2009年09月15日
コメント
pam さんのコメントです。
元来、誰が語っても朗読そのものが「おばさま」っぽい作業なのだと思うのです。だとすれば、課題は、いかに朗読を捨てるかということです。そのためには、まず朗読を獲得していなければならない。持たざるものを捨てることなどできません。
そんなことわかっているはずなのに越えられないとすると、朗読という範囲が、実は思っているよりもっと広いということなのだと思うのです。
もう少し無茶をしないと、朗読からは逃れられない、ちょっと簡単に過ぎる言い方ですが、さほどに外れてもいないのではないかと思います。
山猫合奏団で僕がやろうとしていることは、徹底的な朗読であり、かつ徹底的に朗読ではないものです。
朗読の形而上学は逆説的であります。まだまだ入口です。
http://lince.jp/mugon/note/...
ぼちぼち、続きを書き始めようかな。
そんなことわかっているはずなのに越えられないとすると、朗読という範囲が、実は思っているよりもっと広いということなのだと思うのです。
もう少し無茶をしないと、朗読からは逃れられない、ちょっと簡単に過ぎる言い方ですが、さほどに外れてもいないのではないかと思います。
山猫合奏団で僕がやろうとしていることは、徹底的な朗読であり、かつ徹底的に朗読ではないものです。
朗読の形而上学は逆説的であります。まだまだ入口です。
http://lince.jp/mugon/note/...
ぼちぼち、続きを書き始めようかな。
2009年09月17日 17時43分27秒




生名島。 さんのコメントです。
オツベルと像・・・中1の息子の教科書作品ですね。
セロ弾きのゴーシュを朗読していたら、「オツベル?」って聞かれました。
文脈や音から作家が同じとわかるのでしょうか?
以前から高山さんに聞きたかったけど未だに聞けないこと・・・
あの~私の朗読は「おばさま」の部類に入っているのでしょうか(*_*;