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10月 3日金曜日: 《1985年7月13日のノート》

カテゴリ: 《過去のノート》
アイヌとなって舞台に立つ。
アイヌの精神を受け入れること。そのために、まず自分を空にすること。グロトフスキの方法。自己開示。どうすればではなく、なにをしてはいけないのか、それを確認した後でアイヌの精神を受け入れること。

自己を統一することができないのなら、統一しようとしている自己を捨ててしまうことだ。自己を空にする。自己が空になってしまえば、自己統一などに拘る必要はなくなる。統一すべき厄介なものなど、どこにもないのだから。ただ「自己」という入れ物が、目の前に、たった一個ポツネンと転がっているだけだ。
そんなことが可能なのかどうか、不可能に決まっているのだが、敢えてそう考えてみることによって、一つの視野が開かれる。可能性を信じることが出来る。

例えば、W・ジェイムズの「プラグマティズム」。「徳」「人本主義」「信ずる意志」「われわれ」「信頼」といった言葉が、楽観的に過ぎてなんとも無力だと思うのだが、しかし心情的には殆ど同意している。その程度のところで収めておかないと、間近に迫ったアイヌを演じるという課題に対処ができない。

「統一性」と規定するから「多様性」と対立する。「統一性」を「全体性」として捉え直す。〈統一された自己〉を〈全体としての自己〉と言い換えてみる。

「空っぽ」にした自己にまず「アイヌ」と「役者の客観的な目」を放り込んで「全体性」を獲得する。そう考えてみると、役者として当たり前にやってきたことではないか。
問題は論理的な厳密性。
しかし僕は、しばらく、それを放棄する。「アイヌ」という重い現実だけを見る。



カテゴリ: 《過去のノート》
「アイヌ女がシャモ男を寄せつけて、色目をつかうようになった日から、アイヌの滅亡は始まったわけですわ。どんな人種だって、女たちの美の標準が大切なんですよ。女たちがもしも、ウタリ以外の異人の男に美の標準を置くようになったら、それでおしまいなんだよ」
「『刺青!』と雪子は身ぶるいした。とがらせた石や貝殻の破片、骨や金属の針で傷をつけられ、藍色の染料をしみこまされる痛みも、想像された。だが、彼女を身ぶるいさせたのは、そのことではなかった。また、女を盗られないようにするため、女の意思におかまいなしに、女の顔に自分たちの徽章をつける、部落の男たちのエゴイズムが、おそろしいからでもなかった。唇のまわりを青い刺青で縁どられてしまったら、その日から、まるで別の女になる。もはや彼女を愛してくれるのは、刺青の女を美しいと感じる男たちだけだ。そう決められてしまうことが、何より恐ろしいにちがいない。」
(「森と湖のまつり」武田泰淳)

「男と女はなーんも、一緒に寝なけりゃいけんというもんでねぇ。仲よぐ、兄妹のようにしていてもええだ、躰の関係さもてば、一時は楽しいが、肉と肉がさわいで、よろこぶだけのことだ。心は空しい。おりんちゃん、おめは、おらの妹だべ。」
 (はなれ瞽女のおりん、うれし泣きする)

僕は「文化」という話題でお茶を濁す。

失われていく日本の文化を守ろうと、たいへんなことをあなたは言う。だがあなたに見えている文化とは、その皮相な表面だけではないのか。
前近代的な苦しさなど存在しなくても、瞽女の文化はしっかりと残せるらしい。教養主義的に御座敷芸を批評していると文化人になれる。例えば長屋というものは、長屋然とノスタルジックに装飾されていなければならないらしい。昔の長屋の心は、むしろ安い公団住宅の方にあるのかもしれないのだが。
最後の瞽女唄の継承者に瞽女の心がある。なるほど、へその中で茶が煮え立っている。

失礼つかまつった。要するに茶化しているのだ。皮相な表面をなぞっているのはこの僕の方なのである。なにしろかく言うこの僕は、かつて“芦晃”などという大層な名を大先生から頂戴したりした事があるのだし、それについて、末は間違いなく文化勲章だ、なにしろ後継者が少ないのだから、などという言葉を、黙って聞いていた事もあるくらいなのだから、つまり僕こそがでまかせを語っているのである。

水上勉を、たんなるきっかけにして言葉の遊びを転がしているに過ぎない。だから、決して真意を勘繰ってはならない。

「お堂の仏さまより美しいぞえ」
「おらどが、仏さんだなんて……兄さま、おら、兄さまの妹だ、妹だ」
(と、おりんは泣く、妹であることが悲しいといって泣くのである。)



カテゴリ: 沖縄の、こと
沖縄に着いた日のこと。

空港から、そのまま沖縄タイムスへ出来上がったCDを届けに行った。
受付の山田さんに、大丈夫でしたか?と言われて、夕刊の早刷りを見せられた。
「自衛隊機がパンク」
それで急遽嘉手納に着陸した民間航空機もあったという。
「なるほど、それで着陸してからあんなに待たされたのか」

琉球新報へ。
たっぷりと話は聞いてくれた。思いは伝わった。
「500枚売れれば次に繋がるのです。」
後は記事にしてくれるのかどうか…
「沖縄タイムスにもお願いしているのですが…」
「大丈夫ですよ…」
仲良くしてくれよ、と願う。

たくさんの沖縄の顔。
一筋縄ではいかない。覚悟はしている。

「アイヌ」とは人間という意味。
「シサム」は本来「隣人」という意味。
だが転じて「シャモ」となった時、その言葉には憎しみの相貌が帯びる。
他者と出会うということの意味。

沖縄も同じこと。
沖縄の人々は、どのように他者である「大和」と出会ってきたのか。

大城立裕氏の他者との関わり方を疑問に思う人たち。
作家・大城立裕に今さら光を当てようとする僕の企ては、もしかすると不幸の始まりなのだろうか。
ならば僕の企てなど、成功しないほうがよい。

萱野茂さんを思い出す。
萱野茂さんが開いた二風谷の民族資料館を批判する多くのアイヌ同胞たち。
アイヌを見世物にして、まるでアイヌの代表のような顔をして、だからおれは、そんな萱野茂のいる二風谷が大嫌いだといって故郷を捨て、遥か遠くの沖縄を放浪していたあのゲンちゃんは、今どこでどうしているのだろう。会いたい。ムショウにゲンちゃんに会いたい。

ゲンちゃんのことを記した過去のノートを前にして、僕はその扱いに困って沈黙している。

だが…
国会の質問がアイヌ語でなされるなどということを、いったい誰が予想できただろうか。萱野茂という人物がいなければ、間違いなく実現はしなかっただろう。
萱野氏のように振舞う者がいなければ、シサムがこのようにアイヌと出会うことはなかったということも事実なのだ。その出会い方に異を唱えるものがいるのだとしても。それが僕の大好きなゲンちゃんだとしても。

大城立裕という歴史的人物が今は亡きアイヌ萱野茂と重なる。

「カクテル・パーティー」の主人公「私=お前」は、ウチナンチュでありながらウチナーグチをしゃべることはない。そういう作品だからこそ中央の文壇に認められたのだとしたら、というか、そういう作品でなければ認められなかったとするならば、それは余りにつらいことだ。
「カクテル・パーティー」という作品が、沖縄の作家の作品として、最初に芥川賞を取ってしまったということ、それは沖縄にとって、実は不幸なことだったのかもしれないとも思ってしまうのだ。

だが、たとえそうだとしても、それは「カクテル・パーティー」の文学的価値を傷つけるものではない。断固として。


9月 7日日曜日: 「アイヌ」のこと

カテゴリ: 書斎で書くこと
何の気なしにテレビをつけたら、大滝修治さんの顔が大写しになった。ドラマの中で延々と演説をしている。北海道の地方局が制作したドラマらしい。

かつて僕は、今は亡き演出家の加藤新吉さんに、声のよさを褒められたことがある。それがとても嫌だった。その新吉さんから、誰か他の俳優で、君がこの人はいい声だと思うような役者はいるかと問われて、僕はあえて悪声の大滝修治さんの名を挙げた。新吉さんは、屈折したやつだとでも言いたげに、皮肉っぽいうすら笑いを浮かべた。

そういえばこんなことを言われたこともあった。君は花を見て素直に美しいと思ったことがあるかと。僕は記憶にないと答えた。

車の免許を取ることにした。すると新吉さんは、役者が車の免許なんか取っちゃだめだと言った。なぜという僕の問いに、タクシーの運転手になっちゃうよとの答え。タクシーの運転手がいけないというのではない。役者を目指す者が、潰しのきく資格なんか持ったら、あっという間に役者なんか辞めちまうだろう、自分を逃げ場のないところに追い込まなければ、いっぱしの役者なんかには到底なれるものではないという苦言であった。

何年か経って、僕が悶々と穴ぼこに落ち込んでいたころ、久々に会った新吉さんに、どうやら僕は天才ではないらしいということに気が付きましたと、半ば冗談で言ったら、やっと気がついたの、よかったね、と真顔で言われた。

そんなことをつらつらと思い出しながらテレビの画面を眺めていたら、最後に流れていくテロップの中に、知った人の名前を見つけた。かつて一緒に芝居をしていた女優さんの名前。彼女は旦那さんの転勤で故郷の北海道に帰っていったのだが、しばらくして彼女から、アイヌの芝居をやりたいから脚本を書いてくれないかという長文の手紙が届いた。しかし結局、僕は彼女の期待に答えることができなかった。

アイヌのことは、確かに考え続けていた。そんな僕を彼女は知っていたから、それで頼んだのであろう。でっち上げようと思えばでっちあげるだけのネタは持っていた。だがネタが増えれば増えるほど、書くことが困難になった。あれほど考えていたアイヌのことなのに、僕の過去のノートのどこを探しても、まともにアイヌについて書いた文章は見つからない。
今日のこの文章だって、新吉さんのどうでもいい話しあたりから始めないと、アイヌまで辿り着くことができないのだから情けない。

実は白状すると、沖縄のことはなおさらで、まずはアイヌのことから語らないと、とてもじゃないが沖縄のことなど語れないと僕は思っているらしいのである。
ああ、こういう言い方がまずい。まず「アイヌのこと」という言い方がどうなんだろう。しかし、殊更気を使って「アイヌの人たちのこと」と言い換えてみても、それはそれでしっくりこないのだ。「アイヌの人たち」という配慮を考えなければならないというそのことが、何か違うのである。あるいはまた、決して「アイヌのこと」が「沖縄のこと」より簡単なわけではないし、また「アイヌのこと」と「沖縄のこと」は、同列に並べられるようなものでもないはずだ。
それにしても僕は、いくつかの「アイヌ」に関わるエピソードを語ってからでなくては、やっぱり先に進めないような気がして仕方がないのである。

僕は、インターネットという世界に向けては、思想的な立場での発言は一切しないと決めてみたのだが、たぶん具体的なことに触れるようになれば、そうもいかなくなるに違いない。だから、なんとも憂鬱なのである。

まずひとつ。

ちょっと前のこと。東京都の某知事が某「東京なんたらテレビ」で語っていたこと。「日本人の原点は縄文人で、それは北のアイヌと南の沖縄に受け継がれていて、つまりアイヌと沖縄は全く同じなんですよ」云々。そういう考え方がないわけではないが、しかし今は、アイヌと沖縄とは違うルーツを持つというのがかなり有力な説であって、けれども私はこう考えるというのならまだしも、まるで答えはひとつだみたいな断定をするのは、勉強不足のせいなのか、あるいは確信犯なのか、いずれにしろこういう人が人気があるって、そんなことでいいのだろうかと、ひどく悲しくなった、というエピソード。

今日はもうこれ以上何も言わないことに決めたのだ。



9月 6日土曜日: 《1988年6月1日のノート》

カテゴリ: 《過去のノート》
いけないと思いつつ、アイヌの事、途切れている。沖縄の事、途切れようがないのに、それも途切れている。途切れたってどうってことないものも全部途切れている。それから「小林秀雄」も途切れている。「大江健三郎」、無念にも途切れている。こんなにもいろんな課題が途切れちまったのは、ずうっと抱え込んでいる「資本論」のせいだ。「資本論」に係ってから、87年がとっくに88年になった。その間に結婚して劇団も辞めた。
なるほど、ズタズタなのは意識ではなかった。というより、何というか、物理的に、というか、どう言おうとどうでもいいけれど、実際の、現実のズタズタが、この意識をもズタズタにした、そういうことなのかもしれない。
ズタズタな世界を、ヘーゲルは「意識」でもって繋ぎ合わせて見せたけれど、マルクスにしてみれば、ちっともズタズタでないヘーゲルのその「意識」とやらが気に喰わなくて、そこでマルクスは、今度は〈赤い〉糸で世界を繋いでみた。そうして出来た「資本論」も、僕のこのズタズタを繋いではくれない。ヘーゲルにしろマルクスにしろ、どうも糸が太すぎるのだ。生身の人間の肉体に、スッと入り込んでこられる糸は、きっともっとずっと細くなければいけないのだ。赤いのか黒いのか、色など見分けられぬほどの細い糸。肉体に入ってこないこの「資本論」は、どういうわけか空気のようだ。そういえば、何もかもが空気のようだ。遠い昔の空気のようだ。最高裁の相変わらずの逆転判決、レーガン・ゴルバチョフの核軍縮の調印、それらは今日の事なのに、今日のニュースも、やっぱり遠い昔の空気のようだ。


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