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9月20日日曜日: 静粛に!静粛に!

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その登場は衝撃的であった。以来40年近く「作り上げられた自分」と向き合ってきた作家がいる。いや、そうではない。「作り上げられた自分」は、真実の自分を押しつぶすほど巨大であった。劇作家は、その自分と同じ名を持つ偶像と、やがて向き合うことを放棄してしまったというのが、本当のところなのかもしれない。

作品は歪められていった。作家自身が手を入れたとも聞いた。だが、僕は敢えて言う。作品は、作家の意志に反して歪められていったのだと。そして、僕もまたその片棒を担いだのである。

さらにその上、作家の深き思いを確信しながらも、知らぬ振りをして、彼だけのものではない神聖な言葉を、大和に対する武器であったはずの言葉を、インターネットの世界に「陳列」させて欲しいと、厚かましくも頼み込んだのである。

心優しき劇作家は、静かな諦念の微笑みとともに承諾してくれたのだが、その時、作家の胸に去来していた思いは、どんなものだったのだろう。

それだけではない。僕は、発表当時の台本を、神田の古書店で見つけたのだ。僕はその時、歪められる前の作品はこれなのだと、作家の真の思いはここにあるのだと、僕自身の責任で語らねばならなかったのではないか。それなのに僕は、そのト書きにあった美しき子守唄を紹介することでお茶を濁したのである。

僕の憂鬱を、きっと誰も知らない。

「戦時中、多くの朝鮮の女性たちが、看護婦として沖縄に来て、無理矢理売春婦にされたのを、わたしは目撃してきました。ゆえに天皇の●である島津●●や、皇太子の●、●●子も、天皇や皇太子の目の前で、米軍に強●……」
「静粛に!静粛に!」


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太宰治は書いた。
「僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を早熟だと噂した」
「けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した」
「わびしさだの、淋しさだの、そんなゆとりのあるものでなくて、悲しいんだ」
『斜陽』を読みながら、僕は思った。
〈本当だろうか〉

日本人は、日常を小説で考えようとするが、本来、日常とは哲学で考えるものだ、そう語った者がいる。そして彼はこうも言った。小説とは、「非日常」であると。

ならば太宰が小説で何を書こうとも、どうでもいいことなのだが、日本人が小説で日常を考えるというのなら、やはり捨てては置けないということではないのか。確かに、戦後の現実に幻滅していたには違いない。しかし「人間は恋と革命のために生まれて来た」とは、なんとも弱くて甘きに過ぎる。太宰の「現実」とは、実は左程にも偏狭な私生活に限られた世界であった。

「マルキシズムは、働く者の優位を主張する。民主主義は個人の尊厳を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。ただ牛太郎だけがそれを言う」
太宰の自嘲そのまま、「なんという卑屈な言葉だろう」。本当に不愉快なのだ。マルキシズムは、お前の自慰のための道具であってはならない。少なくとも、理念としては。

「ローザはマルキシズムに、悲しくひたむきの恋をしている」
そうして太宰は、恋や美を、新しい時代の新しい倫理に祀り上げようとするのだ。所詮「天皇」を愛した貴族の甘さと弱さである。
「天皇は倫理の儀表として之を支持せよ。恋したう対象なければ、倫理は宙に迷うおそれあり」
反吐が出る。太宰の言う「倫理」とは何か。なぜその「倫理」をこそ疑おうとしなかったのか。
サルトルは言った。「ナチスの占領下においてわれわれは自由だった」と。一方、太宰はがんじがらめの自分に陶酔しているのだ。

「斜陽族」などという風俗、「放埓に苦悩のない、馬鹿遊びを自慢する、ほんものの阿呆の快楽児たち」が、デカダン文学の生み出した産物ならば、それはこうした日常的作品の中に、「正しい愛情」だとか「蘇生したヒューマニティ」などという得体の知れないものを、密かに、そして巧みに織り込んだ作家たちの罪である。「ほんものの阿呆」は、やがて「天皇」を補完する存在に変質していくに違いない。

だが、所詮小説なのである。
「小説とは非日常である」、これを「小説とは非日常でなければならない」と言い換えてみると、「あらゆる現実的行為は悪である」という形而上学的ドグマと、妙な反応を起こして、僕はおもしろがっている。

「人間はみな同じものだ。この言葉は実に猥褻で、不気味で、ひとは互いにおびえ、あらゆる思想が姦せられ、努力は嘲笑せられ、幸福は否定せられ、美貌はけがされ、光栄はひきずりおろされ、所詮『世紀の不安』は、この不思議な一語からはっしている」
僕は「太宰」ではなく、そして尚も「太宰」である。

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井伏鱒二の残した言葉……
「書くことが無いのでイロハを書こうと思った。」

太宰治にとって、井伏鱒二はどんな存在だったのか。
太宰は……   やめた。

イロハニホヘト
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ある直線上において、全くの同一点に立っているのに、生きるということがベクトルを必要とするのなら、そこでの矢印の向きによって、全く相反する立場があり得る、そんな当たり前すぎてつまらぬことを考えていたのだ。

↑…《読書量の減っていることが不満である》

↓…《暴飲暴食のために、また胃が痛み出した》

→…《昨日と一昨日のこと、彼のこと、彼女たちのこと、そして僕自身のこと、あるいは、つまり恵まれた人間たちのこと》

←…《床屋にだって行かなければならないんだ。だが今日は定休日》

→…《他にもいろいろあったはずなのだが……》
 
↑…《そうだ、ギターの弦を買ってこよう。ついでに、本屋にも寄ってみるのかい?》

→…《十七日に読んだ「マクシミリアン博士の微笑」から
「あの子供達の素朴なタマシイをつかむのは、きっと私達のもっと素朴なタマシイでなくてはいけないよ」
「あの子供達はせっかくカラの中に閉じこもれたのです。ようやくなんです」》
《こんな時にまぜっ返してややこしくして、一体何をしてるんだか、おまえは……》
《「あなたですよ。あなたが私達にウソをつくことを教えたのです。あなたの前では、誰でも平気でウソをつきます。あなたがやさしいせいではなくて、それはあなたが臆病なせいです」
子供「私、先生好きです。」 助手「もう行ってお休み。」
子供「私、先生がとても好きです。」 助手「いいよ。お休み。」
子供「先生、先生に触ってもいいですか?」
助手「先生はね、とてもくたびれた……。」
子供「先生、触ってもいい?」 助手「うん。ひどく、くたびれたんだよ……。」
「あなた方は本当にこの子のことを考えているんですか? 本当ですか? あなた方のおもちゃにするためにこの子をソッとしておきたいと言うのなら、私は許せませんよ」
「うわべだけのなぐさめあいだけで一生送れると思ったら大間違いよ」》

↓…《別役実の引用、というのが気に入らない》

→…《「あなたは愛されてたんじゃなくて、同情されていたのよ。しかも、それもあなたは知っていた。そうね……? あなたは知っていたわ。知っていながら、愛されているフリをしていた。だから、あなたは、だまされていたんじゃなくて、だましていたのよ。この人達も、つい今までは、あなたの事をだましおおせていると信じてたのよ」
「なかったんだよ。やっぱり、何事もなかったんだよ……」》

↑…《案の定だ……。電話でもしてみるかね》
いったいどうしたことだろう。あいつが電話に出ないということが、こんなに僕を不安にさせるのだ。外は土砂降り、この時間ではもう帰る電車は無い。
「酒は飲むな、しっかりと一人で生きていく」
露骨に自尊心が傷つけられるよりは、嫉妬心という低劣な概念にカモフラージュされている方がよほどいい。

←…《ごめんなさい。ひねくれた言い方、許してください。素直になりなさい……》
ああ、何というありきたりな風景なのだ。明日になれば僕はすっかり元通りになっちまうのだろうけれど、そうなる前に、今のこの風景の中で、この風景共々丸ごと受け入れなければならない、と僕は思っているらしいのだ。あなたがあなたでなかったら、僕はあなたと出会いはしなかった。

曖昧な関係が君を苦しめている。曖昧とは、ベクトルの方向が定まらず揺れていることだと思っていた。でもその間違いに気づいたのだ。

この地点で、僕は力と方向を失ってみる。


8月25日火曜日: 《1984年9月2日のノート》

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全てをさらけ出したい衝動がある。しかし懺悔の快楽は免罪の保障がその条件なのだ。その時、人は胎児のように安心して眠るだろう。
このごろ、夢に期待しなくなった。だから、眠ることがつまらなくなった。

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