1994年の春、病院をどうにか退院した僕は 生きているうちに〈何か〉を残しておきたいと切実に思いました。そうして、書庫の一番奥の本棚から黄ばんだ古い大学ノートを引っぱり出し、そこに書きなぐられてある一字一字を、遺書をしたためるかのようにワープロで打ち始めました。その時、その冒頭に「前書き」を付け足してみました。〈子供たちへの手紙、そのプロローグ〉という表題をつけて。まず、それを公開してみます。

《子供たちへの手紙、そのプロローグ》
2月3日、昼過ぎ、尿に血のようなものが混ざる。翌4日の深夜、明らかにそれと分かる赤い尿、加えて左脇腹に激痛、朝を待って病院へ。問診による医者の判断は腎臓結石、血尿も激痛も、すべてが結石の典型的な症状だという。だが、レントゲンでは結石は発見できず。石がレントゲンに写らないということはそれほど珍しいことではないらしいが、念のために超音波の検査を受けることになる。
結局、石は存在せず。だが、痛んでいたのとは反対の右の腎臓に、予期せぬ影が見つかる。
予備検査を重ね、3月10日に入院、16日右腎臓全摘出手術。組織検査の結果、確定した僕の病名は「腎細胞癌」。
3月の末日に退院。
94年度出演者の顔合わせが4月4日、その日だけは何とか出席して、その後しばらく自宅で休養を摂り、12日から遅れて僕は稽古に参加した。
舞台の初日は、一週間後の4月27日に決まった。前日の26日がゲネプロ、だがその日、転移再発の有無を調べるため、手術後最初のCT検査が午前中にある。ゲネプロの開始は、病院から僕が到着してということになっている。
準備をして待っていてくれるだろうみんなには申し訳ないが、僕にとって、その日はゲネプロの日ではない。今の僕にとっては、ただ検査という日でしかない。その日が、近づいてくる。僕はそれから逃れるように、古いノートをワープロで打ち始めた。そうして、かつての自分を、あたかも他人のように眺めている。その間だけ、僕は「死」に捉われている今の自分を忘れている。
(1994/4/20)

〈忘我〉の効用、例えば写経の効用とはこうしたものなのかと思った。だがそうじゃない、そんな上等なものじゃないのだ。僕の前にあるのは、経文ではない。それは、たとえどんなに見知らぬもののようでも、紛れもなくあの頃の自分が書き残した言葉なのだ。だから、心を〈空〉にするような静謐な状態とは正反対、〈忘我〉どころか、僕の呆けた頭には、過去のたくさんの自分が入り込んできて、そして頭蓋骨の裏を這いずり回っている。しかしそうだからこそ、そんな過去の死んだ自分たちの群れに埋没することによって、僕は現在の自分をすっかり忘れていられるのだ。
疲れる。今の自分には今の自分を語る力がない。もう止そう。力があろうがなかろうが、今の自分を語ることに、もうこれ以上の何の興味もない。
(1994/4/22)

あたかも、死装束をきちんと整えるかのように。しかし、目の前に開かられているこのノートは、はたして日記なのだろうか。何処へ行ったとか、何をしたとか、そういう日記らしい記述が、このノートには殆んど無い。
日がな一日ギターを弾いていた。芝居の旅へもギターを担いでいった。旅先の宿での酔態の宴、よろけた酔っぱらいに踏みつけられて、ネックが折れた。おかげでやることが無くなって、書く事を思い付いた。日記を書き始めたわけではない。ところがいつからか、何でもいいから毎日書こうと思うようになって、やがてそれが妙な強迫観念にもなってきて、そのうち僕は、このノートを自ら日記と呼ぶようになった。だが、やはりこれは日記ではない。日付を打って、そして毎日のように書いてはいるが、やはりこれは〈日記〉ではない。
ノートの多くのスペースは、その日に読んだ本の引用で埋められている。いわゆる〈日記〉に書くべきような現実の出来事に、僕は興味が無かったのだ。他人の文章の断片にちょっと感心してみる、それだけがあのころの〈僕〉だった。そうする事でしか自分を確かめる事ができなかった。それ以外の〈出来事〉はおよそ不本意だった。読んだ本から引用した文章、ただそれだけが、僕に書き残しておける現実の殆ど全てだったのである。短冊のように並ぶ他人の警句、時を隔てて今さらそれらをいくら読み返してみても、何も伝えてこない。そんなものを残す気などない。括弧でくくられた他人の文章は取り除いてみる。すると、後に残ったのは、青臭い、およそ貧弱な脳味噌の写し絵という有様なのだ。現実とは没交渉の肉体を持たない幽霊、それがあの頃の僕だった。あまりに稚拙な観念の亡霊、そういう訳だから、僕はこんなふうに、まず長々と《弁解》をしておかなければ、このノートを残すこともままならないのだ。
僕は、このノートを《子供たちへの手紙》として残そうと思う。僕が死んでも、やがていつか子供たちが父親の〈幽霊〉の呟きに耳を傾ける、そんな幸福を想像するより他に、今のところ僕には、目の前の死を乗り越えるすべを知らない。何とも情けない事なのだが。
(1994/4/23)