三島由紀夫……

(「偉大な姉妹」)「新しい秩序が漸く固まり、なお多くの修正が正しいものと見做されたあの時代には、戦争も、暗殺も、立身出世も、あらゆるものが正義であった。」
「そのころ男たちは悉く剛愎な放蕩者であり、女たちは悉く剛愎な貞女であった。」
(「施餓鬼舟」)「芸術には人間的な目的というものはないのだ。」
「少しも修正を施さずに、誤謬も、誤謬でないものも、同じ仕方で正当化するのが芸術家の遣り口なのだ。どちらも同じ地点で落ち合うのでなければ、われわれは本当に生きたのだとは云えない。」
「それだから責任もない。」

『戦艦大和の最期』の巻末の批評は、「美しい世界観」を持つ者に対しての限りない讃美。
「ある世代は別なものに絶対とその美しさを求めたが、作者の世代は戦争の中にそれを求めただけの相違である」

「自己の生を切りひらくというもっとも本質的な誠実さ」という。
確かに「全体的に自己のもとに統一された生」は、「誠実な生」であり、「偽りの無い生」であり、だからこそ限りなく美しくもあるのかもしれない。
しかしその「誠実」は、他者にとって誠実でもなければ、「偽りの無い生」が、絶対的な真理に照らして偽りが無いというわけでもない。自己の世界観を持つ者へは憧憬を感じるが、自己の世界観は結局は自分だけの世界観でしかないという絶望を、彼らは感じることはないのか。
大和の「世代」の美しき誠実な人間性が、かの戦争を支え続けたのである。それに批評を加えるのだとすれば、美しき人間性に対する讃美ではなく、その悲しさを語る以外にないはずではないのか。