読みかけの「判断力批判」。
急いでいるはずなのに、どうしても僕は、古典を飛び越して新しいものを手に取る気がしない。

デリタがどうだ、ドゥルーズがこうだと能書はたれるが、彼らの著作など勿論読んじゃいない、流行の浅田彰の受け売り、借り物の言葉。ヘーゲル、マルクスなど、当然なんにも知らないくせに、〈ありゃ遺物だ〉などと分かったような御高論。そんな輩に虫酸が走る。

〈君は真面目な性格なんだね、流行らないよ、今時。〉

くそくらえだ。
さて、そんなふうに意気込んで、衿を正して、再び「判断力批判」を開いて読み始めるのだが、しかし、遅々としていっこうに進まない。

だからまた、妙なことを考え始める。

最近感性が信じられなくなったが、味覚だけはまだ大丈夫などという戯言。味覚だけでも信じられるものがあるのなら幸せってもんだ。それこそ時代の最先端、おもしろがられて、軽薄な評論家が喜んで記事でも書くんじゃなかろうか。

「器官なき身体」をもじって「器官なき身体検査」と題した展覧会、「構造と力」ならぬ「小僧と力」、つまらぬ駄洒落を〈時代の感性〉といって面白がる。

ここらで〈真面目〉という時代遅れの「性格」を変えたフリをして、新しいものをつまみ食いでもしておかないと、一生ひとりぼっちで煮干食って生きる羽目になるのかもしれない。味覚しか信じられない時代なら、今風の化学調味料で味付けされた残飯は、食い過ぎないで、つまみ食いくらいに抑えておけば、それはことのほか旨いのかもしれない。
何とも腹立たしい……。