先月の二十日から今年二度目の北海道。初めて体験する冬の北海道。札幌の公演では萱野茂氏が舞台でうれしい挨拶をしてくれた。だが、それでも書く気にはならなかった。二十五日、小樽からフェリーで舞鶴へ、京都大阪を経て二十八日に呉へ入る。途中の東広島で例の「交通事故禁止」の看板を見て、何故かすうっと書く気になった。呉で二日間、そして今日、これから松江に行く。

もう盛りは過ぎたのかもしれぬが、紅葉が美しい。僕は中国地方の紅葉が好きだ。日に日に冷気に急き立てられるような北国の紅葉ではなく、木々たち自身の意志で、一本一本自らのその静かな変化を楽しんでいるような、それでいて何故か〈諦念の紅葉〉と呼ぶべきような、僕はそんな中国地方の紅葉が好きだ。

「家庭というものは、人間なら誰でも、いつかは捕えられてしまう罠なのだ。どんな優れた、どんな生真面目な人でも、育ってきた過程で一度でも暖炉の温かさとか、躾とかを知ってしまった以上、どうにも逃れようがないものだ」

頭痛を抱えていく意志など僕にはなかった。それなのに僕は一生この頭痛を抱えていく事になるのかもしれない。何かに急き立てられている訳でもない。要するに頭痛のせいなのだ。この頭痛がなければ、僕は一生頭痛を抱え込むなど考えもしなかっただろうというわかったようなわからない話。何とも味気ない喩話。

僕はやはり南国の紅葉の諦念を思う。単なる諦めではない、諦めの意志というものを思う。その美しさを思う。