民族と愛、それと革命の弁証法。確かに考えていたのだ。だが、〈執拗〉に考えようとしていたか。「資本論」を今年中に読み終えるつもりだったが、見通しは極めて暗い。

世の中に弁証法など、そう都合よく存在するものではない。というより、すべての現実が弁証法の結果なのかもしれぬが、その必然性を証明することなど不可能事だという気がする。結局、それはミネルヴァの梟なのではないか。「世の中とは所詮こんなものでした」といった抹香臭い説教。

何となく身体がだるい。しかし、そういう時は、たいがい頭の方は痛くない。
してみると、冷徹な認識力を放棄することこそが、頭痛に対する特効薬なのかもしれない。