去年、森繁久弥さんがお亡くなりになりました。森繁さんにお会いしたのは、もう30年も前のことです。僕の出ていた芝居を観になんと森繁さんが来てくださったのです。終演後、お客様がいなくなったホールの舞台に、森繁さんは岡田陽氏に手を引かれながら上がってこられました。足取り重く、介添えがなければ一歩も歩けないという風に。今にして思えば、きっとすっとぼけておられたのだろうと推察します。60歳代であれほど弱った御老人が、96歳まで長生きなさるとは考えられない。事実、それから数ヶ月後に観た「屋根の上のヴァイオリン弾き」で、テヴィエを演じる森繁さんは、舞台の上で飛んだり跳ねたりしていました。

それから20年後、森繁久弥さんのライフワークであったラジオ番組、日曜名作座のディレクターの方と、朗読の仕事をさせていただいたことがあります。
ブースに入った俳優の第一声は、まず小説の題名を読むことですが、ディレクターは、題名を語った後の本文を語り始めるまでの間(ま)で、その俳優の腕がわかるとおっしゃっていました。森繁久弥という役者は、題名を言ったきり、なかなか語り始めなかったそうです。
「死んじゃったんじゃないか思うほど長くてねえ。しかしその間(ま)に、みんな引きつけられて、そして離れられなくなるんだ」
若い僕には、スタジオに鎮座するクライアントやスタッフの皆様を、死んだかと思わせるほど待たせるなんて芸当ははとてもできませんでしたが、そのディレクターに「森繁さんの間に似ているね」と評されて、なんともこそばゆかった思い出があります。

ここでたっぷりと間(ま)をとって……



大穴小学校創立40周年式典のオープニングイべントとして
“ぞうのババール”を子供たちにを聞いてもらうことになりました。
大穴小学校の卒業生であるドラさんこと服部めぐみさんにオファーがあり、高山正樹が語りを担当しました。しかし、今日の主役は、あくまでもプーランクが創造した音です。その音を、しっかり子供たちに届けるのが我々演者の仕事。
日の丸
日の丸はなんともプーランクには似合いませんねえ。せめてフランス国旗でも掲げてくださればよかったのにと、冗談を言ってみたり、子供たちを監視するように並べられている椅子の向きを、ちょっとイタズラして変えてみたり……
椅子の向きを変えてみた
それをユーモアとして微笑むような雰囲気があればやりやすい。

しかし、ババールってどうして人気があるのだろう。話は相当いい加減です。そのうちシェークスピアもびっくりの陰謀渦巻くババール外伝でも書きたいくらいです。毒殺あり裏切りあり密通ありの王国物語。そんなのを学校でやっていいの?いいんです。主役は音楽なのですから。言葉はオマケです。ババールを語る上で重要なのは、言葉よりもむしろ間(ま)なのです。

「ぞうのババール」
と、まず題名を音にします。日本の絵本の訳がそうなっているのでそれを踏襲したのですが、音色で言えば「仔象ババールの物語」の方がずっと魅力的です。そのあとの間(ま)を作るにも、そのほうがいい。しかし、もっと重要な箇所がこの後にあります。
「子守唄を歌ってあげるのでした」という冒頭の語りの最後で、語り手はバトンをピアニストに渡します。ピアニストそれを受け止めて鍵盤を叩く。ピアニストが作らなければならない間(ま)と、子守唄の最初のフレーズをどう観客に聞かせるのか。実にナイーブな箇所です。
演奏中
ここで、プレイヤーは体育館の後ろの観客まで暴力的にその鼻っ面を鷲づかみすることに神経を集中し、その結果を注意深く確かめて次の作戦を即座に練る。それができるかどうかがいっぱしのプロかどうかの分かれ目、なんてね。役者ならそうするということ。

絵を映しながらの公演でしたが、場面によっては音だけにしたくて、スライドを白みにしていただきました。
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みんなよく聞いてくれているように見えます。でも先生たちが目を光らせている中でのことだからね。
子供たちと時間の流れをどのくらい深く共有できていたか、それを一番感じることができるのはきっとピアニスト、これもまた役者の勝手な思い込みなのでしょうか。

校長先生とPTA会長さんに囲まれて。
最後に皆さんと
今日はお呼びくださり、ありがとうございました。

【おまけ】


森繁久弥さんのご冥福をお祈りいたします。合掌。