2010年04月09日
2010年4月9日
一月の密談から三ヶ月。
久しぶりの打ち合わせ。

色々なことが動き始めました。まだ告知には少し早いのですが、ひとつだけお知らせいたします。
今年の7月、ついに山猫合奏団の沖縄ツアーが実現することになりました。詳細は追って発表しますが、この段階でそのことをご報告したのには訳があるのです。
宇夫方路が、初めてその人のライブに行ったのは2年前。しばらくして、宇夫方は那覇のジャズバーで、ずうずうしくも何か御一緒できないかと、その方にお話をしました。こちらが具体的な企画を持っていけば、喜んで乗ってくださる方なのだということが、その方のお人柄を通じて、ひしひしと伝わってきたのです。
2009年の2月4日。
高山正樹は那覇のBar「寓話」で、その方にお会いしました。その日のことをM.A.P.after5に書いています。
⇒http://lince.jp/hito/longday…
沖縄ジャズの重鎮、屋良文雄。
2010年4月8日、つまり昨日、午前10時5分。前立腺がんのため、那覇市内の病院でお亡くなりになりました。享年70歳。
間に合いませんでした。
沖縄ツアーが決まって、その前後にくっつけるかたちで、ほんとうにご一緒する機会がやってきた、まず屋良さんの奥様に電話を入れてみよう、そう思いついた矢先のニュースだったのです。
果たして僕らは、見えている可能性を実現するために、最善を尽くしてきたのでしょうか。今僕は、後悔ばかりなのです。取り返しのつかない、深い後悔に包まれているのです。
M.A.P.after5に倣っていうならば、ひとつのミステリーが、花咲かぬまま、今、消えました。
人生は短い。特に「ヤクザな世界」で生きてきた者の魅惑的な人生なら尚更。
屋良文雄さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。
一月の密談から三ヶ月。
久しぶりの打ち合わせ。
色々なことが動き始めました。まだ告知には少し早いのですが、ひとつだけお知らせいたします。
今年の7月、ついに山猫合奏団の沖縄ツアーが実現することになりました。詳細は追って発表しますが、この段階でそのことをご報告したのには訳があるのです。
宇夫方路が、初めてその人のライブに行ったのは2年前。しばらくして、宇夫方は那覇のジャズバーで、ずうずうしくも何か御一緒できないかと、その方にお話をしました。こちらが具体的な企画を持っていけば、喜んで乗ってくださる方なのだということが、その方のお人柄を通じて、ひしひしと伝わってきたのです。
2009年の2月4日。
高山正樹は那覇のBar「寓話」で、その方にお会いしました。その日のことをM.A.P.after5に書いています。
⇒http://lince.jp/hito/longday…
沖縄ジャズの重鎮、屋良文雄。
2010年4月8日、つまり昨日、午前10時5分。前立腺がんのため、那覇市内の病院でお亡くなりになりました。享年70歳。
間に合いませんでした。
沖縄ツアーが決まって、その前後にくっつけるかたちで、ほんとうにご一緒する機会がやってきた、まず屋良さんの奥様に電話を入れてみよう、そう思いついた矢先のニュースだったのです。
果たして僕らは、見えている可能性を実現するために、最善を尽くしてきたのでしょうか。今僕は、後悔ばかりなのです。取り返しのつかない、深い後悔に包まれているのです。
M.A.P.after5に倣っていうならば、ひとつのミステリーが、花咲かぬまま、今、消えました。
人生は短い。特に「ヤクザな世界」で生きてきた者の魅惑的な人生なら尚更。
屋良文雄さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。
(高山正樹)



