08/10/25 : 《1986年12月2日のノート》
カテゴリ: 《頭痛日記》
ゲーテが「ヘルマンとドロテーア」を書いたとき…
ゲーテは家庭を失っていたのか否か。「市民的秩序の喪失感」を抱いていたのか否か。
あるいは、ただ作家の眼で、「市民の家庭」を覗いていただけのことなのか。
さてもこの僕自身のこと。作家でも何でもない、「市民」ですらない僕のこと。
頭痛を治癒した(つまり失った)経験のない僕が、一生頭痛を抱え込むということ。
「おまえはどうするつもりなのだ」
「なるようにしかならない」
サルトルの自由論。
フランス革命における束の間の自由の顕現。その不連続性。
自由と「自由の感覚」の関係。
つまり、自由の実態は、自由の感覚以外の何ものでもないということ。
ヘンリーミラーは叫ぶ。「ぼくは自由なのだ!!」
改めて、「不連続」
僕のだらしのない連続。一見不連続なようだが、その正体は、要するに行き当たりばったり無為無策という情けない連続に過ぎぬ。
ニーチェを読んだら、大江が懐かしくなってきた。
ざまあみろ。だらしない不連続は、頭痛さえ消えてなくなる。このもっともだらしの無かった二日間、あいつはやってこないのだから。
別の頭痛はあるにしても。
ゲーテは家庭を失っていたのか否か。「市民的秩序の喪失感」を抱いていたのか否か。
あるいは、ただ作家の眼で、「市民の家庭」を覗いていただけのことなのか。
さてもこの僕自身のこと。作家でも何でもない、「市民」ですらない僕のこと。
頭痛を治癒した(つまり失った)経験のない僕が、一生頭痛を抱え込むということ。
「おまえはどうするつもりなのだ」
「なるようにしかならない」
サルトルの自由論。
フランス革命における束の間の自由の顕現。その不連続性。
自由と「自由の感覚」の関係。
つまり、自由の実態は、自由の感覚以外の何ものでもないということ。
ヘンリーミラーは叫ぶ。「ぼくは自由なのだ!!」
改めて、「不連続」
僕のだらしのない連続。一見不連続なようだが、その正体は、要するに行き当たりばったり無為無策という情けない連続に過ぎぬ。
ニーチェを読んだら、大江が懐かしくなってきた。
ざまあみろ。だらしない不連続は、頭痛さえ消えてなくなる。このもっともだらしの無かった二日間、あいつはやってこないのだから。
別の頭痛はあるにしても。