08/10/26 : 《1983年7月4日のノート》
カテゴリ: 《過去のノート》
「他人の生活に寄せる郷愁。それは外側から眺めると、その生活が一つのまとまった全体を形作っているからだ。一方われわれの生活は、内側から眺めると拡散しているように見える。われわれはまだ、統一の幻影を追っているのだ。」
「もし基本的な関心が統一の要求なら、そしてもし世界あるいは神がそれを満足させ得ないのなら、世界から遠ざかるにせよ、あるいは世界の中でにせよ、統一が作られるのは人間においてだ。こうしてこれから一つの道徳と一つの苦行が取り戻されるのだ。」
「試練を受け入れ、そこから統一をひきだすこと。もし他人がそれに応えなければ、その違和感のなかで死ぬこと。」
「ぼくのなかには或る混乱が、或る怖ろしい無秩序がある。創造することは、ぼくには無数の死に値してしまう。なぜなら、創造とは秩序に関わることだし、ぼくの全存在は秩序を拒絶するからだ。だが秩序がなければ、ぼくは拡散して死んでしまうだろう。」
(カミュ「手帖」より)
「理性そのもの」と、「理性的」との遥か遠い距離。「理性的」とは統一への幻想に対する侮蔑の言葉か。必ず犯すであろう誤謬を恐れながら、ともかく、僕はそれを、〈統一の意志〉と名付けたのだ。
「芸術」とは何か。
芸術「的」な事柄において、「身体-理性」の二元論は錯綜する。カミュの自覚された錯綜。
しかし…
「自覚された錯綜」とは、動的な印象が欠如していて詰まらぬ。従って「苦悩」の印象も無い。
二元論はまず解体され、そしてその後に錯綜するのだ。
「理性」に全く左右されない「《純粋な》感性的芸術」など存在しない。それは幻想。様々な「芸術」に対する幻想を検証すること。
「狂気が口述し理性が書き綴るものほど美しいものはない」ジイド
そして「才能」という絶望的な課題。
カミュの言うとおりだ。つまり君たちが幸せな様子をしていると、僕はがっかりするのだ。そして、僕は彼らに尋ね、君たちのその幸せが偽りであることを教え、君たちを僕の方に引っ張って、僕の世界に連れ戻したくなってしまうのだ。
自己嫌悪と、それから「愛する」という能力について。
そうだ。僕は裏切られたような印象を抱いているのだ。
自らには否を、他人には然りを、わかっちゃいるが、しかし、僕は、僕自身を責めるように君たちを責めるのだ。だが、それは詭弁だろうか。
「不条理。君によってモラルを復権すること。われわれが《報告せねばならぬ》別の世界があるとは私には思えない。だがすでにわれわれには、われわれの愛する者一切に対して、この世でなさねばならぬ報告がある。」とカミュは言ったのだが。
再び…
「道徳的であることと、誠実であることのディレンマ」ジイド
理性がモラルを呼び起こすのか、モラルが理性を必要とするのか。
ニーチェ曰く、「ソクラテスはあまりに近いので、私はほとんど絶え間なくかれとぶつかってしまう。」
「もし基本的な関心が統一の要求なら、そしてもし世界あるいは神がそれを満足させ得ないのなら、世界から遠ざかるにせよ、あるいは世界の中でにせよ、統一が作られるのは人間においてだ。こうしてこれから一つの道徳と一つの苦行が取り戻されるのだ。」
「試練を受け入れ、そこから統一をひきだすこと。もし他人がそれに応えなければ、その違和感のなかで死ぬこと。」
「ぼくのなかには或る混乱が、或る怖ろしい無秩序がある。創造することは、ぼくには無数の死に値してしまう。なぜなら、創造とは秩序に関わることだし、ぼくの全存在は秩序を拒絶するからだ。だが秩序がなければ、ぼくは拡散して死んでしまうだろう。」
(カミュ「手帖」より)
「理性そのもの」と、「理性的」との遥か遠い距離。「理性的」とは統一への幻想に対する侮蔑の言葉か。必ず犯すであろう誤謬を恐れながら、ともかく、僕はそれを、〈統一の意志〉と名付けたのだ。
「芸術」とは何か。
芸術「的」な事柄において、「身体-理性」の二元論は錯綜する。カミュの自覚された錯綜。
しかし…
「自覚された錯綜」とは、動的な印象が欠如していて詰まらぬ。従って「苦悩」の印象も無い。
二元論はまず解体され、そしてその後に錯綜するのだ。
「理性」に全く左右されない「《純粋な》感性的芸術」など存在しない。それは幻想。様々な「芸術」に対する幻想を検証すること。
「狂気が口述し理性が書き綴るものほど美しいものはない」ジイド
そして「才能」という絶望的な課題。
カミュの言うとおりだ。つまり君たちが幸せな様子をしていると、僕はがっかりするのだ。そして、僕は彼らに尋ね、君たちのその幸せが偽りであることを教え、君たちを僕の方に引っ張って、僕の世界に連れ戻したくなってしまうのだ。
自己嫌悪と、それから「愛する」という能力について。
そうだ。僕は裏切られたような印象を抱いているのだ。
自らには否を、他人には然りを、わかっちゃいるが、しかし、僕は、僕自身を責めるように君たちを責めるのだ。だが、それは詭弁だろうか。
「不条理。君によってモラルを復権すること。われわれが《報告せねばならぬ》別の世界があるとは私には思えない。だがすでにわれわれには、われわれの愛する者一切に対して、この世でなさねばならぬ報告がある。」とカミュは言ったのだが。
再び…
「道徳的であることと、誠実であることのディレンマ」ジイド
理性がモラルを呼び起こすのか、モラルが理性を必要とするのか。
ニーチェ曰く、「ソクラテスはあまりに近いので、私はほとんど絶え間なくかれとぶつかってしまう。」