08/06/30 : 都立駒場高校 生徒総会 《その4》
カテゴリ: '75年都立駒場生徒総会
それから数日後のことでした。
都立駒場高校の各教科の研究室は、校舎の1階にありました。暗い廊下側にはそれぞれ一枚の扉があるだけで、どれも大概は閉じられていて、よそよそしい佇まいでしたが、その反対側は、大きなサッシの窓と扉がしつらえてあって、植え込みなどが点在する日の光いっぱいの中庭へ直接出られるようになっていました。教官たちはそこから表へ出るときに履くためのサンダルなどを各々準備していて、それをコンクリのタタキの上に並べていました。中庭といっても、閉鎖された空間ではなく、自由に通れる開かれたスペースでしたから、そこはいつも生徒たちの声で満たされていました。
なにしろ30年以上も前のことなので、記憶が定かではないのですが、放課後だったのか、あるいは定期試験後の休みの期間だったのか、いずれにしろ授業からすっかり解放されていた時間だったと思うのですが、それでもクラブ活動などあるのか、その時も、中庭は生徒たちでそれなりに賑わっていました。
そんな通りすがる生徒たちにはお構いなく、という感じで、中庭の社会科教官室の前では(というか裏ではというか)、社会科の教官たちが車座になって酒盛りをしていたのです。
なんとも大らかな光景。今のこの時代に同じ事をやったら、いったいどんな騒ぎになるのだろう。しかし、30年前の生徒たちは、特に何を思うでもなく、ちょっとした言葉を交わしたり、あるいは黙ってその脇を通り過ぎていきました。
僕も、別段なんのこともなく、ただ通り抜けるだけのこと、あるいはひとことふたこと何かしゃべったのかもしれませんが、そんな僕を、世界史の山村が呼び止めたのでした。
「世界史の山村」と呼び捨てすることに、他意があるわけではありません。今は知りませんが、当時の都立高校の教師の中には、予備校で教えている人も多くいて、彼もごたぶんに漏れず代々木ゼミナールで教えていて、「代ゼミの世界史の山村」といえば、受験を控える高校生の間ではよく知られた呼び名でした。
僕を背後から呼び止めた「世界史の山村」は、ここへ座れと、彼の左隣に僕を招きいれました。さすがに酒をすすめられたという記憶はありません。しかし、社会科の「河合のばあちゃん」には、「あんた貰いタバコはだめだよ」としょっちゅうご注意を頂いていたし、演劇部の「池尻さん」とは、何度も一緒に飲んでいたし、もしかしたらその時もビールの一杯くらい飲んだのかもしれませんが、どっちにしても記憶にとどめる必要のないほど、酒や煙草について、大らかな時代であったということです。
既にかなり酔っていた「世界史の山村」は、そのとき僕に、こう語ったのでした。
この前のな、生徒会のことだ、あの時、俺はな、お前をぶん殴ってやろうかと思ったんだ。でもなあ、俺は思った。お前は、ああするしかなかった、ああするしか、他にしようがなかったんだ。
「世界史の山村」は、一切僕の見解を聞こうとはしませんでした。ただ左手で僕の肩を抱き、僕の顔を見ることも無く、右手に持ったコップに注がれ揺れて波立つ安酒をただ見つめたまま、何度も何度も同じことを繰り返していたのです。
何故僕は、芝居などという世界で生きていくことにしたのか、いくら考えたって答えが見つかるわけじゃありません。しかし僕は、人様から「何故お芝居を」と聞かれる度に、この日のエピソードを思い出します。
そうして、いつからか僕は、「何故お芝居を」という質問に対して、この時の「世界史の山村」という教師の言葉が、僕を決心させたのだと、もっともらしく答えるようになっていたのです。
都立駒場高校の各教科の研究室は、校舎の1階にありました。暗い廊下側にはそれぞれ一枚の扉があるだけで、どれも大概は閉じられていて、よそよそしい佇まいでしたが、その反対側は、大きなサッシの窓と扉がしつらえてあって、植え込みなどが点在する日の光いっぱいの中庭へ直接出られるようになっていました。教官たちはそこから表へ出るときに履くためのサンダルなどを各々準備していて、それをコンクリのタタキの上に並べていました。中庭といっても、閉鎖された空間ではなく、自由に通れる開かれたスペースでしたから、そこはいつも生徒たちの声で満たされていました。
なにしろ30年以上も前のことなので、記憶が定かではないのですが、放課後だったのか、あるいは定期試験後の休みの期間だったのか、いずれにしろ授業からすっかり解放されていた時間だったと思うのですが、それでもクラブ活動などあるのか、その時も、中庭は生徒たちでそれなりに賑わっていました。
そんな通りすがる生徒たちにはお構いなく、という感じで、中庭の社会科教官室の前では(というか裏ではというか)、社会科の教官たちが車座になって酒盛りをしていたのです。
なんとも大らかな光景。今のこの時代に同じ事をやったら、いったいどんな騒ぎになるのだろう。しかし、30年前の生徒たちは、特に何を思うでもなく、ちょっとした言葉を交わしたり、あるいは黙ってその脇を通り過ぎていきました。
僕も、別段なんのこともなく、ただ通り抜けるだけのこと、あるいはひとことふたこと何かしゃべったのかもしれませんが、そんな僕を、世界史の山村が呼び止めたのでした。
「世界史の山村」と呼び捨てすることに、他意があるわけではありません。今は知りませんが、当時の都立高校の教師の中には、予備校で教えている人も多くいて、彼もごたぶんに漏れず代々木ゼミナールで教えていて、「代ゼミの世界史の山村」といえば、受験を控える高校生の間ではよく知られた呼び名でした。
僕を背後から呼び止めた「世界史の山村」は、ここへ座れと、彼の左隣に僕を招きいれました。さすがに酒をすすめられたという記憶はありません。しかし、社会科の「河合のばあちゃん」には、「あんた貰いタバコはだめだよ」としょっちゅうご注意を頂いていたし、演劇部の「池尻さん」とは、何度も一緒に飲んでいたし、もしかしたらその時もビールの一杯くらい飲んだのかもしれませんが、どっちにしても記憶にとどめる必要のないほど、酒や煙草について、大らかな時代であったということです。
既にかなり酔っていた「世界史の山村」は、そのとき僕に、こう語ったのでした。
この前のな、生徒会のことだ、あの時、俺はな、お前をぶん殴ってやろうかと思ったんだ。でもなあ、俺は思った。お前は、ああするしかなかった、ああするしか、他にしようがなかったんだ。
「世界史の山村」は、一切僕の見解を聞こうとはしませんでした。ただ左手で僕の肩を抱き、僕の顔を見ることも無く、右手に持ったコップに注がれ揺れて波立つ安酒をただ見つめたまま、何度も何度も同じことを繰り返していたのです。
何故僕は、芝居などという世界で生きていくことにしたのか、いくら考えたって答えが見つかるわけじゃありません。しかし僕は、人様から「何故お芝居を」と聞かれる度に、この日のエピソードを思い出します。
そうして、いつからか僕は、「何故お芝居を」という質問に対して、この時の「世界史の山村」という教師の言葉が、僕を決心させたのだと、もっともらしく答えるようになっていたのです。