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カテゴリ: 《過去のノート》
4月の20日以来、毎日暇さえあれば昔のノートをパソコンで打ち続けている。仕事のある日も、帰ってくればすぐさまパソコンの前に座り込む。
昨日今日と久しぶりの休み、ここぞとばかりに朝からずっと椅子に根を生やしている。
すると母ちゃんの使い、サァノミナサイと、娘が効果の定かでない漢方薬を水といっしょに運んで来た。
「ありがとうね」
飲めば「マズイ?」と僕の顔をのぞき込む。僕はわざと顔をしかめて頷いて見せる。すると彼女は、なんとも嬉しそうな笑顔を見せる……。

頑固に変わらぬこの自分、それに対して、この子供たちは何と劇的な速度で成長し変わっていくことか、そう思ったら子供たちの事をどうしたって書いておかなければという気になった。といっても、あいも変わらぬ僕の事だから、結局は子供たちを鏡にして、そして自分の事を書くことになるのだろう。だがそれでもいい、〈書く〉とは所詮そういう事なのだ。むしろ、子供たちそのものを書き残しておけると思い込む事の方が傲慢なのだ。

そして、僕はやおらこの《新たなノート》を書き始めた。

「とうさん、おしっこ」

娘のSOSである。
「ほんのちょっと待ってね」
僕は生返事をして、区切りのいいところまでとモニターから目を離さない。

ああ、そして、振り返ればもう手遅れ、そこには水溜まりの中に立ち尽くし、恨めしそうにじっと僕を見つめている娘がいた。
なるほど、やっぱり僕は、子供のことを書くといいながら、現実の子供の危機をそっちのけにして、自分について書いていたのである。

まだ僕にも、こんな軽口を書き残すことができるのかと、妙に納得している。

カテゴリ: 沖縄の、こと
昨日書いた過去が、物語の始まりのエピソードなのではない。
昨日書いた過去について、ことさら何かを注釈するつもりはない。ただ、あの頃の自分自身の在りようを思い出している。
元々、公開するつもりのなかったその日のノートを昨日公開したのは、その日あったもうひとつの、何故か書き残すことをしなかった出来事の記憶を、鮮明にしたかったがためなのである。

4日前の日記で、思い切ってその方のお名前を公開してしまったわけだから、いまさら妙な小細工はしない。
あの日、その場所に劇団員が何名くらいいたのか、よく憶えてはいないが、「アイヌ」の文化について説明をしてくださっていた民族学者の姫田忠義氏が、わりと唐突に(と僕は記憶しているのだが)、その中にいた一人の女性を目ざとく見つけて、こう言った。

「そこのあなた、あなた沖縄の人だよねえ」
そして姫田氏は、彼女に苗字や生まれた場所などを聞いた。
「いいねえ、沖縄の人は。僕はね、沖縄の人が大好きなんだ」

細かいやり取りの記憶はないが、ただ俯く彼女の横顔を忘れてはいない。
最後に姫田氏は、十分な親しみを込めて、「ちょっと、色、黒いけどね」と、そう言って笑った。

姫田氏がどうのこうのというつもりは毛頭ない。
貴重な記録映像を目当てに氏の研究所を訪れる方は、当時たくさんいらっしゃったのだろうから、こんな小さな昔のエピソードを、今の氏が憶えていらっしゃるとも思えない。それをここで、ほとんど誰も読みに来ないような「ブログ」とはいうものの、ご紹介してしまったことについては、どうかお許しいただきたいと思う。ただ僕は、沖縄から出てきて間もない若い女性が、皆のいる中で評されて、どんな気持ちで俯いていたのか、それを、誰にというわけでもなく、想像してみて貰いたいと思うのみである。

この時の女性が、今の僕の子供たちの、大切な母親なのである。


カテゴリ: 書斎で書くこと
拝啓。お手紙、拝読させていただきました。

「録音」には興味がない、ライブが好きだ、というあなた様のお言葉に対して、僕も100パーセント同意いたします。

ただ、僕の場合、いくつか別の事情があるのです。
まず「沖縄」のこと。それから「商品」というもののこと。そして、「音楽」のこと。
でも、それはここでは申しません。なぜならそれらは、あなた様が考えていらっしゃる言葉の表現そのものとは、別の次元の事柄でしょうから。

人は、何故表現するのでしょうか。
絵でも小説でも、なぜ人は自らの想念を「かたち」として残そうとするのでしょうか。

唐突ですが、「かたちあるもの」とは「死」なのではないか、と僕は思うのです。言葉もまたひとつのかたちです。一度発せられた言葉は、この世界の中で瞬時に凝固し、取り返しのつかない存在となって、発した者の支配から逃れていく。それは、ライブでも同じことです。
(なんだか、禅問答のようで、ごめんなさいね。)

生の舞台でも、終わった時、「もの」の感触を感じられる時が、僕にとってこの上なく幸せな時です。でも、今まで30年以上、3000ステージほどの舞台に立ってきましたが、そんな至福の経験は、数えられるくらいしかないのです。

そんなふうに、表現と死を関係付けて僕が考えるようになったのは、15年ほど前のこと、きっとその時の、死を覚悟した経験が影響しているように思うのです。
僕の「社長とは呼ばないで」というブログ(?)は、僕の子供たちへ向けた遺書でもあります。実は、かなり先の結末を見据えて、「たくらみ」ながら書き綴っているのです。もしよろしければ、どうぞ最初から読んでみてください。

僕のブログ(?)の最初の頃に書いた一節を、ここに再掲します。
「今日のこの日のこの観客以外に伝える相手を持たない芝居の、時代とともに変わらざるをえぬ〈軽薄な風貌〉と、薄れあるいは歪められやがて消滅する〈曖昧な記憶〉の運命に、僕は虚しさを感じた。本当は、それこそが芝居であったのに。」

昔、僕は舞台の仕事だけで食べていました。とはいえ、とても貧乏でした。それでも、アルバイトなどはしませんでした。そんな僕に、ある有名な役者さんが、舞台だけで食べていけるのはすごいことだよねと言ってくださった。その言葉に、とても励まされた思い出があります。
人に伝える言葉も、またひとつの「死」です。妙な言い方ですが、言葉が「確実な死」になってこそ、それを記憶した人の中に生き続けるのだと思うのです。
もしかすると、生きることの意味は、如何に死ぬか、「死のかたち」の中にしか存在しない、だからこそ人は、表現せずにはいられないということなのかもしれません。

また、いつでもお手紙ください。返事を差し上げて、ご迷惑でなければ。

(この文章を書くきっかけをくださった何人かの方々に、感謝の念を奉げます。)


9月21日日曜日: ねえ、あんた

カテゴリ: 三太郎
あんた、まだ起きてんの。もうやめなよ。何もかも忘れてさ、もう寝たほうがいいよ。

あたい、あんたの日記、好きだよ。毎日読んで、泣いている。ほんとのこと、やっぱりあんたは言えないんだよね、だからあんたはさ、昔のことばに、そっと今の気持ちを託してるんだよね。あの時とおんなじだ、あんたのさ、いちばんたいせつな子供たちのためだけに書いていたあの時のあの手紙。あたい、あんたの日記、読むのとっても好きだけど、もうやめなよ、だって、とっても悲しいからさ。

あした起きて晴れてたら、あたいはあんたのいる西の空の方を眺めてさ、ちょっと深呼吸なんかしてみたり、ああ、きっと、あんたも元気になっただろうって、そう思えばこんなあたいだって嬉しくなれるんだから、その日一日頑張れるんだから、ほんとはコーヒー入れたげたいけど、あんたが独りでいたいときは、邪魔しないって決めたんだ。ずっと前に決めたんだ。

ねえあんた、あんたは一人じゃないんだよ、死ぬまでずっと、きっと一人じゃないんだよ。

三太郎なの?


カテゴリ: 子供たちへの手紙
愛する子供たちへ
ずっと父さんは穴ぼこに落ち込んでいました。
毎日、お芝居という仕事はしていたけれど、現実は夢のようでした。
ただただ書物とだけ交渉をもち、自分の心の中だけを覗いて過ごしていました。
もちろん好き好んでそうしていたわけではありません。そんな自分に嫌気がさしてもいました。早く穴ぼこから抜け出したかった。そのためにこそ書物が必要だとも思っていたのです。しかし読めば読むほど、蟻地獄のように逆にその穴ぼこに捕らえられてゆきました。
そんな父さんを救ってくれたのが「おきなわ」なのです。

このノートは、父さんがどうやって「おきなわ」に導かれて穴ぼこから出て行ったかの記録でもあります。読んで、君たちはどう思うのだろう。「おきなわ」を知ってもなお、グルグルと迷い続ける父さんについて、でも弁解するつもりはない。ただ父さんは、きっと心から感謝していたのです。

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