踊りは幾つかの舞踊を劇のストーリーにあわせて組み合わせ、セリフと地謡によって展開していく。その成立には日本の浄瑠璃や歌舞伎の影響があるというのが通説。