美的に語る…それが語ることにおいて理性に手を借りるとしても、理性によって美を弁護することであってはならない。例えばラディゲは、決して自己弁護をしようとも、嘘をつこうともしていないからこそ美的なのだ。

例えば〈不倫の恋を美しく語る〉
理性に勝った感情に就いて、理性はただ冷静に眺めるのみである。

しかし、それがいったい何になるのだろう……