08/09/14 : 《1984年6月11日のノート》
カテゴリ: 《過去のノート》
茅野から上田に抜ける県道、白樺湖が近づくにつれ、やがて辺り一面緑の景観となる。この緑はもはや春の明るい少年の緑ではない。梅雨曇りのどんよりした天気のせいでそう見えるのか、いや、この成熟した濃い緑は、これらの木々の葉そのものの属性であって、日の光の量とは無関係だと思われた。むしろ晴れていれば、この緑の深さはより強調されるちがいない。これは6月初旬のまだまだ寒い高原の、露骨過ぎるほどの夏の気配だ。
するとどうだろう。そんなふうに夏を確信してしまうと、今度はその夏の中にすでに秋が潜んでいるのが気になりだした。秋ハ夏ト同時ニヤッテクルと太宰は言ったが、夏のたんなる気配の中にも秋を感じるということは、夏というものの中に離れがたく秋が含まれているということらしい。つまり僕は、僕の心情などというあやふやなものにこの秋の原因を求めたくないのである。
「秋ニナルト、肌ガカワイテ、ナツカシイワネ」
「飛行機ハ、秋ガ一バンイイデスヨ」
(「ア、秋」太宰治)
するとどうだろう。そんなふうに夏を確信してしまうと、今度はその夏の中にすでに秋が潜んでいるのが気になりだした。秋ハ夏ト同時ニヤッテクルと太宰は言ったが、夏のたんなる気配の中にも秋を感じるということは、夏というものの中に離れがたく秋が含まれているということらしい。つまり僕は、僕の心情などというあやふやなものにこの秋の原因を求めたくないのである。
「秋ニナルト、肌ガカワイテ、ナツカシイワネ」
「飛行機ハ、秋ガ一バンイイデスヨ」
(「ア、秋」太宰治)