過去ログ

あなたは現在、2008年9月の過去ログを見ています。
「音を楽しむ雑記帖」というカテゴリーを開設しました。
音楽に関するコラムです。なるべくなら「へー」という感じの記事をお届けしたいと思っているのですが、はたしていかに。
執筆者は山猫合奏団メンバー。
ただ、みんな気分が乗らないと書いてくれない、どうなりますことやら。

ということでしたが、いっこうに記事は増えず、音楽門外漢の高山ではいかんともし難く、一方楠氏担当の宮澤賢治考の方もなかなか更新ママならずということで、「音を楽しむ雑記帖」のカテゴリーは閉鎖、記事は楠氏の「宮澤賢治考」に間借するということにいたしました。
あーあ、音楽色を強めようって思ったんだけどなあ…
(2008/9/16:高山正樹)



Officialの公演案内に地図がないという状態が長らく続いていたのは、M.A.P.が元来地図屋だったからで、いろいろ模索していたのです。
で、とりあえずやっぱり取引いただいている昭文社の地図が使えればBEST。
ということで、ようやく田中寺の案内を昭文社の地図を使って掲載できることになりました。

Official information

ただ今後は、いろいろとクリアしなければならないことがあって、どうなりますことやら。
できればお昭文社の地図を使い続けたいのですがねえ。
昭文社どの、どうかお願い申し上げます。

「雨ニモマケズ」は賢治の亡くなる2年前(1931年昭和6年)に彼の手帳にかかれていた詩ですが、この手帳は賢治の死後見つかったもので、中にはこの年の9月から11月にかけて書き留められた数編の詩が入っています。
ちなみに「雨ニモマケズ」は11月3日の日付が書かれています。

9月には肺の病気が再発し、東京からの帰郷を余儀なくされ、10月には東北・北海道が冷害のため大凶作となってしまうという状況のなかで、人はどう生きればいいのかを考えたのでしょう。満州事変も起こった。

この詩を読むとき賢治自身また社会情勢を知ってしまうと、どうしても口調が重くなるのはいたしかたないのかもしれませんが、ある時この詩を元気に声をだして読んだ人の話を聞いたことがあります。
なるほどと思いました。人を元気にし力づけようとする人間になりたいと考えているならば本人に生気がなくてどうする。魚屋の売り声がいきいきしてないとだーれも買う気にはならんでしょう。
賢治さんが聞いたら怪訝な顔をするか?いやしない。、
なぜなら人が生を喜び合っている姿をよしとしているからである。(農民芸術概論綱要からそう感じる。)

賢治さんの理想。「さういふものになりましょう」ではなくワタシハナリタイなのである。
(楠 定憲)