新城亘さんが栄町の“うりずん”と、とても縁が深いということは、南林間の“舞天”で知りました。
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僕も、“うりずん”には少なからず思い出があります。
結婚した時、沖縄の親戚との約束は、必ず盆正月には帰ってくること、でした。考えてみれば妙なハナシです。東京にだって盆も正月もあるのですから。
でも、沖縄には行きたかったから、正月は沖縄で過ごしました。「行かなきゃならないんだよ、それが約束なんだから」と女房の親戚の所為にして。
沖縄に行けば、必ず栄町の“うりずん”に顔を出しました。
閉店後、店の若者に説教するオーナーの土屋さん。店の忘年会での豚の丸焼き、日航のパイロット、オリオンビールの社長……
ある時、歩き始めたばかりの長男を連れて行ったことがあります。営業時間が終っても、僕は土屋さんと飲んでいました。土屋さんは息子の顔を見て、お前はウチナンチュだと言って笑いました。やがて店に残っていた人たちのカチャーシーが始まります。息子のためのカチャーシー、息子を躍らせて楽しむために。

そんなハナシを“舞天”で亘さんにしていたら
「その時三線を弾いていたいい男は僕かもしれないなあ」
だって。
「いや、そんないい男はいなかった」
その日その場で、亘さんは“うりずん”に予約を入れてくれたのです。
「土屋さん?17日、行くからさ」

そして、十数年ぶりの“うりずん”です。
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今ほど安い航空券の無い時代。子どもが大きくなってくれば、しがない貧乏役者が毎年家族を連れて沖縄へ行くことなどできるものではありません。そのうちに、東京にいても“うりずん”の噂が聞こえてくるようになりました。亘さんによれば、今は予約しなければ入れないらしい。敷居が高くなっちゃたのかな。でも今日は新城亘御大がいるから心強い。
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20年以上前のこと、亘さんと僕は、意外に近いところにいたらしい。
結局、その時はお会いすることはありませんでした。それが今になって、ここでこうしていることの不思議。
亘さんの歌うトゥバラーマが心に染みるのです。
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「亘さん、偉い先生がね、声のために、酒飲んだら歌っちゃいけないんだって。」
「それは間違ってる。酒を飲んだら歌わなければいけない。難しいこという人に限って歌は下手さ」
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亘さんの酒と三線の弟子、前城さんです。
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でも前城さんは亘さんのパソコンの先生。前城さんがいなければ新城亘博士は誕生しなかったということは内緒。

今日も宇夫方路は踊ります。
「酒を飲んだら踊らなければいけない」
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土屋さんは、宇夫方が踊っている間、ずっとニコニコ笑っていました。
あの時と変わらない同じ笑顔で。
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U:「上原直彦さんに電話したの」
T:「もう定年になって15年だから、比嘉稔さんに直接連絡したらって」
M:「比嘉稔って、琉球放送のですか?」
T:「ええ、制作部長の」
M:「彼なら同級生ですよ。昨日も会ってました」
前城さんはその場でアポと取ってくださいました。
M:「イチャリバチョーデーですよ」

関りえ子氏も合流して。
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不思議な縁。今日も実に沖縄っぽい夜でありました。

《おまけ》
松山にある、沖縄の藤山寛美、仲田幸子のお店。
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お弟子さんは師匠に似ず……
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たまんない……
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