単純な感情など、そう滅多にあるものではない。単純な言葉が歓迎されるとすれば、それは実生活に於て単に有効であるというに過ぎない。どうもややこしい僕の気持ちを表すために、僕自身の言葉の無力を感じながらも、僕はそれを放棄する事ができない。

無数の空気が衝突し、あるいは交錯し、結合と分裂を繰り返しながら、それぞれ複雑な形態を持つ大小の群れとなって渦を巻き、ある時は柔らかく、突如激しく、それらは僕の乾いた皮膚を様々な角度で愛撫する。久しく、僕はこの風を忘れていた。遠い街の喧噪、遥かな海上で軋む漁船、そうした空想はどんなにか僕を楽しませる筈だった。だが、テレビから流れて来る露骨な台風情報は、僕の叙情的な写実画を無惨に引き裂いてしまう。

「気に入った空想が伴わなければ、この風も余り僕を惹きつけない」

僕は揺れ動く風の中を歩き乍ら、そんな事を考えていたのだが、僕の肉体は、その表面から次第に内部へと、しかし内部とは無関係に、静かにこの風に影響され乍ら、安定した快楽で、侵蝕されていった。