太宰治の「盲人独笑」。
いいねえ、これは。

「なにことも。さたかならざる。よのなかに。かわらぬきみの。こころうれしき。」

「かわらぬこころ」とは、「ふるさと」と「あやめ」。
なんともね。

「やれやれ、いたや」
「ああ、さてもさても」
「さてもさても歯がいたい。」
「たたたたたたたた」

「あさねして、またひるねして、よひねして、たまたま起きてゐねむりをする」
ははあ、これが正調なのかしらん、でも、これはなんだか気にいらない。

「朝寝坊、昼寝したのに早寝して、時々起きて居眠りをする」
というのはどうだろう、うん、こっちのほうがいいような、でも、理屈っぽくて、リズムが無いかな。たたたたた…
でもさ……

「うへもなき。ほとけの御名を。となへつつ。じごくのたねを。まかぬ日ぞなき。」
何という悲しい文章。

「まい日。ばかのごとくなりて、日を、おくるにも、たいくつしてござり申、よそへもゆけずしかたがないぞ。」

それにつけてもさ、自分の生きている時代を愛せる人は幸せ。愛していたんだか、いなかったんだか。

「狐には穴あり、烏には塒、されども人の子には枕するところ無し」
「くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。」

そうだ、そうだった、と思い出す。そんな昔のことじゃない。でも、今日の事でも、普通の事はみんな忘れてしまう。覚えているのは、あの苦しかった時のこと、狂気の不安に脅かされていた時のこと、そんな記憶ばかりだ。

太宰治の「追憶」。
「夢うつつの中の景色だけはいまだにはっきりと覚えている。正気になった時のことは覚えていない。」

フロオベルは、「アル・テル・ナ・テ・ヴ・マン」(どっこいしょ)という言葉を見つけるのに三箇月を費やしたという。
「たたたたた」…