「雨ニモマケズ」は賢治の亡くなる2年前(1931年昭和6年)に彼の手帳にかかれていた詩ですが、この手帳は賢治の死後見つかったもので、中にはこの年の9月から11月にかけて書き留められた数編の詩が入っています。
ちなみに「雨ニモマケズ」は11月3日の日付が書かれています。

9月には肺の病気が再発し、東京からの帰郷を余儀なくされ、10月には東北・北海道が冷害のため大凶作となってしまうという状況のなかで、人はどう生きればいいのかを考えたのでしょう。満州事変も起こった。

この詩を読むとき賢治自身また社会情勢を知ってしまうと、どうしても口調が重くなるのはいたしかたないのかもしれませんが、ある時この詩を元気に声をだして読んだ人の話を聞いたことがあります。
なるほどと思いました。人を元気にし力づけようとする人間になりたいと考えているならば本人に生気がなくてどうする。魚屋の売り声がいきいきしてないとだーれも買う気にはならんでしょう。
賢治さんが聞いたら怪訝な顔をするか?いやしない。、
なぜなら人が生を喜び合っている姿をよしとしているからである。(農民芸術概論綱要からそう感じる。)

賢治さんの理想。「さういふものになりましょう」ではなくワタシハナリタイなのである。
(楠 定憲)