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ゴーシュの畑からトマトをとってお土産に持ってきた三毛猫、こいつはオスなのかメスなのかということも謎ですが、ともかくゴーシュは、今までその大きな三毛猫を五、六ぺんみたことがあるということについて、なんで五、六ぺんなのかというおはなしを前回しました。

続いてやってきたのはカッコーです。
(ちなみに、ドイツの南部地方の古い方言では、カッコウのことを“Gauch”というらしい。“ゴーシュ”は、この“Gauch”から作った名前だという説もあるのです。)
ゴーシュはドレミファを教えてくれとしつこくいうカッコーに、こう答えます。
「うるさいなあ。そら、三べんだけ弾いてやるから、すんだらさっさとかえるんだぞ」
なんで三べんなんでしょう。これもなんだか納得がいかない。一度で十分でしょうに。
ところが、何度も声を出して読んでいるうちに、あることに気がついた。

ら、んべんだけひいてやるから、んだら、っさと、かえるんだぞ

このSの発音の並びが、実に気持ちがいいのです。そう思ったら、さんべん以外にはないじゃないですか。さんべんの次はさんじゅっぺんまでSの音は出てこないのですから。

いかん。完全に罠にはまっている。

おまけ。

ネズミの親子の最後の場面。

「こどもをさきにたててでていきました」のててでての並びも気持ちいいんだよねえ……

ネズミの親子の場面の謎は、また次回。
(楠さん、僕はあくまで代理だよ:高山正樹)

やっと現れた楠氏ですが、きっとまた当分の間、来ないでしょうから、またしばらく高山正樹が。あいも変わらず“セロ弾きのゴーシュ”、その謎について。

「ホーシュ君か」

ホーシュ君って誰だ?
呆けたゴーシュ。自虐的にゴーシュが叫んだ言葉、なんて穿った読み方をしてみたりしたが、ドストエフスキーじゃあるまいし、賢治にはやっぱり似合わない。
いろんな人が「ホーシュ」の謎を解明しようとしたが、結論からいうと、さっぱりわからなかったということ。それでかまわないってんだから、神様になってしまえばなんでもありってことらしい。

ところが、すうと扉を押してはいって来たのは、いままで五、六ぺんみたことのある大きな三毛猫でした。

なんで「五、六ぺん」なんだろう。だが、一度「五、六ぺん」だと思ってしまうと、「五、六ぺん」以外にはありえないと思えてくるから不思議である。
(押して入る扉ってどんなのだろう。内開きのドアなんてめったにないが。)

ゴーシュの畑からとった半分熟したトマトをさも重そうに持っています。

三毛猫のこれ見よがしの感じを、「さも」というたった二文字の副詞で片付けてしまうあたり、なかなかのお手並み、賢治の文章は、そういう表現に満ち満ちている。

そう思ってしまうと、全ての言葉に重層的な意味を託しているのではないかと、もう罠だらけなのだ。

「半分熟したトマト」
実にそうなのだろう。でも、まだ熟していないトマトを取ってしまったというネガティブなことを問題にするとき、「半分熟した」という形容はどうなんだろう。「まだ半分しか熟していない」なら分かるのだが。はたして、実際の局面で、こんな言い方をするだろうか。

途端に僕は、僕の常識の通用しない異界へと誘い込まれてしまうのである。
(再び担当:高山正樹)

続く……

9月16日福島県の昭和村という小さな村にいました。芝居の公演で村の公民館にいたのですが、今も目に焼き付いてはなれないのが村の風景なのです。舞台も無事に終え片付けのために搬入口のドアを開けたときに目にした、青い空、木々の緑、稲穂の黄金、吹き渡る風。美しい。このコントラストはなんだ。日本の風景がある。もちろん田んぼには人の手が入っているのですが、その他は自然のまんまそのまんま。いやなことがあっても思い出すだけでちょいとおちつくのです。(写真がなくてごめんなさい)
自然との共生をさかんに言うが、これだけさんざんぶっ壊しといていまさら何を言うかと思う。自然とはこの地球上で連綿とつながれてきた事象のことです。
ぶっ壊すことがよくないのは、自分も知らぬ間に自分をじつはぶっ壊しているのです。自分をぶっ壊す心のないことが大事なのではないでしょうか。自分が在るとはどういうことなのか。

小林秀雄の習作「ベルグソン論」(出版されていない)の文章の一部を読む機会があっておもしろいなと思ったところを本人の許可もなく紹介します。
 「童話が日常の実生活に直結しているのは、人生の常態ではないか。何も彼もがよくよく考えれば不思議なのに、何かを特別に不思議がる理由はないであろう」
童話が直接の経験から生まれたものでもなく、フィクショナルな表現にもかかわらず、目にみえないものにもかかわらずどうして「日常の生活に直結している」と感じるのでしょうか。
たぶん私たちが生きているということがすでに不思議なことと思うと、なんだかわかる気がします。

今日はここまで。
(楠定憲)
だから、“オツベルと象”だってば…
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9/14津山市作陽保育園にて)
第一弾を見る

覚えにくい宮澤賢治の文章、その報告の第二弾です。

「明け方近く思わずつかれて楽譜をもったまま、うとうとしていますと」

この「思わず」がわからないのです。
普通に考えると、「思わずうとうとした」のだと思うのですが、そういうふうに聞こえるように読むことは、なかなか難しい。つまり、このセンテンスの中で、「思わず」と「うとうとした」の位置が、頭と最後でちょいと遠すぎるのです。

朗読好きのおばさま達が、このセンテンスを、その意味をきっちり分析することなく、雰囲気だけで読んだりすると、たいがい、「思わずつかれて」、「楽譜をもったまま」、「うとうとして」というふうに、三つの塊で語られることになります。(無理やり音楽的に説明すればミド・ミド・ミドって感じかな。)確かに、そういう風に読むと、なかなか気持ちがいい。聞き手も耳に心地よく、まどろみの中に沈んでいくということになります。さらに少しばかりお上手な方なら、「思わずつかれて」が一番音程的に高く、「楽譜をもったまま」が中くらい、そして「うとうとして」が最も低音で収まるように読む。ソミ・ファレ・ミド。(厳密にいうと、この後まだ文章が続くので、完全に収まってはダメなので、ソミ・ファレ・ミレ…。)それができればさらに気持ちがよく、観客も眠らずに聞いてくださるかもしれません。

しかしながら、音的に感じがよいことと、意味がちゃんと伝わることとは全く別問題、「思わずつかれて」「楽譜をもったまま」「うとうとして」という読み方では、いずれにしろ「思わず」は「疲れた」を修飾するということになってしまいます。
もしもこの言葉の並びで、「思わずうとうとした」ということを伝えたいと思えば、「思わず」から「うとうとした」までをひとかたまりにして、一番高い音から、なだらかに音程を下げつつ読まなければなりません。ラ・ソファミレド(「思わず」と「つかれて」を切り離すために「思わず(ラ)」と「つかれて(ソ)」の間に短いブレークを入れる)。音域も広く、長い息を使うことも不可欠です。

意味を伝えることだけを考えるなら、このセンテンスは、とても燃費が悪い。例えば、「つかれて楽譜をもったまま思わずうとうとして」というふうに、言葉の並びを変えれば、ずっと楽になります。さらにいえば、論理を伝える文章としては、こちらの方がきっと優れている。つまりこの組み替えた文章は、「思わず疲れた」とか、もしかすると「思わず楽譜をもった」とか、そういう誤解を与える余地のない明確な文章なのですから。つまり、賢治の文章が音楽的だとかなんとか、そんなのはクソ食らえで、賢治の文章は極めて悪文だ、だからとても覚えにくいのです……

さて、宮澤賢治が我々を悩ますのはここからなのであります。
果たしてゴーシュは、本当に「思わずうとうとした」のでしょうか。「思わずうとうとした」じゃあ、あんまり普通過ぎて、つまらない。もしかすると、「思わず疲れた」というのが正解なのではないだろうか…

毎晩、夜通しチェロを弾き、仮に殆ど寝ていないとすれば、疲れるのは当たり前。しかしそれほど練習すれば疲れるという至極あたりまえのことを、ゴーシュは全く考えもしなかった。だから、疲れたことが、ゴーシュにとって思いもよらぬことだったのではないか。
「思わず疲れた」
想像してみてください。自分の肉体すら忘れて、ひたすらにセロを弾き続ける鬼気迫るゴーシュの姿を。それが朧ながらも見えたとき、たった10日間で、見違えるように上達するというような、あり得ない出来事を、読者は納得することが出来るのではないでしょうか。

いったん「思わず疲れた」という論理を受け入れてしまえば、賢治の文章も容易に覚えられるようになります。論理的に語るということに大変厳しい演出家ふじたあさや氏は、さてこの僕の試みについて、どう思うかな。
もう少し、じっくり考えてみようと思っています。

どうも宮澤賢治の罠に、まんまとはめられているようです。
(煮詰まってきた:高山正樹)


宮沢賢治の文章は極めて覚えにくいのです。
(ふじたあさや先生は、その原因を、10年近い歳月をかけて推敲に推敲が重ねられていて、同一の流れの中で文章が書かれていないためだとご教授くださいましたが、確かにおっしゃるとおり、でも、どうもそれだけではなさそうなのです。)

「セロ弾きのゴーシュ」より、始めからカッコーの場面まで、覚えにくい文章を列挙してみました。

「ドレミファを教えてまでいるひまはない」
(「ドレミファまで教えているひま」とか「ドレミファを教えているまでのひま」なら覚えやすいのですが、「教えてまでいるひま」って、変な並びの言葉だと思いませんか?)

「君には困るんだがなあ」
(「君には困っている」とはよく言いますが…)

「表情ということが」
(「表情が」でいいでしょうに、「表情ということ」って何なのでしょう…)

「悪評をとるようなことでは
(なんだかなあ、「悪評をとっては」とか「悪評をとるようなことになっては」とかにしませんか…)

「みんなも気の毒だ」
(「へ」の意味がわかりません)

「家
(「~に」の方が適切と思われる箇所の殆どを、何故か賢治は「~へ」にするのです)
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ひるすぎになるといつも出て行っていたのです」
(「いつもひるすぎると出て行ったのです」じゃあダメなのかしらん)

「赤くならないやつ」
(要するに「赤くないやつ」ですよね。なんで「も」が必要なのでしょうか…)

行ってしまえ
(猫はたった今来たのです。「帰れ」の方がしっくりきませんか?「どっかに行ってしまえ」とでも言ってくれたら、納得するのですが…)

「一時も過ぎ、二時過ぎて
(「二時も過ぎても」って、普通は添削対象です)

「何時かもわからず弾いているかもわからず」
(僕なら「何時かもわからず弾いているのかもわからず」に直します)

「ばかなまねをいつまでしていられるか
(ゴーシュは「いつまでしていられるのかなあ」なんて穏やかに考えているのではありません。「いつまでもこんなことしちゃいられねえんだよ」とイライラしているのですが…)

「夜があけるじゃないか」
(「夜が明けそうですね」としんみり東の空を眺めているみたいですが、これもまた「はやくしねえと夜が明けちまうぞ」って怒鳴っているのです)

「がらんとなった窓のあと外へ飛び出した」
(「窓枠ごと外した後のでっかい穴から」っていうことなんですけどね…)

もうどこまでもまっすぐに飛んで行って、とうとう見えなくなってしまいました」
(この「もう」はどの言葉にもかかっているのでしょうかな。賢治さん、どうか教えてください……)

古典芸能でもないかぎり、舞台の台詞を歌のように最初から節(ふし、イントネーション)を付けてで覚えるのは禁物です。そんなことをすると、嘘っぱちの臭い芝居が出来上がるのは目に見えています。だから俳優は、まずきっちりと言葉の論理を押さえる作業から始めるのですが、宮沢賢治のテキストは、それを頑なに拒んでいるみたい。
賢治にとって重要なのは、論理ではなく音であったなどと、ありがちな結論でおしまいにしてしまうのは簡単ですが、その程度の認識で宮沢賢治を声に出して読むと、ひどく薄っぺらなカラオケ大会にしかならないでしょう。
宮沢賢治の作品が、ここまでたくさんの人々を惹きつけて止まないのは、賢治の文章の微妙な論理的「揺れ」とその「違和感」が、魅惑的な「謎」として、読者それぞれの前に立ち現れるからなのです。
しかし国語の教科書に書いてあるようなロジックしか受け入れることのできない思考回路では、「謎」は「謎」のママ、何の化学変化も起こすことはありません。そんな役者は、賢治の作品を丸暗記して「歌う」こと以外には何もできないのです。

もし、俳優が表現者であるというならば、まずは自らの脳を解放して、賢治の晦渋な論理と徹底的に格闘しなければならないはずなのです。その時、宮沢賢治の文章の「揺れ」は「可能性」に変質し、重力のない広大な宇宙に充満するエーテルの感触が、実は「違和感」の正体であったことを知るのです。

(冒頭のあさやさんの論ですが、賢治の文章において、単一単純なテンポの時間の流れから解放された複数の宇宙的時間=リズムが、まるでバッハの音楽ように、重層的に鳴り響く理由の一つだと思うのです。)

なーんちゃってね。ともかく、賢治の文章がなかなか頭に着床しないということなのです。
こんな文章を書いている暇があったら覚えろですって? 違うんですよねえ、そんなことしたら、カラオケ大会になってしまうということを言いたいわけなのです。
おわかりいただけますでしょうか。

おっと、あさや先生の、鼻で笑っているお顔が見える……。
(しばらく愚痴る:高山正樹)



二日後、直ったチェロを受け取りに行きました。

修理代2000円也。自転車のパンク直したってもっと高いのに。
松脂を買いました。M.A.P.after5に写真があります。
http://lince.jp/hito/matuyani…
久泉清之さん曰く「ああ、今日は儲かった」だって。2,000円を1,500円にしてくださって、そんなに儲かるわけないのに。

久泉さんは、カメラを向けるとお逃げになりますが、ちょっと写っちゃった画像が、やっぱりM.A.P.after5にあります。
http://lince.jp/hito/nekodanomi…

その上、久泉さんはこんな本まで貸してくださったのです。
佐藤泰平著「宮沢賢治の音楽」
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実はこの本、大島君も持っていて、山猫合奏団の「セロ弾きのゴーシュ」のCDを著者の佐藤泰平さんに進呈したのだそうです。
さて、ご感想は如何に。
宮沢賢治は断固として宮沢賢治でなければならないという方々には、なかなか受け入れ難いのかも。「法華経の匂いがしないなあ」なんてね。
でも、民衆とともにありたいと願っていた賢治さん御本人が生きていたなら、きっと面白がってくれたと思うのです。そうですよね、トシさん。
(ちなみに、トシさんは宗派に拘ることはありませんでした。その寛容さに、晩年の賢治は、深く影響されたといいます。だからこそ賢治の作品は、法華経を越え、宇宙的拡がりを獲得することができたのかもしれません。)

お借りした本の中からいくつか。

セロ弾きのゴーシュの「第六交響曲」はベートーベンの田園であるというのが研究者の定説だけれど、「トランペットが一生けん命歌っている」ところは、ベートーベンの田園にはないのだそうで。そういえば白石准版第六交響曲の場合はどうなんだろう。

「印度の虎狩」はどうもこれらしい。
印度に虎狩にですって
なんだか、私をスキーに連れてってみたいだなあ。

それから、なんと「トロメライ」があった。さては三毛猫め、このレコードを聞いていたのか。
トロメライのレコード

お芝居が終ったら、久泉清之さんにチェロのメンテナンスをお願いすることに決めました。稽古、本番と、けっこう酷使することになりそうなので。その時、お借りした本をお返しいたします。
久泉さん。ありがとうございました。今後も、どうぞよろしくお願いいたします。
(相変わらずの担当:高山正樹)

「永訣の朝」より…
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる
(今度は、こんなに私のことばかりで、兄さんが苦しまないように 生まれてくる)

1922年、24歳という若さで死んでいった賢治とふたつ違いの妹トシ、賢治の最大の理解者であり、また賢治の最愛の妹であったトシさんは、花巻高等女学校の音楽教論にヴァイオリンを習っていました。
(この教論がトシの初恋の人だという話もあるのですが、今日のところは、そのことはお忘れくださいませ。)
トシさんのヴァイオリンは、やはりスズキ製で、明治40年当時10円。賢治のチェロの、10分の1以下の値段でした。

遺品となってしまったトシのヴァイオリンは、賢治によって花巻農学校の生徒に貸与され、以後ずっとそのままになっていました。
賢治がチェロを購入したのは1926年ですから、トシのヴァイオリンと賢治のチェロは、長らく一度も同じ場所にはあったことはありませんでした。

それが1995年の12月、調布の久泉清之氏の工房で賢治のチェロが修復されていたまさにその時、その久泉さんの工房に、トシさんのヴァイオリンも持ち込まれて修復されることになったのです。
トシさんが亡くなってから73年、賢治がこの世を去ってからは62年、長い年月を経て、ふたつの楽器が久泉さんの元ではじめて出会い、しばらくひっそりと寄り添うように置かれていた、その光景を想像すると、なんだか胸が熱くなってくるのです。

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当時の工房は、今はもうありません。上の画像も、もちろんトシさんのヴァイオリンではありません。しかしふたつの楽器を修繕した久泉さんが、今度のお芝居で使うチェロを直してくださったのだと思うと、なんだかとっても不思議な気がします。

現在、賢治のチェロとトシさんのヴァイオリンは、花巻の賢治記念館に、仲良く展示されています。
(引き続いての担当:高山正樹)



“セロ弾きのゴーシュ”は、不思議なミステリーに満ちています。どうやらそれは、ゴーシュが宮澤賢治の分身だということに原因があるみたい。
その賢治(=ゴーシュ)を、来月、僕は演じます。

声優の藤井つとむさんからお借りしたチェロですが、ちょっと直さなければいけないところがあって、大島純氏に紹介してもらった久泉清之さんの工房へ伺いました。
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「職人さんだから気難しいかも…」と大島君。さらに、宮澤賢治愛用のチェロをメンテナンスした方らしいという情報まで。ちょっと緊張して呼び鈴を鳴らしたのですが、ところがどっこい、ドアを開けて顔を出した久泉さんは、とても穏やかで気さくな方でした。

宮澤賢治は、1926年(大正15年)にチェロを購入しています。スズキ製のチェロの最高級品で、大正15年当時170円だったらしい。賢治は120円で買ったということですから、中古だったのかもしれません。いずれにしても、今のお金にして百万円を軽く越える買い物であったようです。
常に農民と共にありたいと願っていた賢治ですが、賢治の恵まれた境遇は、岩手の農民たちとは、やはりかけ離れていたというべきでしょう。賢治の作っていた野菜はトマトやキャベジ。当時としては、まだまだ珍しい贅沢な西洋野菜でした。
しかし、だからこそ賢治は、深く悩み、身を捨てて農民の中に飛び込んでいこうとしたのだと思うのです。

賢治のチェロのことを、思い切って久泉清之さんに聞いてみました。
賢治生誕100年記念のコンサートのため、それまではガラス細工を扱うようにして、花巻の賢治記念館に飾られたあった門外不出の賢治のチェロが使われることになりました。そこで1995年の12月、久泉さんに修復の依頼がきたのだそうです。
賢治のチェロは丹精込めて作られたもので、大正時代、国産としてはこれ以上ない精一杯のいい楽器だったと教えてくださいました。
「でも、どんないい楽器でも、鳴らしてあげなければ死にます。」

一方、この日、僕が持ち込んだチェロは、お借りしていながら失礼な話ですが、左程に値段の高い楽器というわけではありません。しかし久泉さんにとっては、そんなことは全く関係ないことのようでした。この楽器も、使い込んであげればいくらでもいい楽器になる、そうおっしゃる久泉さんは、どんな楽器もみんな同じように愛しんでいらっしゃるのだとお見受けしました。
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こんな素敵な方に調整してもらえるなんて、君も幸せだね。後は、僕がしっかり鳴らしてあげるだけ、うーん、頑張んなきゃなあ。

そしてさらに、久泉さんは、どうぞブログに載せても結構ですよと、こんな写真を貸してくださったのです。
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賢治のチェロの、S字の穴です。
そこから覗くと、「Masakichi,Suzuki」のラベルの上に、青色の絵の具で書かれた賢治のサイン。
1926、K.M.
実はこれ、今度の芝居の台詞にもあるのです。
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もう、びっくりです。

ところが、びっくりすることは、これだけじゃなかった!
でも、それは、次回のおはなし……
(本日の担当:高山正樹)
世に宮澤賢治論なるものは星の数ほど。
ところが「宮沢賢治考」で検索すると「ヤフー」でも「グーグル」でも、吾が“山猫合奏団Blog”の「宮澤賢治考」が、なんとTOPに出てきます。びっくりです。「宮沢賢治」だけで検索しては、箸にも棒にも引っかからないのに。要するに、賢治を論じている方々は掃いて捨てるほどいらっしゃるが、賢治について「考えている」人はほとんどいないということなのでしょうか。

ともかく責任重大? いやいや、私たちは、まともに賢治を論じる能力など持ち合わせていないのだし、だからあくまで至極私的に賢治を考えるのみ、きっとそれでいいのです。

そういえば本コラムを担当しているはずの楠氏は、相変わらずいっこうに顔を出しません。何故でしょう。たぶん、忙しい楠さんは、賢治のことなんか考えている暇がないんだろうな。楠氏は、賢治についていくらでも論じることができると豪語しました。それならばと、このコラムの執筆を頼んだのですが、ちょっと早まったみたい。文筆を生業としている人たちでない限り、頭に沈殿している想念を拾い上げて文章にするというのは、とっても億劫な作業なのでしょう。たとえ論じる能力があったとしても、その能力が実際の文章を生み出すために使われるには、全く別の動力が必要なのだと思います。

きっと、簡単に文章にすることができるのは、たった今考えていること、今この時の頭の中に浮遊して動いている想いだけ。

ここに、世の中に氾濫するブログというものの秘密があるように思います。
ちょっと気にかかるあの人の、昨日か、一昨日くらいまでの呟きを、今日のうちに覗いてみて、おんなじ心持ちになって考えてみたりする。そうすると、単調な「私」の毎日が、ほんの少し潤ったような気分になって、とっても嬉しくなる、ということ。

ところで僕は、このところ訳あって、毎日毎日宮澤賢治のことを考えています。ということは、「宮澤賢治考」という「ブログ」を担当するには、今の僕は、まさに適任者ということかな。
でも、その日限りのブログなどは、やっぱりどうしても書く気にならない。

というわけで、ちょっとアカデミックに。(ちっとも私的じゃないですねえ。)
「セロ弾きのゴーシュ」は1925年(大正15年)賢治29歳の作とされています。ふたつ違いの妹、最愛のトシを失って3年目。翌1926年には、賢治は農学校の教師を辞め、羅須地人協会を設立し、そして楠氏の大好きな「農民芸術概論綱要」を書きます。
でも、「セロ弾きのゴーシュ」が発表されることはありませんでした。書き始めてから10年近く、1933年(昭和8年)の死の直前まで、賢治は推敲を重ねていたらしい。
(当たり前の話ですが、ブログとは大違いですね。)

さて僕は、この先も訳あって、毎日毎日宮澤賢治を考えることになるでしょう。ブログなるものは書きたくないのですが、僕には賢治のような才能も堪え性もないので、きっと考えたことのいくつかを、この「宮澤賢治考」という「ブログ」で、吐き出すことになりそうです。

次回は、賢治のチェロのことを、ブログ風にお届けします。
(臨時担当:高山正樹)


楠定憲氏が、相変わらずいっこうに姿を現さないので、高山正樹が忍び込んでこれを書いている。

最近、iTunes Shop内で、我が山猫合奏団の“セロ弾きのゴーシュ”と“どんぐりと山猫”のカテゴリーが、ほんとにクラシックでいいのかというような話しが持ち上がっているらしい。

実はこれは、音楽ではないカテゴリー、例えばオーディオブックのようなものが、音楽関係のジャンルとは全く別のシステムや状況の上に成り立っているというiTunesの事情にも原因があるらしいのだが、そのあたりの政治的な問題は、いずれM.A.P.after5情報あたりでこっそり御披露することとして、ともかくここらで一度、山猫合奏団における宮沢賢治と白石准の力関係を、論理的に考察してみようかと思い立った。

さて、ではどこのスペースを使って開陳しようか。高山のわけのわからない理屈なら「社長とは呼ばない」でやっとけと言われそうであるが、あそこじゃあ誰も読んでくれない可能性が高い。従って楠氏の不在を利用して、しばらくここをお借りしようかと考えた。
(楠さん。帰ってくる気があるなら、遠慮なくいつでもどうぞ。)

さて、宮沢賢治と白石准の力関係と言っても、どちらの名前をメインにして宣伝すればCDが売れるかというような、そんな下世話なことではない。だいいち、そんなことならば、勝負は始めから分かり切っている。

もうひとつ。なぜ文学vs音楽という対比にしなかったのかというと、山猫合奏団の作品群において、文学の要素の全てを宮澤賢治が抱えているわけでもないし、また音楽的要素の全ての責任を、白石准が負っているわけでもないという、至極あたりまえの事情を、再確認したいがためである。宮澤賢治の言葉が音楽的であることは間違いないのだから。

古くから白石准を知る読者の方々にしてみれば、今さらというお話なのだが、白石准は、そこいらの音楽家に比べて、遥かに口数が多い。「饒舌な音楽」というような文学的表現をしているわけではない。文字通り、能書きが多いのである。
「何にも言うことはない、僕の音楽がすべてを語っている」
などというカッコのいい台詞を、白石准の口から聞こうとしても、それは絶対に不可能である。よく言えば、白石准は、聴き手にとって大変に親切な作曲家なのである。
(まれに、というかちょくちょく、迷惑な音楽家である場合もあるのだが。)

ともかく、その真髄を確認して頂くために、白石准のサイトの古い記事から、特に顕著なものをご紹介したいと思う。そこで白石准は、自作“どんぐりと山猫”について長々と語っている。
驚くべきは、それにくっついた47個のコメント(その中にはもちろん白石自身のコメントも含まれるが)である。事のきっかけは音楽だったはずなのに、いつしか白石准の音楽そのものはどこかに置き去りにされ、白石准の言葉の罠に引っ掛かった者たちのおしゃべりだけが、萱の森に鳴り響き続ける……。

もしかすると、我々の“どんぐりと山猫”は、やっぱりオーディオブックにカテゴライズされるべきものなのか!と、あくまでクラシックに拘る僕を不安にさせるのである。
ともかく、まずはご覧あれ。

http://juninho.blog…
(コメントは下から時系列に並んでいますので注意。)

本日のところは、これにて「白石准と宮沢賢治の形而上学」の第1回を終了いたします。
なお第2回の配信予定は、今のところ全く未定です。

生まれつき盲目の人が絵を描いている。風景画を。海の絵だった。鳥も飛んでいた。
筆は使わずに指で色を重ねていた。描き上がった絵を見たが、まさに海辺の景色である。
テレビ番組だったので、見た方もいらっしゃるでしょう。
絵も上手いし、すごいなあと思いつつ見るのをやめてしまったのですが、どうしてそんなことが可能なのかと思ってしまったのですよ。
彼(男性でした)は視覚での記憶は全てにおいてないわけです。なのに・・

以前読んだ佐治晴夫さん(理論物理学者)のエッセイのなかに全盲の方から聞いた話があったのをおもいだしました。引用します。
「白い杖を持つのは他者に目が不自由であることを知らせるためで、杖なしでも歩けます。」
佐治氏は驚かれたのですが、続けて曰く
「まわりの空気の流れの変化を全身で感じとることから周囲の状況がわかるのですよ。」

不思議です。がそれはわたしが自然現象に鈍感になっているからそう思ってしまうのでしょう。
宮澤賢治の「心象風景」は「わかる」ことよりも「感じる」ことと再確認するしだいです。
リズムを感じ・色彩を感じ・大きさを感じ・ドキドキを感じ・不思議を感じ・温度を感じ、それを楽しみ表す。
鈍感でいることは不幸な世界をつくってしまうような気がします。
(楠 定憲)
 

オツベルと象
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(神楽坂の公園にて)
シューマン作曲「トロイメライ」を聴いた。「子供の情景」全曲を聴こうと探したのだがCDが見つからなかったのですが、幸い「トロイメライ」の入っているピアノ演奏集がありました。いろんな作曲家の曲が入っています。    
高山氏からのコメントもあって、ひさしぶりにちょいと聴いてみようかと思い立ち、かけてみたのですが、聴いているうちにこのタイトルがうかびました。

たとえ話は人間が物語る時のおおいなる手段?方法?言葉がうかばない。いずれにしろ想像と不可分であるでしょう。
グリム、イソップ、アンデルセン、小川未明、名のある作家だけでなく、昔話や民話や夢の話などほとんどがたとえ話のようにおもえます。
たとえ話が子供じみているとか子供の世界だけの読み聞かせだなどとおもっていると大間違い。
イソップは知恵の宝庫だし、アンデルセンは人生(生死)とはなにかを考えさせてくれます。
むつかしいことはわかりませんが、仏の教えもそれにあたるのではないかと。
まあそんなわけで宮沢賢治にはいきつきませんでしたが今日のところはご容赦を。
(楠 定憲)



高山正樹のグチ…
楠氏と電話などで話すと、すぐにも記事を投稿するようなことをノタマウので、そんじゃあよろしくねと電話を切るのですが、一向に音沙汰なし。その繰り返しです。で、結局わたくし高山正樹が、こうしてちょっかいを出すことになるわけですなあ。もう、おまえさんのややこしいはなしなんか聞きたくない、ごもっともでございますが、ちょいとご容赦を。

宮沢賢治の、「小岩井農場」の一節です。

 これがじつにいいことだ
 どうしようか考えているひまに
 それが過ぎて滅くなるということ

まさか、そんなこと目論んでいるわけじゃないよね、楠さん。
それから、こんなのもあります。

 世界ぜんたい何をやっても間に合わない
 その親愛な近代文明と
 新な文化の過渡期のひとよ
 (雨中謝辞)

時間が無いんですよね、楠さんにも、そして、僕にも。
僕は、ちょっと気になって、そっと掌を眺めてみたのです。

 ところがおれのてのひらからは
 血がまっ青に垂れている
 (空明と傷痍)

こいつはえらいことだ、そうして僕は、なぜ僕の血が青くなってしまったのか、その原因をご教授願おうと、宮沢賢治さんを訪ねたのですが、逆に、山猫合奏団の皆様への宿題を頂いてきてしまったのです。
それは、「作品第1003番」であります。

 色のついた硝酸がご用ですか…
 …いいえ、わたくしの精神がいま索ねて居ますのは
 第六交響楽の水に落ちた木の陰影の濃度を測定する
 青い試薬がほしいんであります…

さて、どうなりますことやら。
(2008/10/5:高山正樹)
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