2011年05月01日
(※記事のタイトルをクリックすると、コメント欄が下部に表示されます。)
名称:“川崎・しんゆり芸術祭2011「アルテリッカ」しんゆり”
山猫合奏団「オツベルと象」
“仔象ババールの物語”との2本立て
日時:2011年5月1日(日)午前11時開演
場所:昭和音楽大学北校舎第1スタジオベース改めスタジオ・リリエ
料金:大人2,800円
※全席指定
《Cast》
山猫合奏団
《Stuff》
照明:龍前正夫舞台照明研究所
音響:渡邉禎史
【第一部】
フランシス・プーランク作曲“仔象ババールの物語”
作:ジャン・ドゥ・ブリュノフ(訳:山猫合奏団)
Piano:白石准
語り:高山正樹
【第二部】
白石准作曲“オツベルと象”(宮澤賢治)
言葉:楠定憲&高山正樹
Tuba:古本大志
Bass:稲垣護
Piano:白石准

多数のご来場、ありがとうございました。

※急遽お客様に配ったメッセージ
山猫合奏団をプロデュースする高山正樹より
【今日おいでくださった皆様へのご挨拶】
天気予報では今日は雨模様。そんな日なのに、われわれ山猫合奏団の公演に足をお運びくださり、ほんとうにありがとうございました。心より感謝申し上げる次第です。
“オツベルと象”をしんゆり芸術祭2011で上演することを決めたのは、去年のことでした。
しかし東北大震災が起こりました。このまま上演してよいのだろうか、プロデューサーとして、実は悩みました。公演そのものを自粛しようかと考えたわけではありません。はたして、演目は“オツベルと象”でいいのだろうか……。
“オツベルと象”には、こんなくだりがあります。
「小さな木などは根こぎになり、藪や何かもめちゃめちゃだ。グワアグワア、グワアグワア」
「その時はちょうど一時半、オツベルは皮の寝台の上でひるねのさかりで、烏の夢を見ていたもんだ。あまり大きな音なので、オツベルの家の百姓どもが、門から少し外へ出て、小手をかざして向うを見た。林のような象だろう。汽車より早くやってくる。さあ、まるっきり、血の気も失せてかけ込んで、『旦那あ、象です。押し寄せやした。旦那あ、象です。』と声をかぎりに叫んだもんだ」
「間もなく地面はぐらぐらとゆられ、そこらはばしゃばしゃくらくなり、象はやしきをとりまいた」……
こんな場面を、我々は何のこだわりもなく表現することができるのだろうか、お客様方は、心穏やかに聞いていてくださるだろうか……
でも、ここひと月以上、メンバーと合わせを重ねていくうちに、少しづつ違う新たな思いが起こってきました。
先の喧騒の場面に続いて、こんな言葉が語られます。
「グララアガア、グララアガア、その恐ろしいさわぎの中から、
今助けるから安心しろよ
やさしい声もきこえてくる」
「サンタマリア……」
“オツベルと象”という物語の中に、限りなく深い祈りの心を見つけました。そして僕は、今日の公演で、ひそやかに未来に向けて祈ろうと決心をしたのです。
今日の僕は“オツベルと象”こそ、今やるべき作品なのだと思っています。たとえそれが、独りよがりな思いだとしても。
※このメッセージには続きがありました。それはM.A.P.after5にアップしてあります。
⇒http://lince.jp/hito/zenjitu…
名称:“川崎・しんゆり芸術祭2011「アルテリッカ」しんゆり”
山猫合奏団「オツベルと象」
“仔象ババールの物語”との2本立て
日時:2011年5月1日(日)午前11時開演
場所:昭和音楽大学北校舎第1スタジオベース改めスタジオ・リリエ
料金:大人2,800円
※全席指定
《Cast》
山猫合奏団
《Stuff》
照明:龍前正夫舞台照明研究所
音響:渡邉禎史
【第一部】
フランシス・プーランク作曲“仔象ババールの物語”
作:ジャン・ドゥ・ブリュノフ(訳:山猫合奏団)
Piano:白石准
語り:高山正樹
【第二部】
白石准作曲“オツベルと象”(宮澤賢治)
言葉:楠定憲&高山正樹
Tuba:古本大志
Bass:稲垣護
Piano:白石准
多数のご来場、ありがとうございました。

※急遽お客様に配ったメッセージ
山猫合奏団をプロデュースする高山正樹より
【今日おいでくださった皆様へのご挨拶】
天気予報では今日は雨模様。そんな日なのに、われわれ山猫合奏団の公演に足をお運びくださり、ほんとうにありがとうございました。心より感謝申し上げる次第です。
“オツベルと象”をしんゆり芸術祭2011で上演することを決めたのは、去年のことでした。
しかし東北大震災が起こりました。このまま上演してよいのだろうか、プロデューサーとして、実は悩みました。公演そのものを自粛しようかと考えたわけではありません。はたして、演目は“オツベルと象”でいいのだろうか……。
“オツベルと象”には、こんなくだりがあります。
「小さな木などは根こぎになり、藪や何かもめちゃめちゃだ。グワアグワア、グワアグワア」
「その時はちょうど一時半、オツベルは皮の寝台の上でひるねのさかりで、烏の夢を見ていたもんだ。あまり大きな音なので、オツベルの家の百姓どもが、門から少し外へ出て、小手をかざして向うを見た。林のような象だろう。汽車より早くやってくる。さあ、まるっきり、血の気も失せてかけ込んで、『旦那あ、象です。押し寄せやした。旦那あ、象です。』と声をかぎりに叫んだもんだ」
「間もなく地面はぐらぐらとゆられ、そこらはばしゃばしゃくらくなり、象はやしきをとりまいた」……
こんな場面を、我々は何のこだわりもなく表現することができるのだろうか、お客様方は、心穏やかに聞いていてくださるだろうか……
でも、ここひと月以上、メンバーと合わせを重ねていくうちに、少しづつ違う新たな思いが起こってきました。
先の喧騒の場面に続いて、こんな言葉が語られます。
「グララアガア、グララアガア、その恐ろしいさわぎの中から、
今助けるから安心しろよ
やさしい声もきこえてくる」
「サンタマリア……」
“オツベルと象”という物語の中に、限りなく深い祈りの心を見つけました。そして僕は、今日の公演で、ひそやかに未来に向けて祈ろうと決心をしたのです。
今日の僕は“オツベルと象”こそ、今やるべき作品なのだと思っています。たとえそれが、独りよがりな思いだとしても。
(2011年4月30日23時22分、喜多見の事務所にて、あわてて記す)
※このメッセージには続きがありました。それはM.A.P.after5にアップしてあります。
⇒http://lince.jp/hito/zenjitu…
白石准 さんのコメントです。
賢治が書いた文章はまったく割愛なしに全部採用しました。
そして、冒頭の稲こき工場での機械の雑音は、聴いた方たちはおわかりのように、二人で語っている間に、文章を読んでないもう一人がずっとやかましく「のんのんのんのん」とつぶやいていたり、http://juninho.blog16.fc2.c...
にも綴りましたが、二人同時に同じ言葉やその辺の関連した言葉を重ねたこともありました。
決定的に賢治が「書いていない言葉」を付加したのは、第五日曜(全体が三部に分かれているうちの、第三部、音楽的には第3楽章に当たります)の最後、象の大群が攻めてくるところで、象たちと白象の気持ちを歌にしています。
その歌詞は、白石准が作詞していますので、これは賢治の世界とはある意味かけ離れています。
そして、最後オツベルが象につぶされるところは、同時に、第五日曜の冒頭の文章が音楽とともに再現されているものが重なっています。
そんなところでしょうか。
結局限りなく1時間に近い50分を超す大作になってしまいました。