カント「純粋理性批判」
「身体からの(心の)分離は、諸君の認識力の感性的使用の終わりであると同時に、また知性的使用の始まりである。それだから身体は、思惟の原因ではなくて、思惟を制限する条件にすぎない。従って身体は感性的、動物的生活を促進するものであるが、それだけにまた純粋な精神的生活に障碍を与えるものとも見なされるのである。感性的、動物的生活が、身体的性質に依存しているということは、我々の全生活が身体的諸器官の状態に依存しているということの証明にはならない。」

だがしかし、カントは言うのだ。「幸福をうけるに値するように行為せよ」と。キリストを信じない僕にとっては理解不能である。
精巧な設計図が、曖昧さに揺らぎ始める。

カントは、自らの幸福のために「純粋理性批判」を著したのではないのか。身も蓋もないことはよく分かっている。

どんなに論理的であっても、どんなに客観的妥当性を持っているという確信があっても、あらゆる結論の後に、「~と思うことが、僕にとっての幸福なのだ。僕にとって幸福であるからこその結論に過ぎないのだ」と付け加えることによって、僕はしばらく、あらゆる論戦から身を引いてみようと、決心してみた。