過敏なのではなく、過剰なのである。何も慰めはしない。
ならば夏が過ぎ去るまで、じっと目を閉じていよう。余りにもありきたりな「寂しさ」なので、僕は口を閉ざそう。

そういう僕が、慰められている。
「クラムボンはわらったよ」
そして僕も〈わらっている〉。僕には少年の消化能力しかない。いや、少年の消化能力を得た、というべきか。