08/09/02 : 《1987年7月と10月のノート》
カテゴリ: 《過去のノート》
本日、久しぶりに税理士の宮島さんがいらっしゃいます。久しぶりなわけはこちらの計算がちっとも進んでいなかったから。進んでいなかったわけは、いそがしくて金の計算どころじゃなかったから。しかし、実は会社にとって、金の計算は最も重要な業務なのである。これって、当たり前のようで、なかなか理解できない人たちがいる、ということを、税理士さんとか、いっぱしの企業に勤める友達とかに言うと、そっちのほうが理解しがたいという。
そんなこんなを記念して、1987年のノートを公開。
1987年7月9日
ひと月後に結婚式を控えていて、やんなきゃいけないことがたくさんあるというのに、「資本論」を再び読み始めちまった。
マルクス曰く「労働は人間の生存の自然的条件である」
労働などしていたら「資本論」を読む暇はない。マルクスを理解するためには労働を差し控えねば無理である。
1987年10月11日
読み続けている「資本論」の余白に書かれたメモ。
〈言葉→文字、ドラマ→シネマ〉
自分で書いたのに全く意味不明。
昭和16年、「白い壁画」という〈シネマ〉のシナリオに対する伊丹万作の批評。シナリオは「琉球の一孤島にだけ存在する特殊な風土病を研究」し「同じ病に感染してたおれる一医師の犠牲的な生涯を扱った」もの。伊丹曰く、「椎名(医師の名)のような逸材が、きわめて一部の人間にしか関係を持たない特殊な問題のために一命をなげうつことが惜しまれてならない」。
伊丹万作は大江健三郎のお気に入り。まさか義理の父親だからというわけではあるまいが、伊丹万作に対しては実に寛容。しかし三島由紀夫のことは決して許そうとしない大江。
僕はあげ足取りか。あがっている足を見つけると僕は書く気になる。というより、それだけが僕に書くことを促す。結婚生活はそれとは正反対、いかに地に足をつけていられるかが問題。それだから僕は結婚してから書かなくなってしまったのか。だとすれば、結婚前に書いていた僕の文章ってなんだったのだろう。ならばこれからは足で書いてみるか。
文庫の「良心宣言」に挟まったしおりに〈ソンケイ、シソウ、ベンキョウ、ラーメン〉と書いてある。これもまったく意味不明。先月、札幌でラーメンの出来るのを待っている時に書いたらしい。その時何かひらめいたんだろうが永久に思い出す気配なし。でも気にしちゃいない。どうせたいしたことじゃないだろう。きっとラーメン屋の偏屈おやじのちょっくら持ち上げた足を見て、犬のションベンでも思い起したくらいのことだろうから。
小林秀雄曰く、「生活するとは人と交わる事である」。
あなたのあげた足を、そっと手にとっておろしてあげるのが生活なのだ、きっと。
そんなこんなを記念して、1987年のノートを公開。
1987年7月9日
ひと月後に結婚式を控えていて、やんなきゃいけないことがたくさんあるというのに、「資本論」を再び読み始めちまった。
マルクス曰く「労働は人間の生存の自然的条件である」
労働などしていたら「資本論」を読む暇はない。マルクスを理解するためには労働を差し控えねば無理である。
1987年10月11日
読み続けている「資本論」の余白に書かれたメモ。
〈言葉→文字、ドラマ→シネマ〉
自分で書いたのに全く意味不明。
昭和16年、「白い壁画」という〈シネマ〉のシナリオに対する伊丹万作の批評。シナリオは「琉球の一孤島にだけ存在する特殊な風土病を研究」し「同じ病に感染してたおれる一医師の犠牲的な生涯を扱った」もの。伊丹曰く、「椎名(医師の名)のような逸材が、きわめて一部の人間にしか関係を持たない特殊な問題のために一命をなげうつことが惜しまれてならない」。
伊丹万作は大江健三郎のお気に入り。まさか義理の父親だからというわけではあるまいが、伊丹万作に対しては実に寛容。しかし三島由紀夫のことは決して許そうとしない大江。
僕はあげ足取りか。あがっている足を見つけると僕は書く気になる。というより、それだけが僕に書くことを促す。結婚生活はそれとは正反対、いかに地に足をつけていられるかが問題。それだから僕は結婚してから書かなくなってしまったのか。だとすれば、結婚前に書いていた僕の文章ってなんだったのだろう。ならばこれからは足で書いてみるか。
文庫の「良心宣言」に挟まったしおりに〈ソンケイ、シソウ、ベンキョウ、ラーメン〉と書いてある。これもまったく意味不明。先月、札幌でラーメンの出来るのを待っている時に書いたらしい。その時何かひらめいたんだろうが永久に思い出す気配なし。でも気にしちゃいない。どうせたいしたことじゃないだろう。きっとラーメン屋の偏屈おやじのちょっくら持ち上げた足を見て、犬のションベンでも思い起したくらいのことだろうから。
小林秀雄曰く、「生活するとは人と交わる事である」。
あなたのあげた足を、そっと手にとっておろしてあげるのが生活なのだ、きっと。