「愛」など、どこにも無かった。だから、「苦しさ」の感覚だけが辛うじて僕の「精神」を「肉体」につなぎ止めていたものだった。その「苦しさ-肉体」を媒介として、「風景-外界」と交信し得る可能性が僕にもあった。しかし、「苦しさ」までも手放してしまった僕は、外部との通路を、完全に失ったのである。僕はそれに気づいていたのか。いや、そうではない。「愛」や「苦しさ」以外にも、世界と交渉する手段はいくらでもあるのだという事を、僕は知っていたのか。きっと気づこうとせず、知ろうとせず、甘えていたのではなかったか。