今作曲中の“オツベルと象”には、賢治独特なのか、その時代の流行の表現なのか、耳で聞くことを前提にして作曲していると??と思う言葉遣いが多い。

象の鳴き声グララアガア、そして寝台については僕のメインページに書いたが、まあその二つは首をひねる種類のものではなく、前者は賢治独特の擬態語(onomatopée)であり、後者はBedという言葉が一般的でなかったのかもしれないし、敢えて寝台と言葉を選んだのかも知れないから意味が不明ということにはなってない。

しかし、このtitleの言葉遣いはとても重要な台詞だけに、一瞬意味を図りかねる(はかり、はこの字で良いのかな)ような表現なので、違和感を感じながら書いているところです。

普通は、「ぼくはずいぶん(な)眼にあってる」と来るように思います。

ずいぶん、という言葉は、あとに「と」も着きますね。

「ずいぶんと老けたね」とかが多いし、そういう助詞(かな)が無いときは、「ずいぶん上手になった」とか「ずいぶん久しぶりだね」というのはあるけど、「ずいぶん眼にあってる」というのは少なくとも僕には良く分からない表現だ。

上手とか老けるとか状態を表す言葉が後につくなら、助詞が着かなくても全く問題ないのだ。

しかし「眼」という言葉にはたしかに、「辛い眼」、そうまさに、もしこれが「ぼくはずいぶん辛い眼にあってる」だと完璧に判るが、「いい眼を見る」という意味もあるから、もしかしたら「ずいぶん良い眼にあってる」という表現も成り立ちそうで、「眼」にはこの場合にあるような、「酷い状態」というのがもともとあるようには思わないから違和感を感じるのです。

miss printかなと思って二種類見たが、片方は「ずいぶん眼にあってゐる」で、もう片方は「ずいぶん目にあってる」だ。漢字の違いと旧仮名遣いの違いだけでどちらも助詞はない。

まあこの表現はそのまま譜面に記すが、ちょっと心の中で首をひねりながら演奏することでしょう(爆)