昨年の“無伴奏デクノボー奏鳴曲”
藤井つとむさんからお借りしていたチェロ
久泉さんの工房に預けてメンテナンスをお願いしています。
きとんとしてお返ししないといけませんから。

そんなこともあって、今年のしんゆり芸術祭、どうしようかなあなんて、ツラツラと考えながら、やっぱりあさやさんに借りっぱなしの本を、ボーっと斜め読みしています。
横田庄一郎・著「チェロと宮澤賢治」
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ほんとうは、こんなのんびりしているヒマはないのですが、昨日、楠氏の、劇団あとむの「人間は愛だ」みたいな清き天使の芝居を観て、心優しき雪さんとドラさん(?)とお茶して、ドドさんがお父様と仲良く連れ立っている姿を見て、そんなこんなが、今日の僕に影響しているのかもしれません。

1995年、ほぼ一年間にわたって「宮沢賢治の世界展」なるものが全国11箇所で開かれた。しかし、京都会場での「入り」が悪かったらしい。著者は「日本の伝統文化とは異なる賢治の特質が現れているような気がする」と書いています。

京都ねえ…
雪さんの旦那さまが、同志社のご出身だと伺いました。

法華経にしろ、キリスト教にしろ、宗教って何なのでしょう。無宗教な僕にはさっぱりわからない。
賢治はエスペラント語の詩を書きたかったのだという話も紹介されています。
世界人類が幸福であること。理想です。しかし、ことはそう単純ではありません。

「賢治得意のエスペラントも、決して世界中の人々が同じ言葉をという理想通りに世間から理解されていたわけではない。エスペラントは当時の国際プロレタリア運動と結びついていたのである。」

さっき一つ、過去の記事をアップしたのですが、その記事は、今日の気分がすごく影響しています。
 ⇒日本の近代戯曲を読む(1/9のこと)

“セロ弾きのゴーシュ”の原文では、「カッコー」は「くゎくこう」と表記されていたらしい。
「外国へ行くために、どうしてもドレミファがやりたいのです」
 ⇒エスペラントのこと
 ⇒「くゎくこう」の「くゎ」のこと

吉田茂は「国会」のことを「こっくぁい」と言っていたし、未だ歌舞伎の世界では「勧進帳」は「くぁんじんちょう」だし。「シークァーサー」は、きっとずっと「シークァーサー」のママ。

沖縄の血を引く娘は、「哲学の道」をひとり歩くつもりなのでしょうか。あの、苦難の道を。
極めて、私ごとではありますが。

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