10月24日金曜日: 物語の始まりのエピソード
カテゴリ: 沖縄の、こと
昨日書いた過去が、物語の始まりのエピソードなのではない。
昨日書いた過去について、ことさら何かをいうつもりも無い。ただ、あの頃の自分自身の在りようを思い出すのみだ。
元々、埋め草に使うつもりの無かった日のノートを公開したのは、その日何故か書き残すことをしなかったもうひとつの記憶を、鮮明にしたいがためである。
4日前の日記に、思い切って既にお名前を書いてしまったわけだから、いまさら妙な小細工はしない。
あの日、その場所に劇団員が何名くらいいたのか、よく憶えてはいないが、「アイヌ」の文化について説明をしてくださっていた民族学者の姫田忠義氏が、わりと唐突に(と僕は記憶しているのだが)、その中にいた一人の女性を目ざとく見つけて、こう言った。
「そこのあなた、あなた沖縄の人だよねえ」
そして姫田氏は、彼女に苗字や生まれた場所などを聞いた。
「いいねえ、沖縄の人は。僕はね、沖縄の人が大好きなんだ」
細かいやり取りの記憶はないが、ただ俯く彼女の横顔を忘れてはいない。
最後に姫田氏は、十分な親しみを込めて、「ちょっと、色、黒いけどね」と、そう言って笑った。
姫田氏がどうのこうのというつもりは毛頭ない。
貴重な記録映像を目当てに氏の研究所を訪れる方は、当時たくさんいらっしゃったのだろうから、こんな小さな昔のエピソードを、今の氏が憶えていらっしゃるとも思えない。それをここで、ほとんど誰も読みに来ないような「ブログ」とはいうものの、ご紹介してしまったことについては、どうかお許しいただきたいと思う。ただ僕は、沖縄から出てきて間もない若い女性が、皆のいる中で評されて、どんな気持ちで俯いていたのか、それを、誰にというわけでもなく、想像してみて貰いたいと思うのみである。
この時の女性が、今の僕の子供たちの、大切な母親なのである。
昨日書いた過去について、ことさら何かをいうつもりも無い。ただ、あの頃の自分自身の在りようを思い出すのみだ。
元々、埋め草に使うつもりの無かった日のノートを公開したのは、その日何故か書き残すことをしなかったもうひとつの記憶を、鮮明にしたいがためである。
4日前の日記に、思い切って既にお名前を書いてしまったわけだから、いまさら妙な小細工はしない。
あの日、その場所に劇団員が何名くらいいたのか、よく憶えてはいないが、「アイヌ」の文化について説明をしてくださっていた民族学者の姫田忠義氏が、わりと唐突に(と僕は記憶しているのだが)、その中にいた一人の女性を目ざとく見つけて、こう言った。
「そこのあなた、あなた沖縄の人だよねえ」
そして姫田氏は、彼女に苗字や生まれた場所などを聞いた。
「いいねえ、沖縄の人は。僕はね、沖縄の人が大好きなんだ」
細かいやり取りの記憶はないが、ただ俯く彼女の横顔を忘れてはいない。
最後に姫田氏は、十分な親しみを込めて、「ちょっと、色、黒いけどね」と、そう言って笑った。
姫田氏がどうのこうのというつもりは毛頭ない。
貴重な記録映像を目当てに氏の研究所を訪れる方は、当時たくさんいらっしゃったのだろうから、こんな小さな昔のエピソードを、今の氏が憶えていらっしゃるとも思えない。それをここで、ほとんど誰も読みに来ないような「ブログ」とはいうものの、ご紹介してしまったことについては、どうかお許しいただきたいと思う。ただ僕は、沖縄から出てきて間もない若い女性が、皆のいる中で評されて、どんな気持ちで俯いていたのか、それを、誰にというわけでもなく、想像してみて貰いたいと思うのみである。
この時の女性が、今の僕の子供たちの、大切な母親なのである。
10月23日木曜日: 《1985年7月18日のことを記すノート》
カテゴリ: 「アイヌ」のこと
新宿へ。
「アイヌ」の記録フィルムを観に行く。
「人間」と「自然」の「正常な関わり」、フィルムを記録した民族学者が、アイヌ民族の精神を賛美する。
しかし、と僕は感じている。
「アイヌ」の「素晴らしき精神」は、アイヌ固有の信仰と切り離せるものではない。信仰があってこそ、その土台の上に成立するものだ。だが僕は、アイヌと信仰を共有していない。あらゆる信仰から自由でありたいと考える僕にとって、たとえそれがどれほど素晴らしいものであったとしても、「信仰」を前提とする精神を受け入れるとは、はたしてどういう精神の営みなのか。
民族学者は、「民族学者」の眼を通して「アイヌ」を見ている。
僕は、「役者」という虚ろな精神を持って、「アイヌ」を受け入れようとしている。
そういう関わり方を、アイヌの人々は許してくれるのだろうか。
「アイヌ」の記録フィルムを観に行く。
「人間」と「自然」の「正常な関わり」、フィルムを記録した民族学者が、アイヌ民族の精神を賛美する。
しかし、と僕は感じている。
「アイヌ」の「素晴らしき精神」は、アイヌ固有の信仰と切り離せるものではない。信仰があってこそ、その土台の上に成立するものだ。だが僕は、アイヌと信仰を共有していない。あらゆる信仰から自由でありたいと考える僕にとって、たとえそれがどれほど素晴らしいものであったとしても、「信仰」を前提とする精神を受け入れるとは、はたしてどういう精神の営みなのか。
民族学者は、「民族学者」の眼を通して「アイヌ」を見ている。
僕は、「役者」という虚ろな精神を持って、「アイヌ」を受け入れようとしている。
そういう関わり方を、アイヌの人々は許してくれるのだろうか。
10月20日月曜日: 普遍から個性へ
カテゴリ: 「アイヌ」のこと
昨日、11月19日付の朝日新聞。
81年に亡くなった民俗学者、宮本常一氏の記事。
彼の著作のほとんどは、記憶やメモを頼りに書かれたエッセー風なもので、事実誤認も多く、きちんとした研究論文としては使えない、それが学会の評価なのだという。だが、「文献ではさぐりあてられないものがたくさんある」、そう語る宮本常一氏が、歩いて見て聞いて集めた膨大な「情報」、特に10万枚という写真は、今、貴重な「材料」として注目を集めているのだ、という記事。
自戒を込めて。
書斎の中でたどり着いた結論の危うさ。だが一方で、見たり聞いたりした経験は、「読む」よりもはるかに重いので、数少ない偏った経験をもって全体を語ってしまう間違いもままあることだ。論敵から見れば、意図的に都合のよい例だけを持ち出している、ということになる。
守るべきは結論ではない。結論を導き出す元となった材料を、結論から切り離して、今一度見つめ直してみること、加えて、新しい材料にも謙虚であること。頑なになってしまった脳みそにとっては、なかなか困難な仕事に違いないのだが。
この記事の中に、懐かしい名前があった。民族文化映像研究所所長、姫田忠義さんである。氏は、この記事に寄せて、宮本常一さんとの出会いについて書いている。姫田さんのやってこられた数々のすばらしい仕事の原点は、宮本さんとの出会いにあったのだということを、この記事を読んで、初めて知った。
もう20年以上も前のこと。アイヌの芝居を作るにあたって、姫田さんの研究所に伺って見せていただいた熊祭りの映像は、今も鮮明に僕の記憶の中に残っている。
だが、その日のもう一つの記憶が、この「ブログらしきもの」の、ほんとうの物語の始まりなのである。
いくつかのアイヌのエピソードを綴ってからでないと、「沖縄のこと」にたどり着けないと、そのように何度か書いてきた。それは、「材料」をスッ飛ばして、今僕が考えている結論だけを語るのでは、伝えたいことが伝わらない、言い換えれば、「物語」として成立しないということなのだ。ところが、その材料たるエピソードを語るということが、どうもやっかいなのである。
僕は、この「ブログらしきもの」に、よほど著名な方以外については、その素性がわかるようなことを載せるつもりはなかった。しかし、それではいっこうに話を先に進められないという事態に至って、ここのところ腕組みして首を傾げる毎晩だった。
(この記事は10月20日の日付になっているが、実際に公開したのは11月の10日。ずいぶんと躊躇していたものだ。)
1985年の夏、それまで、「精神現象学」だ、「資本論」だ、グロトフスキだと読み耽っていた。その頃の僕は、ナショナリズムの真反対の地点にしか終着駅はないと思い込んでいた。普遍的な人格、それを獲得することの希望と絶望について、ひたすら考えていた。民族などという人間を区別する禍々しき概念を、人類が完全に捨てることになる遠い未来を、僕は夢想していたのである。だから、その頃の僕の「過去のノート」は、昔の夢想家たちという登場人物と、僕自身の身勝手な対話だけで、ほとんど事足りていた。
そんな時、「アイヌ」の芝居をやらなければならなくなった。
「日本」という「普遍を装った民族」に対峙する「アイヌ」という個性の存在は、僕を憂鬱にするに十分だった。
普遍なる人など存在し得ぬならば、否定されるべきは個性ではなく普遍ではないか。
価値あるものとは、普遍などではなく個性ではないのか。
僕は初めて、まともに隣人の顔を見た。
物語の始まりのエピソードは、また後日、嘘っぱちの日付で書く。
81年に亡くなった民俗学者、宮本常一氏の記事。
彼の著作のほとんどは、記憶やメモを頼りに書かれたエッセー風なもので、事実誤認も多く、きちんとした研究論文としては使えない、それが学会の評価なのだという。だが、「文献ではさぐりあてられないものがたくさんある」、そう語る宮本常一氏が、歩いて見て聞いて集めた膨大な「情報」、特に10万枚という写真は、今、貴重な「材料」として注目を集めているのだ、という記事。
自戒を込めて。
書斎の中でたどり着いた結論の危うさ。だが一方で、見たり聞いたりした経験は、「読む」よりもはるかに重いので、数少ない偏った経験をもって全体を語ってしまう間違いもままあることだ。論敵から見れば、意図的に都合のよい例だけを持ち出している、ということになる。
守るべきは結論ではない。結論を導き出す元となった材料を、結論から切り離して、今一度見つめ直してみること、加えて、新しい材料にも謙虚であること。頑なになってしまった脳みそにとっては、なかなか困難な仕事に違いないのだが。
この記事の中に、懐かしい名前があった。民族文化映像研究所所長、姫田忠義さんである。氏は、この記事に寄せて、宮本常一さんとの出会いについて書いている。姫田さんのやってこられた数々のすばらしい仕事の原点は、宮本さんとの出会いにあったのだということを、この記事を読んで、初めて知った。
もう20年以上も前のこと。アイヌの芝居を作るにあたって、姫田さんの研究所に伺って見せていただいた熊祭りの映像は、今も鮮明に僕の記憶の中に残っている。
だが、その日のもう一つの記憶が、この「ブログらしきもの」の、ほんとうの物語の始まりなのである。
いくつかのアイヌのエピソードを綴ってからでないと、「沖縄のこと」にたどり着けないと、そのように何度か書いてきた。それは、「材料」をスッ飛ばして、今僕が考えている結論だけを語るのでは、伝えたいことが伝わらない、言い換えれば、「物語」として成立しないということなのだ。ところが、その材料たるエピソードを語るということが、どうもやっかいなのである。
僕は、この「ブログらしきもの」に、よほど著名な方以外については、その素性がわかるようなことを載せるつもりはなかった。しかし、それではいっこうに話を先に進められないという事態に至って、ここのところ腕組みして首を傾げる毎晩だった。
(この記事は10月20日の日付になっているが、実際に公開したのは11月の10日。ずいぶんと躊躇していたものだ。)
1985年の夏、それまで、「精神現象学」だ、「資本論」だ、グロトフスキだと読み耽っていた。その頃の僕は、ナショナリズムの真反対の地点にしか終着駅はないと思い込んでいた。普遍的な人格、それを獲得することの希望と絶望について、ひたすら考えていた。民族などという人間を区別する禍々しき概念を、人類が完全に捨てることになる遠い未来を、僕は夢想していたのである。だから、その頃の僕の「過去のノート」は、昔の夢想家たちという登場人物と、僕自身の身勝手な対話だけで、ほとんど事足りていた。
そんな時、「アイヌ」の芝居をやらなければならなくなった。
「日本」という「普遍を装った民族」に対峙する「アイヌ」という個性の存在は、僕を憂鬱にするに十分だった。
普遍なる人など存在し得ぬならば、否定されるべきは個性ではなく普遍ではないか。
価値あるものとは、普遍などではなく個性ではないのか。
僕は初めて、まともに隣人の顔を見た。
物語の始まりのエピソードは、また後日、嘘っぱちの日付で書く。
10月16日木曜日: 《1986年12月10日の頭痛日記》
カテゴリ: 《頭痛日記》
「黒い雨」を読んでも、僕は何も感じない。僕はあの〈ヒロシマ〉から限りなく遠い。
そしてきっと「アイヌ」からも……。
そんなふうに確認してしまうことが積み重なっていく。
そして最後に残るものは単調な頭痛。
情報過多、こんな言葉も聞き飽きた。もう何が起こっても誰も驚かない。何を見ても感動しない。いつか人間は想像力を失う。明日、自分の住む町に原爆が落ちるかもしれない、そんな時ですら、人はいつかテレビで見たきのこ雲を思い出すだけだ。想像力がなければ恐怖も生まれない。そして次の日、本当に原爆が落ちてくる。
「黒い雨」の一節。
「僕は或る詩人の詩の句を思い出した。少年のころ雑誌か何かで見た詩ではないかと思う。《おお蛆虫よ、我が友よ……》 もう一つ、こんなのを思い出した。《天よ、裂けよ。地は燃えよ。人は、死ね死ね。何という感激だ、何という壮観だ……》 いまいましい言葉である。蛆虫が我が友だなんて、まるで人蝿が云うようなことを云っている。馬鹿を云うにも程がある。八月六日の午前八時十五分、事実において、天は裂け、地は燃え、人は死んだ。『許せないぞ。何が壮観だ、何が我が友だ』 僕は、はっきり口に出して云った。」
書き写し乍ら、僕は僕自身のひ弱な想像力を刺激し続ける。僕の想像力、肥大せよ、と。
そしてきっと「アイヌ」からも……。
そんなふうに確認してしまうことが積み重なっていく。
そして最後に残るものは単調な頭痛。
情報過多、こんな言葉も聞き飽きた。もう何が起こっても誰も驚かない。何を見ても感動しない。いつか人間は想像力を失う。明日、自分の住む町に原爆が落ちるかもしれない、そんな時ですら、人はいつかテレビで見たきのこ雲を思い出すだけだ。想像力がなければ恐怖も生まれない。そして次の日、本当に原爆が落ちてくる。
「黒い雨」の一節。
「僕は或る詩人の詩の句を思い出した。少年のころ雑誌か何かで見た詩ではないかと思う。《おお蛆虫よ、我が友よ……》 もう一つ、こんなのを思い出した。《天よ、裂けよ。地は燃えよ。人は、死ね死ね。何という感激だ、何という壮観だ……》 いまいましい言葉である。蛆虫が我が友だなんて、まるで人蝿が云うようなことを云っている。馬鹿を云うにも程がある。八月六日の午前八時十五分、事実において、天は裂け、地は燃え、人は死んだ。『許せないぞ。何が壮観だ、何が我が友だ』 僕は、はっきり口に出して云った。」
書き写し乍ら、僕は僕自身のひ弱な想像力を刺激し続ける。僕の想像力、肥大せよ、と。
10月 4日土曜日: 起承転結の「承」の始まり
カテゴリ: 三太郎
【三太郎からの投稿】
《1985年7月13日のノート》を読ませていただきました。今か今かと待っていましたが、ようやくですね。
穴凹からの一歩。なんのことはない、俳優という答えが、足もとに転がっていたことに気がついたということなのでしょうか。灯台下暗し、あんまり遠くを見過ぎていたのかな。
沖縄へ続く道の「アイヌ」という入口。起承転結の「承」の始まり。
今後の展開を楽しみにしています。
【三太郎への返信】
ありがとう。しかし、灯台下暗しなんて簡単なことではなかったのだ。
7月13日の前の半年くらい、僕のノートは膨大な文字で埋め尽くされている。キルケゴールとヘーゲル、そして「資本論」、フッサールから現象学、数多くの戯曲と心理学関係の専門書、果ては大江健三郎の「万延元年のフットボール」までの全著作。それらについて書かれた僕の文章は、諧謔と、不信と、間違った解釈と、自己嫌悪に満ちている。三太郎、君はそのことを知っているはずではないか。
実のところ、それを通り過ぎなければ7月13日にたどり着けなかったし、それ以降だって、僕は揺れ続け、そうして最後には相対性理論からエントロピーまで持ち出すことになる。そしてやはり僕は、そのことも合わせて伝えなければ、僕の「沖縄」を理解してもらうことは不可能だという気がしているのだ。残念ながら君の期待に反して、僕はまだまだ躓くことになりそうだ。
【三太郎の罵詈雑言】
せっかく貴方のことを考えて協力して差し上げたつもりなのに、貴方はまた余計なことを書いて混ぜっ返す。なんで「ありがとう、これからもよろしくね」ってなこと言って、後はうっちゃっておくくらいの裁量を持っていらっしゃらないのでしょうか。貴方は沖縄をどこへ持っていこうとされているのか。貴方の妄想で作られた貴方だけの沖縄を押し付けられては不愉快です。もはや貴方の言葉を聞いてくれた好意的な人たちの誰もが、きっと口を閉ざすでしょう。やがて誰もが耳を塞ぐでしょう。そして貴方の声は、このわたくしにしか届かなくなるのです。
しかし、わたくしは貴方様が孤独になることを許しはしません。御安心なさい。あなたが黄泉の国へ召されるまで、わたくしの憎しみの目は貴方様の震える指先を捉え続け、またわたくしの悲しみの耳は、貴方様の苦悶の呼吸を響かせ続けることでしょう。
【呟き】
三太郎よ。
この僕に、今のこの時の僕自身を語る以外に、いったいどんな術があるというのか。全ての人について、人は自分以外について語ることなどできないと、君は思わないのか。
【三太郎の無言の呟き】
わたくしは、貴方です。
《1985年7月13日のノート》を読ませていただきました。今か今かと待っていましたが、ようやくですね。
穴凹からの一歩。なんのことはない、俳優という答えが、足もとに転がっていたことに気がついたということなのでしょうか。灯台下暗し、あんまり遠くを見過ぎていたのかな。
沖縄へ続く道の「アイヌ」という入口。起承転結の「承」の始まり。
今後の展開を楽しみにしています。
【三太郎への返信】
ありがとう。しかし、灯台下暗しなんて簡単なことではなかったのだ。
7月13日の前の半年くらい、僕のノートは膨大な文字で埋め尽くされている。キルケゴールとヘーゲル、そして「資本論」、フッサールから現象学、数多くの戯曲と心理学関係の専門書、果ては大江健三郎の「万延元年のフットボール」までの全著作。それらについて書かれた僕の文章は、諧謔と、不信と、間違った解釈と、自己嫌悪に満ちている。三太郎、君はそのことを知っているはずではないか。
実のところ、それを通り過ぎなければ7月13日にたどり着けなかったし、それ以降だって、僕は揺れ続け、そうして最後には相対性理論からエントロピーまで持ち出すことになる。そしてやはり僕は、そのことも合わせて伝えなければ、僕の「沖縄」を理解してもらうことは不可能だという気がしているのだ。残念ながら君の期待に反して、僕はまだまだ躓くことになりそうだ。
【三太郎の罵詈雑言】
せっかく貴方のことを考えて協力して差し上げたつもりなのに、貴方はまた余計なことを書いて混ぜっ返す。なんで「ありがとう、これからもよろしくね」ってなこと言って、後はうっちゃっておくくらいの裁量を持っていらっしゃらないのでしょうか。貴方は沖縄をどこへ持っていこうとされているのか。貴方の妄想で作られた貴方だけの沖縄を押し付けられては不愉快です。もはや貴方の言葉を聞いてくれた好意的な人たちの誰もが、きっと口を閉ざすでしょう。やがて誰もが耳を塞ぐでしょう。そして貴方の声は、このわたくしにしか届かなくなるのです。
しかし、わたくしは貴方様が孤独になることを許しはしません。御安心なさい。あなたが黄泉の国へ召されるまで、わたくしの憎しみの目は貴方様の震える指先を捉え続け、またわたくしの悲しみの耳は、貴方様の苦悶の呼吸を響かせ続けることでしょう。
【呟き】
三太郎よ。
この僕に、今のこの時の僕自身を語る以外に、いったいどんな術があるというのか。全ての人について、人は自分以外について語ることなどできないと、君は思わないのか。
【三太郎の無言の呟き】
わたくしは、貴方です。