ドラフト保存というのでしょうか。メールでいうところの「下書き保存」というやつです。

本来、ブログって、その日その時の感覚を、すっと記録して、さらりと公開する、まったくもって軽やかなものであるべきなのかもしれません。しかし、僕は、思いついたことを、そっと書いてはみるが、なんだか納得できなくて、だからドラフト保存なるものをして、そのまま置いておきます。そうして後日、その気になった時、ちょいと整えて、そして公開するのです。

何故なんだろう、と考えています。どうやら僕は、今の「生」を記録することなど、絶対にできない不可能ごとなのだと思い込んでいるらしいのです。どんなにあがいても、「記録」とは「死」でしかないというふうに。

1983年の7月のノートに、カミュの「手帖」から、次のような一文を、僕は書き写しています。

「ぼくのなかには或る混乱が、或る怖ろしい無秩序がある。創造することは、ぼくには無数の死に値してしまう。なぜなら、創造とは秩序に関わることだし、ぼくの全存在は秩序を拒絶するからだ。だが秩序がなければ、ぼくは拡散して死んでしまうだろう。」

CDを作るということ、売り込むこと、何かを書き残すということ、それらに対する迷いの原点が、ここにあります。それはどういうことか、理屈はいくらでも語れます。しかし、結局それらは、全て嘘のような気もします。

「道徳的であることと、誠実であることのディレンマ」ジイド

何もしないことが誠実なことなのだと、自殺する勇気のない僕は、毎日飲んだくれては、うめいていたのです。

僕は、そこから本当に逃れられているのでしょうか。一週間以上前の文章を手直しして公開するような、こんなインチキブログを書いているところをみると、どうやら病は慢性化して、極めて性質の悪いものになっているのかもしれません。

過去の日記を修正するなんて、潔く死ねない女々しい男だということさ。はなっから、死んでるんじゃないのかい?

つまらない結論です。

これから、沖縄へ行きます。仕事です。沖縄について、書かねばならないことがいっぱいあります。しかし、今のところ、それらはみんな、ドラフト保存して、暖めておくことにします。