ちょいと訳あって賢治作品のいくつかを読んでいたのですが、読んでいるうちに「あれ俺は読んでない語っている」と思ったのです。
黙読をしていても自分に自分が語っているようで、声に出してみると誰もいないのに物語を伝えようとしているのです。
ひょっとすると賢治は書いているのではなく、語っていたのではないかと思ってました。それは賢治の仕掛けではないかとも思ったりしていたのですが、賢治についての関係書をめくっているとき「賢治童話は一種の語りの世界であってしかもその語り口の素晴らしさといったら類をみない」というのを目にしました。
賢治批判を書いている人でしたが、この点だけは「賢治は天才だ」と認めてましたね。

そう賢治は自らが語っていたのだ。語られるように、彼の発する言葉のつらなりはつねに音になって空間を飛んでいるように仕組んでいたのだ。
昔アングラ劇をやっていたころ賢治の詩を元にして構成された芝居をやったことがあって俳優たちの「声」の出し方が独特だったなあ。思い出した。

以前宮沢家の宗旨換えのことを書きましたが、浄土真宗から日蓮宗に改宗したのは賢治の死後18年経ってからでした。生前と思って書いてしまいました。ごめんなさい。