白石准は、山猫合奏団のために、
“どんぐりと山猫”、セロ弾きのゴーシュ、“注文の多い料理店”と三つのレパートリーを今まで書きました。
現在は、“オツベルと象”(もしかしたら正式な表記は、“オツベルとぞう”かも知れません)を作曲中です。
“どんぐりと山猫”は、アイデアとして、ムソルグスキーが書いた「展覧会の絵」の様なスタイルを取ろうと書く前から思っていました。
それは、つまり、山猫からの手紙に基づいて山に入っていく一郎の基本的なテーマのメロディーを造り、どんどん出会っていく異界の動物たちのいわばアリアの間に埋めることです。
だから、一郎が歩く音楽はいつもどこか似ているモティーフです。
そして、登場する動物たちには個性が与えられています。
まあ、そうやって馬車別当に出会うところまでは結構すんなり書いた記憶がありますが、出会ってダイアローグが続き始めるとどうしていいのか分からなくなり、当時たしか3週間くらい全く作曲が滞った記憶があります。
ある意味そこからが物語としては面白いのですが、まあ、そのことについてはまた別の機会に書くとして、全体的なスタイルとしては、一郎の歩く音楽と動物たちの音楽ということでした。
しかし、飽くまで心象風景的な世界、つまりまともに「音楽を演奏している」というのは、「きのこの楽隊」だけであって、その他のすべては、どこに音楽をどういう風につけるかは僕が考えないとだめだ(とくに馬車別当や山猫とのダイアローグ以降は)ということでした。
“セロ弾きのゴーシュ”は素材として様々な作曲家が書いているわけですが、それはみんなほとんど、“セロ弾きのゴーシュ”と動物たちが出会って「演奏している」という前提があるから、どこに音楽をつければいいかは自ずと分かりやすいわけです。
(オペラ(林光さんのものが有名です)以外の語りと演奏という編成のものはという意味)
“どんぐりと山猫”に関しては、作曲家によって音楽の場所もありようも恐ろしく違う世界になるはずです。
そこが、作曲家がその作品を「どう読んでいるか」というところが際立っているわけです。
僕の場合は、ほとんどどの曲もこの作品(“どんぐりと山猫”のこと)は、単品で演奏するには何か欠けている世界になっています。
だから、初演の後、友人にぼろくそ批判されたのは、「この作品は音楽自体で成立していない」という点でした。
それは、聞きようによっては悔しい批評でありますが、この作品の本質を言い当てていることに他なりません。
飽くまで物語りの背景として音楽が存在しているけれども、それは 単純なBGMではありません。
(それは聞いて頂けたらある程度分かって貰えると信じています)
だから、ピアノ演奏に於いて、ソロを弾いているときと伴奏をしているときの違いくらいこの音楽には後者の前提に立って「語り」と一緒じゃないと成立しない世界であるということです。
さて、では、“セロ弾きのゴーシュ”はどうでしょう。
前述の様に、これは、主人公のゴーシュが演奏していることを描写しているので、どこに音楽を書こうかということではほとんど悩みはなく、そういう意味では楽に書けました。
せいぜい、かっこうの当たりのやりとりと破綻している演奏をどうするかくらいです。
ですから、全体を通じて見ると、これは、それぞれ、ある程度完結している曲で構成されています。
もちろん、途中でやめてくれ、といってやめる曲も多いとは言えますが、“どんぐりと山猫”とは全然違う。
“どんぐりと山猫”は、その瞬間の景色や状況や心理を音楽にしていますが、これは、あきらかに、動物に要求された「楽曲」を演奏してるだけです。
さて、“注文の多い料理店”はどうでしょう。
この作品に於いて僕は、山猫が、不遜な二人の若い狩人に対してイリュージョンで建設された館の中のドアなどにみられる、しつこいくらいのメッセージを、初めて(“どんぐりと山猫”にも“セロ弾きのゴーシュ”にもごく一部歌はあるのだが)、オペラやミュージカルのごとく、歌にして表現してみました。
ですから、最初の不思議な森と、最後の場面の同じなんとも重苦しい異界への音楽以外、山猫のメッセージが出るたびに、同じメロディーをヴァリエイションしながら、歌で構成してあります。
本当にしつこいです(爆)
唯一変化があるのは、子分どもがでてくるころにならないと音楽は変化をほとんどしません。
そのしつこさの面白さがこの作品の魅力かも知れません。
プロローグとエピローグの寂寥感溢れた音楽との対比です。
一番、異界的な賢治の世界を実現できているのは、もしかしたら、この作品かも知れません。
そうです、歌は、すべて山猫の気持ちに基づいているので、旅人(狩人)はどんどんうれしさから恐怖へ変わっていくわけですが、歌はどんどん、嬉しくなっていきます。
さて、現在進行中の“オツベルと象”はどういうプランで書いているか、、、。
まだ出来てないし、これからどんどん捨てたり産んだりの試行錯誤をするのに、何故ここで書くかというと、まあこのページを作曲ノート代わりにつかってみようかなとも思うし、語り手二人(高山正樹と、楠定憲)への「今までとは違うよ」という脅迫(爆)でもあります。
今回は、今のところですが、全部台詞は音符で書いています。
故に、語りがあって、音楽がある、という今までのスタイルではなく、常に語りの裏では音楽が鳴っているし、独立した曲にはなっていません。
その傾向は、“どんぐりと山猫”よりもっと「楽曲」にはなってません。
しかも、音楽のスタイルはちょっとジャズっぽいイデオムも入れています。
だから、かなり練習が必要な(演奏者も語り手も相当合わせないと無理だ)譜面になりつつあります。
まあ、そうはいっても、語りの音符はほとんど自然に読めば成立するようにはなっているけど(それは、“どんぐりと山猫”でもなりたっているから、あまり役者は楽譜に囚われずにできるはず。)、今回は、今は原型としてピアノと語りだけで書いているけど、初演では、とっても低音の楽器のソロで始めるつもりなので、どんなになるかが今からわくわくです。
まあ、今のところ書いてあるものも突然闇に葬られるかもしれないけど(爆)、とにかく、今までの三作には無いスタイルを模索しているので、まあ、大げさにいつも宣言しているわけですが、「言葉と音楽の化学反応」がまた別の輝きを見せられるように頑張っています。
初演はたぶん、来年の早い時期の一番寒い頃になると思われます。
故に、音楽と語りが常に同時進行しているから、今までの作品の中でもっとも短くなる可能性もあります。
もともと、テキスト自体も“どんぐりと山猫”や“セロ弾きのゴーシュ”ほど長くないし、、、。
短い作品も、山猫合奏団としては、前から必要に迫られていたし、もし(まだ全体のことは分からない)30分を切るような作品になったら、それはその部分だけで相当評価されるかも知れません(爆)
まあまだ全体がどうなるかわからないけどね。
途中で行き詰まって、他の作品を書き始めるかもしれないし(爆)
だから、書いている作業は、段階として、今までに無いのだけど、台詞を音符にすることが第一段階なので、ぶつぶつ言いながら作曲しているから、飼っている猫どもが、なんだろうと、こっちをやたら見つめたり、何か知らんけど、向こうもにゃあにゃあ言ってこっちに話しかけてきたりするのです。
こんなことは今まであまり無かったので、まるでゴーシュが出会ってきた異界の動物たちのように、こいつら(三匹飼っている内の二匹の♂たち)俺になんか教えようとしているのかとも思います。
あ、今は二人ともピアノのそばで熟睡してます。
そうか、この記事を書いているから、今キーボードから音は出てないからね。
昨日も明け方まで書いていて、寝た方がいいと思い、じゃあ、一緒に寝ようとベッドに誘うと、こいつらはまだ余り寒くないので、暑がってか、逃げます。
でも、作曲してコンピュータの前にいるとおとなしくそばで寝ているのです。
なんなのか良く分かりません(爆)
さあ、作業に戻ろう。
今予言したとおりになるかどうかもわかりませんが、今これは、僕だけの喜びとして、めんどくさいことも多いけど、とても面白い。
まったく誰も手をつけていない場所に線路を引いたり道路を造ったりしている気分、ということですね。
早く音になった瞬間を経験したい。
“どんぐりと山猫”、セロ弾きのゴーシュ、“注文の多い料理店”と三つのレパートリーを今まで書きました。
現在は、“オツベルと象”(もしかしたら正式な表記は、“オツベルとぞう”かも知れません)を作曲中です。
“どんぐりと山猫”は、アイデアとして、ムソルグスキーが書いた「展覧会の絵」の様なスタイルを取ろうと書く前から思っていました。
それは、つまり、山猫からの手紙に基づいて山に入っていく一郎の基本的なテーマのメロディーを造り、どんどん出会っていく異界の動物たちのいわばアリアの間に埋めることです。
だから、一郎が歩く音楽はいつもどこか似ているモティーフです。
そして、登場する動物たちには個性が与えられています。
まあ、そうやって馬車別当に出会うところまでは結構すんなり書いた記憶がありますが、出会ってダイアローグが続き始めるとどうしていいのか分からなくなり、当時たしか3週間くらい全く作曲が滞った記憶があります。
ある意味そこからが物語としては面白いのですが、まあ、そのことについてはまた別の機会に書くとして、全体的なスタイルとしては、一郎の歩く音楽と動物たちの音楽ということでした。
しかし、飽くまで心象風景的な世界、つまりまともに「音楽を演奏している」というのは、「きのこの楽隊」だけであって、その他のすべては、どこに音楽をどういう風につけるかは僕が考えないとだめだ(とくに馬車別当や山猫とのダイアローグ以降は)ということでした。
“セロ弾きのゴーシュ”は素材として様々な作曲家が書いているわけですが、それはみんなほとんど、“セロ弾きのゴーシュ”と動物たちが出会って「演奏している」という前提があるから、どこに音楽をつければいいかは自ずと分かりやすいわけです。
(オペラ(林光さんのものが有名です)以外の語りと演奏という編成のものはという意味)
“どんぐりと山猫”に関しては、作曲家によって音楽の場所もありようも恐ろしく違う世界になるはずです。
そこが、作曲家がその作品を「どう読んでいるか」というところが際立っているわけです。
僕の場合は、ほとんどどの曲もこの作品(“どんぐりと山猫”のこと)は、単品で演奏するには何か欠けている世界になっています。
だから、初演の後、友人にぼろくそ批判されたのは、「この作品は音楽自体で成立していない」という点でした。
それは、聞きようによっては悔しい批評でありますが、この作品の本質を言い当てていることに他なりません。
飽くまで物語りの背景として音楽が存在しているけれども、それは 単純なBGMではありません。
(それは聞いて頂けたらある程度分かって貰えると信じています)
だから、ピアノ演奏に於いて、ソロを弾いているときと伴奏をしているときの違いくらいこの音楽には後者の前提に立って「語り」と一緒じゃないと成立しない世界であるということです。
さて、では、“セロ弾きのゴーシュ”はどうでしょう。
前述の様に、これは、主人公のゴーシュが演奏していることを描写しているので、どこに音楽を書こうかということではほとんど悩みはなく、そういう意味では楽に書けました。
せいぜい、かっこうの当たりのやりとりと破綻している演奏をどうするかくらいです。
ですから、全体を通じて見ると、これは、それぞれ、ある程度完結している曲で構成されています。
もちろん、途中でやめてくれ、といってやめる曲も多いとは言えますが、“どんぐりと山猫”とは全然違う。
“どんぐりと山猫”は、その瞬間の景色や状況や心理を音楽にしていますが、これは、あきらかに、動物に要求された「楽曲」を演奏してるだけです。
さて、“注文の多い料理店”はどうでしょう。
この作品に於いて僕は、山猫が、不遜な二人の若い狩人に対してイリュージョンで建設された館の中のドアなどにみられる、しつこいくらいのメッセージを、初めて(“どんぐりと山猫”にも“セロ弾きのゴーシュ”にもごく一部歌はあるのだが)、オペラやミュージカルのごとく、歌にして表現してみました。
ですから、最初の不思議な森と、最後の場面の同じなんとも重苦しい異界への音楽以外、山猫のメッセージが出るたびに、同じメロディーをヴァリエイションしながら、歌で構成してあります。
本当にしつこいです(爆)
唯一変化があるのは、子分どもがでてくるころにならないと音楽は変化をほとんどしません。
そのしつこさの面白さがこの作品の魅力かも知れません。
プロローグとエピローグの寂寥感溢れた音楽との対比です。
一番、異界的な賢治の世界を実現できているのは、もしかしたら、この作品かも知れません。
そうです、歌は、すべて山猫の気持ちに基づいているので、旅人(狩人)はどんどんうれしさから恐怖へ変わっていくわけですが、歌はどんどん、嬉しくなっていきます。
さて、現在進行中の“オツベルと象”はどういうプランで書いているか、、、。
まだ出来てないし、これからどんどん捨てたり産んだりの試行錯誤をするのに、何故ここで書くかというと、まあこのページを作曲ノート代わりにつかってみようかなとも思うし、語り手二人(高山正樹と、楠定憲)への「今までとは違うよ」という脅迫(爆)でもあります。
今回は、今のところですが、全部台詞は音符で書いています。
故に、語りがあって、音楽がある、という今までのスタイルではなく、常に語りの裏では音楽が鳴っているし、独立した曲にはなっていません。
その傾向は、“どんぐりと山猫”よりもっと「楽曲」にはなってません。
しかも、音楽のスタイルはちょっとジャズっぽいイデオムも入れています。
だから、かなり練習が必要な(演奏者も語り手も相当合わせないと無理だ)譜面になりつつあります。
まあ、そうはいっても、語りの音符はほとんど自然に読めば成立するようにはなっているけど(それは、“どんぐりと山猫”でもなりたっているから、あまり役者は楽譜に囚われずにできるはず。)、今回は、今は原型としてピアノと語りだけで書いているけど、初演では、とっても低音の楽器のソロで始めるつもりなので、どんなになるかが今からわくわくです。
まあ、今のところ書いてあるものも突然闇に葬られるかもしれないけど(爆)、とにかく、今までの三作には無いスタイルを模索しているので、まあ、大げさにいつも宣言しているわけですが、「言葉と音楽の化学反応」がまた別の輝きを見せられるように頑張っています。
初演はたぶん、来年の早い時期の一番寒い頃になると思われます。
故に、音楽と語りが常に同時進行しているから、今までの作品の中でもっとも短くなる可能性もあります。
もともと、テキスト自体も“どんぐりと山猫”や“セロ弾きのゴーシュ”ほど長くないし、、、。
短い作品も、山猫合奏団としては、前から必要に迫られていたし、もし(まだ全体のことは分からない)30分を切るような作品になったら、それはその部分だけで相当評価されるかも知れません(爆)
まあまだ全体がどうなるかわからないけどね。
途中で行き詰まって、他の作品を書き始めるかもしれないし(爆)
だから、書いている作業は、段階として、今までに無いのだけど、台詞を音符にすることが第一段階なので、ぶつぶつ言いながら作曲しているから、飼っている猫どもが、なんだろうと、こっちをやたら見つめたり、何か知らんけど、向こうもにゃあにゃあ言ってこっちに話しかけてきたりするのです。
こんなことは今まであまり無かったので、まるでゴーシュが出会ってきた異界の動物たちのように、こいつら(三匹飼っている内の二匹の♂たち)俺になんか教えようとしているのかとも思います。
あ、今は二人ともピアノのそばで熟睡してます。
そうか、この記事を書いているから、今キーボードから音は出てないからね。
昨日も明け方まで書いていて、寝た方がいいと思い、じゃあ、一緒に寝ようとベッドに誘うと、こいつらはまだ余り寒くないので、暑がってか、逃げます。
でも、作曲してコンピュータの前にいるとおとなしくそばで寝ているのです。
なんなのか良く分かりません(爆)
さあ、作業に戻ろう。
今予言したとおりになるかどうかもわかりませんが、今これは、僕だけの喜びとして、めんどくさいことも多いけど、とても面白い。
まったく誰も手をつけていない場所に線路を引いたり道路を造ったりしている気分、ということですね。
早く音になった瞬間を経験したい。
“セロ弾きのゴーシュ”から、印度の虎狩(実はこの時点ではトロメライということになっている)の場面
http://www.youtube.com/watch?v=wtVKnx78VJg&NR
“セロ弾きのゴーシュ”から、かっこうの場面
http://www.youtube.com/watch?v=uOHNJzQgOLI
“どんぐりと山猫”から、笛吹きの滝の場面
http://www.youtube.com/watch?v=GlMaOjC_gnA
“どんぐりと山猫”から、きのこの楽隊の場面
http://www.youtube.com/watch?v=NV685KMPOd0
“どんぐりと山猫”から、裁判の後の場面
http://www.youtube.com/watch?v=MATXZwG2XXg
“注文の多い料理店”から、冒頭と、山猫のメッセージの一部。
http://www.youtube.com/watch?v=mxKDuDxRu0c
http://www.youtube.com/watch?v=wtVKnx78VJg&NR
“セロ弾きのゴーシュ”から、かっこうの場面
http://www.youtube.com/watch?v=uOHNJzQgOLI
“どんぐりと山猫”から、笛吹きの滝の場面
http://www.youtube.com/watch?v=GlMaOjC_gnA
“どんぐりと山猫”から、きのこの楽隊の場面
http://www.youtube.com/watch?v=NV685KMPOd0
“どんぐりと山猫”から、裁判の後の場面
http://www.youtube.com/watch?v=MATXZwG2XXg
“注文の多い料理店”から、冒頭と、山猫のメッセージの一部。
http://www.youtube.com/watch?v=mxKDuDxRu0c
僕の作曲というわけではないのですが、近代フランスの歌曲を歌い手なしでも語りにしてやってしまうという新しい発想で、今年の二月くらいから始めたことがあります。
その事については、白石准のブログに、長々と書いてあります。
今後こういうネタを思いついた暁にはは、こちらで書こうと思っています。
まず一つ目の記事はここ。
そして二つ目の記事はここ。
そして三つ目の記事はここ。
そして今年の5月、アルテリッカで再演したときの話はここ。
そして今年の9月、岡山でやったときの記事には写真があります。
今年の夏の沖縄ツアーでもやったのですが、僕のブログには記事がないことに気づきました(爆)
幸運なことに、山猫合奏団のブログに記事と写真がありました。
沖縄の別の場所でやったときのもあります。
なんで写真を見ると片方が脚立に登っているかというと、一曲目が「カラスと狐」で、咥えていたチーズをぽろっと落としてしまうカラスが木に留まっていることになっているからです。
二曲目も、「蝉と蟻」なので(日本ではイソップで、蟻とキリギリスとして紹介されている)、最初の内は蝉は、木の上で鳴いているからです。
三曲目は「狼と子羊」なので関係ありません(爆)
そして見つけました。山猫合奏団のブログでの、初演のときの記事です。
とりあえず、一連の事は、どこにもまとめられてなかったので、ここに、まとめてみようと思いました。
その事については、白石准のブログに、長々と書いてあります。
今後こういうネタを思いついた暁にはは、こちらで書こうと思っています。
まず一つ目の記事はここ。
そして二つ目の記事はここ。
そして三つ目の記事はここ。
そして今年の5月、アルテリッカで再演したときの話はここ。
そして今年の9月、岡山でやったときの記事には写真があります。
今年の夏の沖縄ツアーでもやったのですが、僕のブログには記事がないことに気づきました(爆)
幸運なことに、山猫合奏団のブログに記事と写真がありました。
沖縄の別の場所でやったときのもあります。
なんで写真を見ると片方が脚立に登っているかというと、一曲目が「カラスと狐」で、咥えていたチーズをぽろっと落としてしまうカラスが木に留まっていることになっているからです。
二曲目も、「蝉と蟻」なので(日本ではイソップで、蟻とキリギリスとして紹介されている)、最初の内は蝉は、木の上で鳴いているからです。
三曲目は「狼と子羊」なので関係ありません(爆)
そして見つけました。山猫合奏団のブログでの、初演のときの記事です。
とりあえず、一連の事は、どこにもまとめられてなかったので、ここに、まとめてみようと思いました。
» 続きを読む
こうやって、写真に撮ると、まったく使い物にならない気がしてきましたが、先日普段だったら絶対に買わないのに、この間なんか動物園に行って気持ちがハイになってしまい、(実はこの猫は別の場所、そのうち僕のブログに写真を出しますが、白糸の滝の土産物屋(爆)で買った)いくつか“どんぐりと山猫”や“セロ弾きのゴーシュ”で遣ってみたい小道具を買ってしまいました。

この虎耳で“印度の虎狩り”をゴーシュと僕で弾いたら、、、
バキッ!!☆/(x_x)

これはリュックになっているので、ババールの物語をやるときには、ピアニストが背負うか、反対に胸につけて弾くとか、、、
(・_・?)

絶対に使い物にならない感じになったけど、このどんぐりだけは、使うぞ。
マラカスになっているので、“どんぐりと山猫”のどっかで使う。
写真はすべてクリックするとちょっとだけでかくなります。

この虎耳で“印度の虎狩り”をゴーシュと僕で弾いたら、、、
バキッ!!☆/(x_x)

これはリュックになっているので、ババールの物語をやるときには、ピアニストが背負うか、反対に胸につけて弾くとか、、、
(・_・?)

絶対に使い物にならない感じになったけど、このどんぐりだけは、使うぞ。
マラカスになっているので、“どんぐりと山猫”のどっかで使う。
写真はすべてクリックするとちょっとだけでかくなります。
白石准は、個人的にブログを三つ持って居ます(爆)
(そのうち亡くなった父が趣味で撮り続けていた写真を集めて(改めてデジタルデータにして)彼のブログをつくってやろうかなとも思っていますが)
一つは、メインのブログ。それは、趣味の写真から、演奏会のことまで何でもありです。
二つ目は、山猫合奏団のCDのジャケットをふざけたレタッチをして、ヴァーチャル広告にしたてたサイトで、メインや猫はたまに一日に数回更新したり、まったく更新しない日もあるけど、こっちは地味に、毎日今のところ二年ちかく、休まずに1つずつ投稿し続けているというものです。
そして三つ目は、飼い猫の写真だけのサイトです。
最初の二つはこのサイトに関係ありますが、特に、最初のメインブログの中で、山猫合奏団のカテゴリには、このサイトの今まで高山氏が投稿した記事にも関連性があるものがたくさんありますのでこれだけ選んでブラウズするのも良いでしょう。
今後はそこで書きたいものは、このページになるべく書くことにしたり、うまく連携をとって行こうと思います。
あと、白石准が書いて、山猫合奏団が演奏をしつづけているそれぞれの作品についてのカテゴリもあります。
まず、“どんぐりと山猫”のカテゴリがありますが、最近は、趣味の写真と連動して、自分の撮したものや外部で面白い写真があると、強引にストーリーに結びつけてしまうような写真の記事になっていたりするので、ちっとも、曲について作曲家がどう考えていたのかということの参考にはなりません。
まあ今後、曲の事について、なんらか言及することがあったら、こっちに書こうかなとは思います。
でも、そうすると、向こうのサイトで「写真家白石准」はどんどん強調されるけど、「作曲家白石准」の色がまったくなくなりそうだからなあ(爆)
あと、“セロ弾きのゴーシュ”のページもありますが、最近の傾向は“どんぐりと山猫”と同じく、登場人物に関連する写真を掲示していたりします(爆)ので上に同じと言うことです。
今のところ最後の作品、“注文の多い料理店”もあります。
他にも作曲した作品はありますが、それは山猫合奏団には関係ないので、いまのところ、個別にはご紹介しません。
ただし、カテゴリを山猫合奏団にしても良いのですが、今後続いて行くであろう、実験として始めた西洋歌曲を語りとピアノでやることについての言及が、この記事にありますので、興味のあるかたは参照してください。
なお、白石准の様々なネットでの公式発言をまとめて、ウェブサイトの入口は、http://shiraishijun.jpにあります。
「正露丸のコレクション」とか、今はアクセスカウンターははずしちゃったけど、総アクセス数としては、僕のどのブログよりも桁が違う人気ページがあるんですよ。
一回ヤフーのトップページになぜか関連記事としてリンクされたときは、一日1万人くらい来た日があって(爆)、それが全部コンサートに来てくれたら、山猫合奏団も武道館でコンサートができるじゃないかと妄想した日もありました(爆)
まず本格的な自己紹介を兼ねて、記事を投稿してみます。
(そのうち亡くなった父が趣味で撮り続けていた写真を集めて(改めてデジタルデータにして)彼のブログをつくってやろうかなとも思っていますが)
一つは、メインのブログ。それは、趣味の写真から、演奏会のことまで何でもありです。
二つ目は、山猫合奏団のCDのジャケットをふざけたレタッチをして、ヴァーチャル広告にしたてたサイトで、メインや猫はたまに一日に数回更新したり、まったく更新しない日もあるけど、こっちは地味に、毎日今のところ二年ちかく、休まずに1つずつ投稿し続けているというものです。
そして三つ目は、飼い猫の写真だけのサイトです。
最初の二つはこのサイトに関係ありますが、特に、最初のメインブログの中で、山猫合奏団のカテゴリには、このサイトの今まで高山氏が投稿した記事にも関連性があるものがたくさんありますのでこれだけ選んでブラウズするのも良いでしょう。
今後はそこで書きたいものは、このページになるべく書くことにしたり、うまく連携をとって行こうと思います。
あと、白石准が書いて、山猫合奏団が演奏をしつづけているそれぞれの作品についてのカテゴリもあります。
まず、“どんぐりと山猫”のカテゴリがありますが、最近は、趣味の写真と連動して、自分の撮したものや外部で面白い写真があると、強引にストーリーに結びつけてしまうような写真の記事になっていたりするので、ちっとも、曲について作曲家がどう考えていたのかということの参考にはなりません。
まあ今後、曲の事について、なんらか言及することがあったら、こっちに書こうかなとは思います。
でも、そうすると、向こうのサイトで「写真家白石准」はどんどん強調されるけど、「作曲家白石准」の色がまったくなくなりそうだからなあ(爆)
あと、“セロ弾きのゴーシュ”のページもありますが、最近の傾向は“どんぐりと山猫”と同じく、登場人物に関連する写真を掲示していたりします(爆)ので上に同じと言うことです。
今のところ最後の作品、“注文の多い料理店”もあります。
他にも作曲した作品はありますが、それは山猫合奏団には関係ないので、いまのところ、個別にはご紹介しません。
ただし、カテゴリを山猫合奏団にしても良いのですが、今後続いて行くであろう、実験として始めた西洋歌曲を語りとピアノでやることについての言及が、この記事にありますので、興味のあるかたは参照してください。
なお、白石准の様々なネットでの公式発言をまとめて、ウェブサイトの入口は、http://shiraishijun.jpにあります。
「正露丸のコレクション」とか、今はアクセスカウンターははずしちゃったけど、総アクセス数としては、僕のどのブログよりも桁が違う人気ページがあるんですよ。
一回ヤフーのトップページになぜか関連記事としてリンクされたときは、一日1万人くらい来た日があって(爆)、それが全部コンサートに来てくれたら、山猫合奏団も武道館でコンサートができるじゃないかと妄想した日もありました(爆)
まず本格的な自己紹介を兼ねて、記事を投稿してみます。
楠さんがなかなか記事を投稿しないので、こちらに一応、僕なりの読みにくいけど(爆)、賢治について言及していた記事のリンクを張っておきます。
自分のブログと上手く連携させられたら良いと思っています。
まず、賢治の作品、特に僕が書いた三つの作品の中の「主人公」のカメラの位置についての考察がリンクされているページにあります。長文です。推敲してません(爆)
自分のブログと上手く連携させられたら良いと思っています。
まず、賢治の作品、特に僕が書いた三つの作品の中の「主人公」のカメラの位置についての考察がリンクされているページにあります。長文です。推敲してません(爆)
山猫合奏団になる前のコンサートや、初期の山猫合奏団の公演の記録は、何よりもどこよりも、白石准の記憶の中に鮮明に残っていますので、もう一度記録をちゃんと投稿しようと思います。
時間はかかると思いますが、これからは、積極的に白石准もこのブログのこのカテゴリの編集に関わります。
まずは久しぶりのご挨拶から。
時間はかかると思いますが、これからは、積極的に白石准もこのブログのこのカテゴリの編集に関わります。
まずは久しぶりのご挨拶から。





