過去の投稿

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カテゴリ: 《過去のノート》
さて、何を書こう…
「陰陽の和する所」。花伝書の一節。
起承転結か、序破急か、単なる作劇法なら面白くもなんともないが、2か3かという比較は、妙に創造力を刺激する。
ただ、それだけのこと。

何を書くのだ、何でもいい…
観客によって舞台が変わる。それはそうだが、観客に変えられたとは思わない。主体はいつもこちら側にある。しかし、どこかの誰かのように、「きっちり提示すること、それしかない」などという気もない。観客によって変わることを僕は100%受け入れる。というより、観客によって変わるという状況は、成功の絶対条件でさえある。ただ、事件の首謀者は、いつだってこちらなのだと言いたいだけだ。
「きっちり提示すること」、一見誠実なようだが、極めて自己中心的なのだ。彼にはダイナミズムが見えていない。うごめく影のような、予想だにしない何かを受け入れることを、彼はきっと恐れている。あえて言えば、「きっちり提示すること」は、自己中心的なコミュニケーションに陥っていく。
だが、これには補足説明が必要だ。「自己中心的ではない」とは、「わかりやすい」ということでは決してない。重要なのは、楽しめるか否かだ。どんなにわかりやすくとも、おもしろくなければ無価値である。小此木啓吾がどこかに書いていた。「自己中心的コミュニケーション」の人間の話は「おもしろくない」。
ならばおもしろければそれでいいのか。わかりやすいがおもしろくないはなしよりはよっぽどましだろう。ということは、わかりやすくておもしろいのが一番いいのか? ところが、そんなもの、ちっともおもしろくないのである。
きっと、ここのことが、彼には根本的に分かっていない。観客が、役者が、人が変わるということの本当の意味を、彼は理解していないのだ。
「本来より、よき、あしきとは、何をもて定むべきや。ただ時によりて、用足る物をばよき物とし、用足らぬをあしき物とす」。用足ることの意味を、馬鹿にしてはいけない。
「花」とは、実に深く、才能のない役者には絶望的な概念である。

興味のないことを書き綴っている…
大江健三郎の「性」、乾ききった自己中心的な妄想。「性」と「政治」、単純な図式。しかし悪文の「おかげ」なのか、こねくりまわされた大江の文章は極めて難解。だが僕は、それを麻薬のように読み続ける。何故か。自らが変わる可能性の萌芽を感じるから。
池田万寿夫の「性」は、なんともつまらない。
根本的な対立の上に成り立つ同化なのか、根本的な同化の上に成り立つ対立なのか、本来「性」とは、同化と対立の混合物なのである。出産が、一つの「死」と一つの「生」の合体であるように。

書くことがない。無理にひねくりだす想念が無価値であることは分かりすぎるほど分かっている…
「ありのままの自分と抵抗なしにあらわれてくる作品などに価値を見出す勇気はない。そういうものは人間の肉体や無意識同様、いとわしく汚ならしいものにちがいない。すくなくとも他者の精神の検討にあたいしない。」

「人間の条件」を読み始めた。
カントが、キリスト教に対して楽観的であったように、マルローもマルキシズムを必然としてその周りを巡るのか、あるいはキルケゴールが絶望的にキリスト教を選び取ったように、マルローはマルキシズムへと収束していくのか。

何も書かずに、今日を終える。(平賀23:00)

なぜ、アイヌのことを書こうとしない!

カテゴリ: 《過去のノート》
強者には、弱者の苦難は絶対に分からない。弱者に強者の苦しみが分からぬように。
誰もが、弱者であったことがある。だが、人は自分が弱者であったことは憶えていても、そのときの苦しさを忘れ去る。誰にも、弱者となる時がある。人は、そのことを知っているくせに、忘れたフリをして生きている。

かつての苦しさの記憶を忘却し、やがて訪れる苦しさに対する創造力を捨てることが、弱者が強者になるための唯一の道なのだ。
弱者は、強者によって殺される。強者になって、弱者を殺し続けながら生きていく苦しさに耐えられない者は、弱者であるより他に生き様はない。

はたして、この絶望的な苦しさを抱えながら、弱者の棲家から強者の領域へ移り住むことは可能なのだろうか。
善悪の問題ではない。孤独に生まれ孤独に死んでゆくそのわずかな隙間に表出する、時間という名の、神には理解不能な概念についての考察である。

カテゴリ: 《過去のノート》
「筧の話」…
「何という錯誤だろう!私は物体が二つに見える酔っ払いのように、同じ現実から二つの表象を見なければならなかったのだ。しかもその一方は理想の光に輝かされ、もう一方は暗黒の欲望を背負っていた。そしてそれらは私がはっきりと見ようとする途端一つに重なって、またもとの退屈な現実に帰ってしまうのだった。」
「課せられているのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なっている。」

安吾はドストエフスキーを「甘い」と言った。
基次郎の声を聞け!
問題は、「甘さ」ではなく、「深さ」である。
断固、反省などしない。

カテゴリ: 《過去のノート》
坂口安吾「堕落論」。
「特攻隊の勇士はただ幻影であるにすぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないのか。」
「人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。」
「他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。」

安吾は、何のために堕ちようとしているのか。既存の幻想を蔑み、新たな幻想の構築のためにか。
阿呆らしい。

今から単純なことを言う。単純なことを言わせるのは安吾の所為だ。
問題は、社会的幻想と個人の幻想の混同。個人の幻想は許そう。だが、自分の信じていたものが所詮幻想でしかないと気づいてしまった個人は、いったいどうするのか。彼らは安吾ではない。安吾の堕落は予定調和だ。自分自身の幻想をあみ出せというのはいい。だが、それが何故武士道やら天皇やらなのか、丹精な和服を着込んで、堕落しようとする安吾に反吐が出る。

自分の信じていたものが所詮幻想でしかないと気づいてしまった個人とは、信じることが幻想以外にはあり得ないということを知ってしまった人間である。彼らは、安吾のように自分を許すことはしない。

しかし、結局個人の問題か。人のことなど知ったことではないということか。ひとりの青年が生活不能者になったとしても、他人は誰も見向きもしない。
不能者は、堕落から復活した安吾たちに喰ってかかる。
「お前の天皇は、幻想に過ぎない」
虚しい遠吠え、社会の迷惑、殴られても文句は言えない。

もう一つ。
人は、「信念=幻想」を持って人を殴る。そういう人間を罰する基準は何なのか。それには、社会的幻想が必要なのである。

そして、僕が罪を犯さないでいる理由。出所のわからない、背後からの視線。たとえそれと同じものを、他人が「倫理」だとか「良心」だとか呼んでいるものだとしても。

4月15日水曜日: ビジネスではなく…

カテゴリ: 社長のつぶやき
何かのために、などとはいいたくない。非営利とか、寄付とか、だからNPOとか、何故だかとても嫌悪感がある。
青年海外なんとか隊というやつもそうだ。大体、政府が関わっているというのが気に喰わない。

その国のためになるのかならないのか、そんなこと、遠く離れた日本にいてわかる訳がない。自分の稼いだ金でその国に渡って、自分の稼いだ金で生活して、しかしそこまでしても、きっと功罪など判るものではない。
自分の食い扶持だけでさえ稼げない人たちがたくさんいる日本から、最低限とはいえ住む場所と食べるだけの金を貰って行くボランティアとは、いったいどういうものなのだろうか。

会社のブログらしきものには、だからビジネスにしなければならぬと書いてみたのだ。しかし、能天気にそう思っているわけでもない。といって、繰り返すが、決して何かのためになどとは、口が裂けても言わない。

僕は、極めて個人的な、得体の知れぬ何者かによって突き動かされていると感じる。僕は、その告白の序章を、ここにこうして書くことによって、何とか免罪符を手に入れようとしている。

基準は、形而上学である。
神との、ビジネスである。


カテゴリ: 《過去のノート》
愛とは、言葉なのか、否か。
神とは、言葉なのか、否か。

生活している男を、信じるのか、否か。

僕は、古きハムレットではなく
太宰の発明した新しきハムレットであるのか、否か。

カテゴリ: 《過去のノート》
トーンが落ちてきている、それが気になるんだと、音楽好きの誰かが言った。
僕もそれには賛成なんだ。

カテゴリ: 《過去のノート》
2日
延岡。朝六時、まだ暗い。根を下ろした寂しさ。絶望なんてものではなく。
(1985/2/2)

4日
愛し続ける事の出来る人は幸せである。
「心から頭を垂れるよ。心の中で、決して君には気づかれないように。」



カテゴリ: 《過去のノート》
パスカル「私だって人々の幸福は望んでいます。」
キリスト「いいや、お前は人々の忍従を望んでいるのだ。」
パスカル「忍従の中にこそ幸福はあるのです。」

「人間や神の法則が禁じていることを、自然の法則は許しているのだ」
美しい《夜》 ジュネも、ランボーも、ジッドも、みんなフランス人であった。

パウロ…
「われ曾て律法なくして生きたけれど、誡命きたりし時に罪は生き、我は死にたり」
                                  
ジッドの弁証法…
プロテスタント→カトリック→自殺
だが、ジッドは生きたということ。

特に、意味無く。
ただ、俺は何を望んでいるのか。

4月 7日火曜日: 路傍の石の僻み

カテゴリ: 沖縄の、こと
一週間ぐらい前、mixiという場所の、4000人を越える「うちなーぐち」関連のコミュニティーで、こんな質問をしてみた。

「扇」はうちなーぐちで「おーじ」、「王子」は「をーじ」。
なぜ「うーじ」ではないのでしょう。どなたか教えてください。

コミュニティーでは、軽い質問とその答えが、軽やかにポンポンやり取りされているのだが、僕の質問だけは、まるで路傍の石のごとくに見捨てられ、ポツ然と置き去りにされたまま、埋もれていったのである。

しかたなく(ほんとうは予測通り、期待した通りと言ってもよい)自分で調べた。結果は、ここでは教えてあげない。

東西問題でもなく、南北問題でもなく、全く別の断絶が、密かに、絶望的に進行しているのではないか。杞憂ならばよいのだが。

相手にされなかった僻み?
そう感じたあなた、あなたが危ない。

mixiの実験は、ボチボチ畳むか。


4月 4日土曜日: オボツ・カグラのこと

カテゴリ: 沖縄の、こと
言葉というようなものを考えていると、やはりこの僕もがんじがらめなのであって、どうしようもなく逃れがたく、宇宙人になりたいなどという叫びは、途方も無く虚しい戯言だと思わされる。

人がより現実的であればあるほど、リアルに現状を語れる人であればあるほど、得体の知れない宇宙人と交わす言葉など持ち合わせてはいない。結局、孤独で哀しき宇宙人は、誰かと話すために、いたしかたなく仮面を被る。言葉だとか文化だとか、そういうことどもについて語り合おうとすれば、いったい僕はどんな仮面を用意しなければならないのか、答えは判然としている。どんなに嫌悪していようとも、僕が使える言葉は「日本語」でしかあり得ないのだし、ましてや日本以外に住んだこともないわけで、僕の目の前には、「日本人」とか、「大和民族」とかいった仮面しか準備されていないのである。せめて「江戸っ子」くらいの仮面はないものかときょろきょろしてみるが、世田谷あたりで生まれた田舎もんのくせしやがって、大概にしやがれと笑われる。

かつて自分を宇宙人であると信じて疑わず、まるで神のごとく地上の沖縄と大和の争いを眺めていたころに、せっせとノートに書き写していたもののうち、極々一部を、ここに転記してみる。
(しばらくは新たな埋め草として、この手も使って、はやく現実に追いつこうと思っている。二週間遅れぐらいが、きっとちょうどいい。)

オボツ・カグラのことばかり…

「我々が天神地祗の名をもって神々を総称するところを、沖縄の方では天神海神と呼んでいる。或いはまたオボツカグラの君真物(キンマモン)が天神であるに対して、儀来河内すなわちニライカナイの君真物を海神だというのも、しばしば引用される箇条であった」
「オボツカグラの天中心思想はおくれて入ってきて、ニルヤカナヤの信仰を押除けるに足らなかった」
「天を根源とすることは言わば理論であって、道路もなく方角も定かならず、まぼろしの拠りどころというものが無い」
(「海神宮考」柳田国男)

「地方民間に伝承されていたウムイが、中央的に再生産されたものがオモロである。
ウムイを母胎にして中央的に変容していったものがオモロである。
中央首里王府の権力がいろんな側面から強化されていくにつれ、宗教的支配機構の中にくみこまれた神唄も、中央的な権威づけを必要としてオモロと特称されたのであろう。ウムイ(umui)という呼び方が沖縄的であるのに比べ、おもろ(omoro)という表記法や発音が大和的であるということや、ウムイの謡い方が沖縄固有の謡い方であるらしいのに比べ、オモロの謡い方には仏教声明風のものがつけ加えられ、ある種の文化的匂いと特権意識をともなっていることなどから、そのことを推測することができる」
「ウムイにまつわる神々が、ニライカナイ(海の彼方の楽土)からやってくる、いわゆる水平神的性格を持っているのに比べ、オモロの神々はオボツカグラ(天上世界)から降臨する垂直神的性格を持っているということである。(中略)オモロと連れ立つ形での垂直信仰が首里王府を中心の地で強調されているのに比べ、ウムイと連れ立つ水平的信仰は、僻遠の島々村々に伝承されている普遍的な神観念であり、しかもそのほうの神観念こそが、南島におけるもっとも古い型の神観念であろうということである。
(「南島歌謡の系譜」外間守善)

「日本の創世神話と沖縄の創世神話とをかさねあわして見るとき、どのようなちがいがあらわれるのか? それは、沖縄に、日神崇拝、国王の日子思想というものが確立されて、地上の権力である国王と天上をむすぶ垂直構造ができあがりながら、しかもそれは、より古い型の信仰である、ニライ・カナイの神々を拒否しなかった、という一点にあるであろうと思います。外間氏によれば、ニライ・カナイという水平軸の向うにあるところから、海の向うからやってくるセヂ(霊力)は、天上から降りてくるセヂより有力だとする考え方も、なお「残照」していたというのです。
(中略)
われわれの絶対天皇制的世界観には、それに矛盾せずに入ってくる、あるいは、それよりも強くありさえする水平構造は共存しません。
(中略)
天皇制体系に、それより強力なセヂをおくってくる横の軸の、水平線上のニライ・カナイなどはなかった。横の方向、海の向うの国? それは侵略征服する対象でしかありませんでした」
(「言葉によって」大江健三郎)

「(前略)現在、この語(オボツ・カグラ)は沖縄から消えているが、奄美では生きており、<オボツ山>と呼ばれる御嶽が散見される。オボツ山は山上にあるものと、村内平地にあるものに二分される。(中略)これらにおいては、海のかなたのニライ・カナイから水平的に飛来滞留して村を訪れ、船で帰っていくと考えられている。(中略)『中山世鑑』には<ヲボツカグラノ神ト申スハ、天神也>、また『混効験集』には<天上のことをいふ>とあって、従来からオボツ・カグラとは<天上の神の居所>と理解されているが、奄美の例からして、必ずしも<天上>とは限定できず、たんに<神の居所>と解釈した方がよいよ思われる」
(『沖縄大百科事典』「オボツ・カグラ」仲松弥秀)




カテゴリ: 《過去のノート》
1989年の1月7日の24時、というより、8日の午前零時、たった今「平成」となった。
さて、まだ書いていない年賀状、それに印す年号をどうするか、もう平成になってしまったが、でも今年の正月は、まだ「昭和」だったのだ。今年は年賀状諦めよう。松の内もあけてしまったし、だいたい天皇が死んで「おめでとう」なんて不謹慎だろう……

なんてね。大嘘。
今まで年賀状に書く年号はいつも西暦だった。「昭和」なんて一度も書いたことなどない。平成云々は年賀状を書かない怠惰の言い訳。ただ書くのが面倒なだけ。