琉球新報に岡本太郎のことを書いたのは誰ですか。
決してボクではありません。
ボクには、とても書けません。

何故って、ボクには分からないことが多すぎるのです。

12年に一度だけ開かれるイザイホーの祭りの、神の島の久高島へ、小さなポンポン船に乗って渡ったのは、もう30年近く前のことです。
島に降り立ったのはふたりだけ、ボクと、ボクが連れてきた沖縄の女性。彼女は沖縄で生まれ、ずっと沖縄に住んでいたのに、久高島のことは何も知りませんでした。
一銭マチヤー、共同便所、基地で働く母親が買ってくるハンバーガーの大きさ、味噌とカツオの削り節にお湯をかけるだけの味噌汁、ヤカンに堆積していく白い結晶、そんなことはよく聞いていたのですが、首里王朝がどうだとか、ニライカナイがなんだとか、そんな話は、むしろボクが教えていたのです。
数日前、斎場御嶽(セーファーウタキ)の三庫理(サングーイ)から久高島を眺めて、そして渡ってみようと決めたのでした。

ボクは、学校で演劇を学んでいたので、日舞なんかも踊ったことがあるのですが、もともと器用な方で、何をやってもすぐにカッコになってしまうものだから、日舞の先生から、なかなかいい形に決まるじゃないかなんて、褒められたりもしたのです。
しかし、天才岡本太郎に言わせれば、のべつまくなしに決まりまくっている日舞のいやらしさ、それに較べて絶えず流れる琉球舞踊は、悠久の美しさを持っている、ということになるらしい。

ボクは、国立劇場で大道具の仕事なんかもしていました。
国立劇場は貸し小屋です。毎日ほとんど日舞の公演、ずいぶんたくさんの踊りを見ましたが、日舞について素養のない僕は、一度もいいと思ったことはありませんでした。

琉球舞踊というものを初めて生で見たのは、那覇の沖縄料理の店。ボクの席は最も上座、隣には、一緒に久高島に行った女性が座っていました。貸切の大広間、彼女の両親兄弟や、その他十数人の親戚が、踊りに興じながら島酒を酌み交わしていました。
そのとき観た踊りがどんなものだったのか、ボクはよく憶えていません。ただ、最後にみんなでカチャーシーを踊ったのですが、ちっともうまく踊れなかったことだけは鮮明に記憶しています。

どうやら器用であることは、沖縄では通用しないらしいということを、この時ちゃんと気づいていれば、ボクは今よりもう少しまともな人間になれていたのかもしれないなどと、今になって思うのです。
器用貧乏な人間は、器用貧乏であることに気づかぬ限り、きっと大成などしないでしょう。

生涯一度だけ、日舞に感動したことがあります。琉球新報に岡本太郎のことを書いたのはボクの相棒らしいのですが、その師匠が、小さな町の小さな公民館で踊った踊り。

若い頃は天才舞踊家と呼ばれていました。寺山修司の天井桟敷に、役者として出演もするような異色の存在でした。しかし花柳の伝統とは相容れず、やがて中央を去り、地方都市で、踊りが好きな普通のオバサンたちに教えるようになりました。
ある時、ボクは頼まれて、生徒さんたちの発表会に、照明を手伝いに行ったのです。発表会のトリは先生の踊りでした。古典を一曲踊った後、続けて流れてきたのは演歌でした。先生は、お堅い流派の踊り手なら間違いなく蔑むであろう大衆演劇の歌謡ショーで踊られるような踊りを披露したのです。ボクは調光室から見ていたのですが、その踊りが始まるや否や、鬼気迫るその姿に、鳥肌が立ったのです。ボクは咄嗟に、そばにいた小屋の人に、お金の都合で借りることが出来なかったピンスポットを、今すぐ貸して欲しいと頼んだのです。
その方も、踊りに何かを感じていらっしゃったのかもしれません。快くボクの申し出を受け入れてくださいました。ボクは伝説の天才舞踊家が踊るその姿にピンを当てながら、涙が流れて仕方がなかったのです。

「お客さんが喜んでくれるのなら、どんな踊りだって踊らなきゃ。久しぶりのピンスポットに、気合がはいっちゃったよ」
違いますよ先生。ボクがピンを当てたのは、先生の踊りが始まって、ちょっとの間があってからのことなのですから。
その日、ピンスポットを使用した加算料金は、小屋から請求されることはありませんでした。

久高島には、男性が立ち入ることが許されない神聖な場所があります。現在は、きちんと立て看板があるらしいのですが、ボクが行った30年近く前には、何の看板もありませんでした。港で、島の男の方を見かけたので、そのことを聞いてみたのですが、その人は、昔はそんなこともあったが、というようなことをおっしゃいました。今はいいのですかというボクの問いに、その人は曖昧に笑っただけでした。

岡本太郎の、あの事件があったのは、それよりもっとずっと前のことです。

島を巡る道と海岸の間には杜があって、そこに一歩立ち入ると、今までの暑さが嘘のようにひんやりとしました。一瞬間で薄暗がりに慣れたボクの目に入ってきたのは、とてもこの世のものだとは思えない光景でした。今まで見たことのない白い蝶が三羽、スローモーションのようにヒラヒラと舞っていました。タタミ一畳もあるような蜘蛛の巣の真ん中で、ボクの掌くらいの大きさの蜘蛛が、風もないのに揺れていました。あちらこちらに、拳ほどの大きさのヤドカリたちが、音も無く歩いていました。

今のボクは、その時の罰を受けているのでしょうか。それとも、一緒にいた沖縄の無垢な女性に免じて、許されているのでしょうか。

ボクには分からないことが多すぎるのです。

守るべきもの。壊し乗り越えるべきもの。因習なのか伝統なのか。
いったい、はっきりと分けられるようなものなのでしょうか。

ただ、こんなふうに思うのです。たとえたくさんの人々に悲しみを与えることになるとしても、神から選ばれた極少ない天真爛漫な天才だけに許された変革というものが、確かに存在するのではないかということを。そうであるからこそ、人間は、ここではないところへと変わっていけるものではないのかと。

しかし、いまだかつて、ボクはそんな許された人間に出会ったことがないのです。というよりも、どういう人間が選ばれ許される人間なのかが分からないのです。

そして、もしかすると、こうなのかもしれないと思っているのです。
待っているたったひとりの人のために、たとえたくさんの人々を裏切ることになるとしても、何かをしなければならないと決心して、地獄へ堕ちることも覚悟した時、初めて神から許される門が開かれるのではないか。たとえその門が、未だ単なる可能性へ繋がる門でしかなく、その先には、数限りない「験し」が待っているのだとしても。

とはいえ、やっぱりボクには、分からないことが多すぎるのです。