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井伏鱒二の残した言葉……
「書くことが無いのでイロハを書こうと思った。」

太宰治にとって、井伏鱒二はどんな存在だったのか。
太宰は……   やめた。

イロハニホヘト
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ある直線上において、全くの同一点に立っているのに、生きるということがベクトルを必要とするのなら、そこでの矢印の向きによって、全く相反する立場があり得る、そんな当たり前すぎてつまらぬことを考えていたのだ。

↑…《読書量の減っていることが不満である》

↓…《暴飲暴食のために、また胃が痛み出した》

→…《昨日と一昨日のこと、彼のこと、彼女たちのこと、そして僕自身のこと、あるいは、つまり恵まれた人間たちのこと》

←…《床屋にだって行かなければならないんだ。だが今日は定休日》

→…《他にもいろいろあったはずなのだが……》
 
↑…《そうだ、ギターの弦を買ってこよう。ついでに、本屋にも寄ってみるのかい?》

→…《十七日に読んだ「マクシミリアン博士の微笑」から
「あの子供達の素朴なタマシイをつかむのは、きっと私達のもっと素朴なタマシイでなくてはいけないよ」
「あの子供達はせっかくカラの中に閉じこもれたのです。ようやくなんです」》
《こんな時にまぜっ返してややこしくして、一体何をしてるんだか、おまえは……》
《「あなたですよ。あなたが私達にウソをつくことを教えたのです。あなたの前では、誰でも平気でウソをつきます。あなたがやさしいせいではなくて、それはあなたが臆病なせいです」
子供「私、先生好きです。」 助手「もう行ってお休み。」
子供「私、先生がとても好きです。」 助手「いいよ。お休み。」
子供「先生、先生に触ってもいいですか?」
助手「先生はね、とてもくたびれた……。」
子供「先生、触ってもいい?」 助手「うん。ひどく、くたびれたんだよ……。」
「あなた方は本当にこの子のことを考えているんですか? 本当ですか? あなた方のおもちゃにするためにこの子をソッとしておきたいと言うのなら、私は許せませんよ」
「うわべだけのなぐさめあいだけで一生送れると思ったら大間違いよ」》

↓…《別役実の引用、というのが気に入らない》

→…《「あなたは愛されてたんじゃなくて、同情されていたのよ。しかも、それもあなたは知っていた。そうね……? あなたは知っていたわ。知っていながら、愛されているフリをしていた。だから、あなたは、だまされていたんじゃなくて、だましていたのよ。この人達も、つい今までは、あなたの事をだましおおせていると信じてたのよ」
「なかったんだよ。やっぱり、何事もなかったんだよ……」》

↑…《案の定だ……。電話でもしてみるかね》
いったいどうしたことだろう。あいつが電話に出ないということが、こんなに僕を不安にさせるのだ。外は土砂降り、この時間ではもう帰る電車は無い。
「酒は飲むな、しっかりと一人で生きていく」
露骨に自尊心が傷つけられるよりは、嫉妬心という低劣な概念にカモフラージュされている方がよほどいい。

←…《ごめんなさい。ひねくれた言い方、許してください。素直になりなさい……》
ああ、何というありきたりな風景なのだ。明日になれば僕はすっかり元通りになっちまうのだろうけれど、そうなる前に、今のこの風景の中で、この風景共々丸ごと受け入れなければならない、と僕は思っているらしいのだ。あなたがあなたでなかったら、僕はあなたと出会いはしなかった。

曖昧な関係が君を苦しめている。曖昧とは、ベクトルの方向が定まらず揺れていることだと思っていた。でもその間違いに気づいたのだ。

この地点で、僕は力と方向を失ってみる。


8月25日火曜日: 《1984年9月2日のノート》

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全てをさらけ出したい衝動がある。しかし懺悔の快楽は免罪の保障がその条件なのだ。その時、人は胎児のように安心して眠るだろう。
このごろ、夢に期待しなくなった。だから、眠ることがつまらなくなった。

8月21日金曜日: 全て冗談なのです

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昨日のことを、あさってあたり、あの人に聞いたはなし。

指をつめたのは二回くらいじゃないのかな。ふつうは左手だけどね、それじゃあ三線が弾けなくなるから、だから右手にしてもらった。
島にいるのが危うくなって、川崎あたりに身を隠したらしい。琉球人お断りみたいな張り紙が、あちこちの飲み屋に貼られていたころなのかもしれない。とんでもないはなしだということになっているけど、貼ったオヤジの気持ちもわからんじゃない。

花街で憶えた本物の三線。今では100人を越える弟子がいる。教育委員会から表彰されたというのだから、世の中わからないもんだ。わかってないのは役人か、きっとそうにちがいない。

インターネットでいくら調べたって出てきやしないさ。新聞はとっくにダメだが、ネットでならどんな情報でも得られるなんて勘違いするのもとんでもない話。
島の女は、ちょっとやそっとじゃ驚かない。顔も名前も知らない兄弟がいるなんて、普通のことだよね、ママ。あの知事だって、似たり寄ったり。
裏があるんですねだって? 何を目ん玉まん丸にしてるのさ。君の大好きなおかあさんは、きっと君に、ちゃんと正しいことだけを教えてきたんだね。とうさんは役人? 冗談さ、冗談。

あの人って、ママじゃないよ。全然違う人。違う人の冗談。
すべて、冗談さ。

8月18日火曜日: 生物多様性と自然淘汰

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生物多様性なることばを、最近よく聞く。だが、決して新しい話ではない。

岩波文庫でダーウィンの「種の起源」全3巻を読んだのは、もう30年前のこと、その中に「進化」という言葉は一度も出てこなかったと記憶している。論じられているのは、突然変異を契機とした多様化の長い歴史の分析である。

最近インターネットの世界で、多くの人が、「生物多様性」という流行の言葉を持ち出して環境問題を喧伝している。受け売りの意見。
ある種が絶滅すると生態系の安定が損なわれる、また生態系の複雑さの減少はその崩壊の方向と同義である、それはそういうことなのだろうが、しかし複雑な生態系が、全ての種を守る条件だと考えているとしたら、それは大きな勘違いである。ましてや、沖縄のサンゴを守るためにオニヒトデを駆除するのはおかしい、どちらも同じ命ではないか、などというコメントにいたっては笑止である。健康なサンゴの周辺は、極めて高い「生物多様性」が保たれている。「生物多様性」を守るなら、オニヒトデは適切に駆除されなければならないという当たり前のはなし。「生物多様性」から出発して「生物多様性」の本質から外れるというお粗末。

だがこの事例こそ、「生物多様性」を守ろうとすることが、極めてエゴイスティックなことであるという証明なのだ。
生物の種が多様化してきたのは、棲む場所の環境にそれぞれが適合するようその形を変えてきた結果に他ならない。そのために同種の中での固体差も必要であった。中でも突然変異した異形の存在こそトリックスターであった。この多様性は、外部環境の変化による全滅を防ぐためにも機能し、結果、より環境に適合できる固体のみを残し、適さない固体を選別する動的で差別的なシステムなのである。

種の多様性も同じような側面がある。全ての種が森林でしか生きられなかったら、地球の砂漠化は、地球上から全ての生命を消失させることを意味するが、砂漠でも生きることの出来る生命の存在が、地球の命を未来に繋ぐのである。

実は、人間だけが特殊なのである。人間はいかなる環境にも適合していない。寒冷地では服を着なければ生きられず、太陽の下に放置されれば、半日を待たずに意識を失うだろう。

受精して生まれる胎児は、初期においてはどんな動物でもほぼ同様の形で見分けがつかない。そのあと、それぞれの胎児は、種それぞれの太古からの「進化」のプロセスを準えるように変化していく。大概の哺乳類は、四足で歩くために、生まれるまでに首が後ろに曲がってくるのだが、人間の場合、首は背骨からまっすぐに伸びたままである。主な変化は尻尾を失うだけで、体毛も殆どなく、初期の胎児の形態を色濃く残し、極めて無防備な状態で生まれてくるのだ。さらにデスモンド・モリスによれば、人間は胎児のまま大人になる化け物なのである。つまり人間は、「多様化」から逸脱した、全く「進化」していない体を持った生物といえるのかもしれない。

人間ほど、たくさんの別の生命から助けを受けなければ生きることのできない動物はいない。もしかすると、「生物多様性」なるものを切実に必要としているのは、地球の全てを利用し尽くそうとしている人間だけなのではないか。しかし僕は、それでかまわないと思っている。「生物多様性」が、全ての生き物にとって必要なことだというような主張より、よほどマシだと思っている。
「生物多様性」と「自然淘汰」はセットである。自然に淘汰されない保障があれば、「生物多様性」は不要である。そうなれば、生命は自己同一性のみを追うことになるであろう。

自然は、人間という種が淘汰されることを恐れてなどいない。しかし人間は、人間という種の絶滅を切実に恐れるべきだと親となった僕は思う。そのために必要なら、オニヒトデはいうに及ばず、僕はジュゴンでも殺すだろう。


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